矢田 わか子
矢田わか子
第213回
2017年12月07日 放送

民進党 矢田 わか子 参議院議員

大阪生まれの5人兄弟で育ちました。

お父様の事業欲が旺盛だったため、家の借金がかさみ、

高校を卒業するのがやっとだったと言います。

弁護士になる夢をあきらめて、松下幸之助の本に感銘を受け松下電器に入社。

初めは総務部に配属されて、電話交換手として活躍しました。

その後「女性だってもっと働きたい」をテーマに嘆願書を提出し、働く女性のやる気を無駄にしない活動につとめました。

そして、労働組合副委員長の時に、電機連合から出馬の打診がきました。

当時小学生だった息子さんからの「どうして選挙に出るのか」という質問に一つ一つ答えて対話したと言います。

矢田議員とお話をして、今まで女性のやる気にはどれほど耳を貸されなかったかと思うと、至極残念。

またこれからの時代は、家庭に入りたい人、社会進出したい人、様々な選択肢があり、それを自由に選べる社会でなくてはならないと

強く感じます。

 

(動画より文字起こし)

民進党 比例区 1期目(2017年11月8日収録時点)

 

[初めまして。昨年初当選されたということですよね]― はい、そうです。[この間総選挙がありましたけど、いかがだったでしょうか]― 自分が当選して以降初めての総選挙ということで、仲間の議員の皆さんの応援に走ったんですけれども。本当に民意が反映されるような選挙になればいいな、という思いで、全国各地走らせていただきました。[矢田議員は全国比例ですから、ご自分の選挙でも全国を回った。今回の総選挙のお手伝いでも全国を回られた、ということですね]― そうですね。[民進党でご紹介させていただきましたけど、民進党も大変な事になっていましたね]― そうですね、本当にご心配をおかけして申し訳ないです。[参議院は勿論選挙は関係なかったので、「民進党」というのは残りましたけど、さあ、衆議院は皆さん…民進党はなくなるというか、立憲民主党と希望の党にバラバラになりましたけど、どうですか?]― そうですね、一応民進党の中にも「無所属クラブ」という無所属の方々が残っていらっしゃるので、正確に言えばまだ衆議員の方も残っていて。実はこの収録の前に、両議院総会に出てから来たんですが。ご存知の通り新しい大塚代表のもとで、志もまた新たに頑張っていきましょう、と。[大塚耕平さん。この番組にも出て下さっているんです、大分前に]― 党と会派は複数に分かれたんですが、基本理念だとか志を同じくする仲間がたくさんいらっしゃると私は思っていて、「友党」の皆さんと共に、これからの国会運営においても協力し合って。政策の実現に向けて何をしていくのか、というのが最も問われるんじゃないのかな、と思っています。[党がそういう風になってしまうと、全国行脚されてて、もう色んなところから叱咤激励があったと思うんですけども。…大変でしたね(笑)]― やっぱり一般の方はマスコミの報道を中心にご覧になって、不安を覚える方もいたので。いつも言うんですけど、マスコミで全てが報道されるわけではないので…[ここ、全部マスコミの方ですよ]― すみません(笑)、ぜひ報道の皆さん、宜しくお願いします。なかなか全てが報道されるわけではないので、私が一般人として国会に入って見た世界だとか本当に中で起こっていることをお伝えするというのが、自分の役割なんだろうな、というふうに今回改めて…。[大変ですよ、マスメディア対個人…国会議員とはいえ、大勢の付託を得ているとはいえ、やはり個人ですから。それは大変なことですよね]― そうですね。皆で協力し合っていかないと、なかなか本当のところの意義というか真実は伝わり難いんだな、ということはわかりました。

●幸せ度数年表

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[大阪弁出ましたね。生まれは?]― 大阪生まれの大阪育ちですので、ずっと大阪です。[生まれはどちらなんですか?]― 大阪市内で生まれまして。育ちはもうほとんど京阪沿線、寝屋川市というところで45年間生活してまいりました。[東京生活、どうですか?]―いやもう大都会ですよね。びっくりしますよね、色んな事が起きて(笑)。[大阪も強烈ですけどね(笑)。色んなカルチャーショックもあったんじゃないですか?]― ありましたね!まずエスカレーターの立ち止まる所の右と左が違ったりとか。大したことじゃないのかもしれませんけど。人がとにかく多いな、と。東京駅、地下鉄。正直ここに来るのも迷うような感覚ですけど。[でも国会議員ですと車移動が多い。黒塗り…というのも、一応ないことはないじゃないですか]― いや~、私はもう、基本的には電車で移動させていただいているので。[矢田議員のホームページを見ると、本当に息子さん命なんですよね]― いえ、そんなことないです(笑)。[かわいいでしょうね~]―ありがとうございます。いやいや、もう、反抗期ですから。中学3年生、15歳です。[息子さんとの時間も、どうですか? パナソニック時代と変わりました?]― まあそれは変わりましたね。住居はこちらで議員宿舎生活なんですが、息子は基本的に大阪に置いて来たので、大阪で一人で生活してますので。[もう淋しくて淋しくて…]―いやいや、向こうはせいせいしているというか。そう思っているようですね。[そうですか? でも出馬されたときに反対されて。ちょっと淋しがったんじゃ]― 小学6年生の3学期だったんですね。「お母さん、参議院議員になろうと思ってる」と言うたのが、小学6年生。[そしたら?]― そしたら最初は「やめてえや」とやっぱり言われましたね。「そんなんなりたいの?」って。「またおらんようになんのやろ?」とストレートに言われましたので、そこを説得するのにすごく時間がかかって。[またそれが大阪弁だとすごい人情味があっていいですね~。東京の多摩地域の子なんか冷たいですよ、みんな。「あ、そう」で終わっちゃいますよ(笑)。…1965年に大阪市で生まれた、ということですね。じゃあもうたこ焼き食べて阪神タイガース応援して。何と、兄妹がたくさんいらっしゃる]― はい、5人兄妹。[5人兄妹! お父様お母様大変でしたね~]― しかも私と兄は…一番上に兄がいて、私は長女。男、女、男、女、男の5人なんですけど。私と兄は7つ離れているんですが、私の下が全部年子なので、多分母はすごく子育ては大変だったんだろうな、と思います。[すみません、人の門地を聞いてはいけないんですけども、国会議員さんということで…お父様は何のお仕事をやってたんですか?]― 事業家なんですね。私の生まれる前は自動車の輸入販売とか修理の会社をやってて、そこがちょっと破綻して。[じゃあ並行輸入みたいなことをやっていた]―そうなんですよ。当時は珍しい仕事だったんですが、そこから営業職になって。私たちが生まれた頃は営業の仕事をしていたと思うんですが。[車の営業?]― 車ではなくて、食器か何かの。[今度は食器。それを輸入されて。コペンハーゲンとかの高級食器を…]― はい、陶器を扱っていたと聞いています。で、そのあと新聞販売店みたいなことをしまして、その仕事を長くしていた、という記憶があります。[お父さん、自分で新聞を書いたりとかは?]―じゃなくて、いわゆる専売所ですね。新聞屋さんですよ、街中で言う。[それで5人育てて。大変ですね~]― 母が多分すごく大変だったと思います。[そして、お父様お母様が病床に。15歳のときに]― そうですね。これ書き方が本当に難しかったんですけども。貧乏だったけど、そういう意味では兄妹仲良く育ったと思うんですが。15歳にどん底に書いたのは、中学を卒業する段階で、母も父も同時期に病気をしたんですね。父がいわゆる失業者になりまして、働けないわけです。で、母も保険の外交員をしていたんですが、まあ当然その仕事も今でいうパート労働みたいなものなので、保険を勧誘して何件入っていくら、というような。あまり安定した収入ではないんですね。かつ子宮筋腫を抱えていて病気だったということもあって、家にお金がないことがわかるわけです。で、だんだん暗くなってきますし、「酒買うてこい!」とか、ドラマの世界じゃないですけど。[お父様が?]―そうなんですよ、父も荒れるし(笑)。[お父様荒れたんですね。でも兄妹いて良かったですよね。それで一人っ子だったら結構荒みますけどね]― はい。で、中学で働こうと思ったんですね。高校入学を諦めようと思った時期が、この時期だった。どこも皆貧乏した、って言うんですけど、本当にその貧乏の度合いが違ってですね、食べるに食べていけないような時代だったので。近所のパン屋さんに行ってパンの耳もらったりとか。「おばちゃん、なんもたべるものないねん。ちょうだい」とか言って(笑)。まあその頃は近所のお付き合いも良かったので、「大変やなあ」って皆さんが色々与えてくれたのもあって。まあただその時期、自分としては自分なりの目標…弁護士に私はなりたかったんですが、そういう目指す職業もあった中で、でもまあこれは無理だな、と。下に弟や妹たちもいるし、「働こう」と思った時期が中学3年の時期だったということです。[なるほど。鈴木宗男さんが外で雑草食べてたの思い出しましたよ。自分で調理されて「美味しいんだよ」なんて(笑)。…それで18歳から松下電器に就職したということですね?]― そうなんです。何とか高校には入るんですね。当然、授業料免除だとか特別奨学金をいただいて。[特別奨学金。それは返さなくていいやつですか?]― いえいえ、そうじゃないんですけど、額が大きいんですよ。額は忘れましたけど、通常月々六千円のところを八千円とかね。プラスアルファでもらえる。ここでも2年生の時に「やめようかな」と思ったんですけど。何百万円もの借金が家にある、という父母の会話を聞いて退学願いを書いて。[いやでも、ご兄妹がいて良かったですね~。ひとりだったら非行少女ですよ、それは]― (笑)。妹と弟たちは、あまり家のことに関心がないので、結構好き勝手にしてたので。「無駄遣いするな!」とか結構(笑)。まあわからないから、すぐ「お菓子買って」とか「新しい文房具買って」とか言うじゃないですか。でも高校に退学届を出したときに、先生が「そんなに大変なんだったら、アルバイトでも何でもしていいから」。勿論駄目なんですけどね、禁止だったんですけど。「何としても高校は出なさい」と。「全然違う、就職先も含めて」と言って下さって、そこからもう…。それまでもアルバイトはしていたんですけど…[何のアルバイトをやっていたんですか?]― 最初にやったのは、今で言うドラッグストア。薬局店で化粧品も一緒に売ってる。そこで、化粧品のモデルをやったりですね。化粧何てしたこともないのに口紅を塗られて「こんな色になります」っていうのを。まあそんなアルバイトや、それからいわゆるスーパーのレジ打ちだとか新聞配達だとか。中には近所の人が「うちの息子・娘の家庭教師やって。家庭教師だったら大きく時給払えるから」って。[近所で助け合いですね]― そうなんですよ(笑)。そういう仕事を与えていただいたり。3つ4つ掛け持ちしながら、家にも5~6万ですけど入れて、何とか卒業が出来た、と。[苦労しましたね…。そして学業も優秀だったから、松下電器にパーンと入社されて。一番初めに配属された部署はどこですか?]―最初に配属されたのは総務課で。ご存知ですか? 電話交換手という仕事を最初。[電話交換手? 今の電話オペレーターですよね?]― そうです。もっとアナログな時代なので、有線という、紐がついてる交換台だったので。「松下電器でございます」と名乗って、そのお客さんがどこそこにつないで下さいと言うと、その紐をグッと持ってですね、たくさん並んでるその穴に挿すんですよ。穴に挿すとそこにつながるという(笑)。[へ~、1950年代のアメリカみたい。映画で観たことありますよ。そういうことやってたんですか。例えば人事課につないだりだとか営業につないだりだとか]― はい。ただこれも資格のいる職業だったので、会社に入って、資格を取る学校にも三ヶ月間ぐらいタダで行かせていただいて、「いいのかな…」と思うような体験をしました。[今ないでしょ? そういう資格って。ないですよね?]― 多分、電話交換の資格はあると思うですけど、アナログではなくデジタルでおつなぎするような時代に入っていると思います。[そうですか。…そして矢田議員はその後、労働組合の幹部になっていくわけですよね。局次長ということですか?]― ええと、最後は副委員長までやらせていただくんですけど。[そこまで昇りつめたわけですけども(笑)。その中では色々こう…女性能力開発室、キャリアアップフォーラム、こういった女性の地位を優遇するような部署に行った、ということですか?]―もともと入った時は電話交換から始まったんですけども、やっぱり仕事をしていく中で、どういうんですか、もっと自分のやり甲斐、働き甲斐を感じる仕事に就きたいという思いが出てくるんですね。当時は「雇用機会均等法」の前の世代なので、男女で確実に仕事の配属の格差があったりだとか。[女性は、お茶くみ]― お茶くみとかお花を活けるとか。男性のいわゆる補助職として採用されているわけなので。[それはそれで幸せだった人も多かったでしょうけどね]― もちろんそうなんですけどね。ただ私はもっとやっぱり、学生時代に児童会長とかそういうのもやってきましたし、同じ能力なのであれば、一生懸命仕事をしてそこで成果が出れば当然スキルアップがしたいし、次なる仕事に挑戦したいという欲求が出てくるわけですね。それで当時の人事部長に提言書を書きまして。自分一人で書いたわけじゃなく、先輩とか色んな方々と相談をして…そういう思いを持っている人が大体2割か3割ぐらいいらしたんですよ。「余計なことをするな」という先輩もいましたけど(笑)。[女性でね]― はい。もっと女性だって働きたい。端的に言えばそういう提言書を書いてお渡ししたんです。そしたらその方が、松下電器の中でも…白物家電ってわかりますか?[もちろんです。冷蔵庫とかね]―そうなんです。私たちがいたのは「オーディオビデオ」と言いまして、黒物家電を生産販売している事業体だったので、やっぱり男性中心。企画・デザイン・営業、全て男性しかポストのあるところには配置していないような事業体だったんですね。でも、白物家電から来たその人事部長は、当然のことながら向こうでは、デザイナーも企画する人も商品を開発する人もたくさん女性がいて、女性が課長職ぐらいに昇っていってたんですよ。ところがこっち(黒物家電)に転勤してきて…忘れもしない、当時2,500人女性がいたんですけど、いわゆる管理職は誰もいない。役付けというと、電話交換手のリーダーだけだったんです、主任職で。「それ、駄目だな」って人事部長も思ってた時に、ちょうど私たち女性陣からもそういう提言書が出て。じゃあ働いて欲しい、という経営のニーズと、女性たちの意欲がマッチングして。この部屋は、多分当時としてはすごく稀な、女性だけの活用推進する部屋として…平成4年だったと思うんですが、色んな雑誌にも取り上げていただいて。男女雇用均等法の少し後ですね。[注目されますよね、それは。だって今でこそ「上場企業の3割を女性役員にしろ」とか安倍政権が言ってますけども、そんなのより30年前ですからね。なかなか勇気のいるところですよね、しかも松下電器のような保守的な会社で]― ただ私は、創業者の松下幸之助が「私たちの会社は、物をつくるまえに人をつくる会社でございます」とおっしゃられた、その本を読んで「この会社に入りたい」と思ったんですね。[それがあったんですね、もともとね]― そうなんです、もともとの志望動機が。だから、「人っていうのは男性だけではなくて女性もでしょ?」という思いが根底にあって。だから有難いことにこの部屋を作っていただいて、女性でもやる気のある人にはそういう道を開いていく。職の開発だとかスキルアップしていく、ということの仕事をさせていただきました。[松下さんがそうおっしゃったのはご存知の人もいるかもしれませんけども、それを活かしていこうというのは、扉を開くことはなかなか大変ですよね。立ちはだかっている上司とかそういう人を説得するということは、まず大変]―そうですね。[そして、労働組合の役員に…(幸せ度数が)ちょっと下がってますね。大変だったんでしょうね]― そうですね、大変でしたね(笑)。「キャリアアップフォーラム」といのは、異業種、松下だけじゃなくて…当時いっぱい取材が来てですね、色んな会社の方々が「松下って女性活用ってどうやっているんですか?」って訪ねてこられたんですね。で、その時に「そうか、松下だけの話じゃなくて、どこの会社も一緒なんだ」と思って。まあ勉強会なんですけど、自主的な勉強会を関西で働く男女で作りまして、それも結構マスコミに取り上げられてどんどん会員が増えて。そういう経験をしてたんですね。ところがある時、労働組合の役員の声がかかるんですけども。あの~、ちょっと組合って、やっぱり男性社会で。会社以上に男ばっかりの世界で(笑)。人事の上司から「矢田さん、そういう声がかかっているので、是非どうだろう」って言われてですね、「いやもういいですわ」って正直なことを言うわけですよ。やっと会社で自分たちの意欲を生かして、仕事が出来る素地が出来てきたのに、何でまた男社会に逆戻りしなくちゃいけないの、と(笑)。[策略だったんじゃないですか? これ以上女性にスキルアップをさせないように(笑)]―労組も、当時女性の役員が少なくて、もっと女性を組合役員として配置をし、女性の両立支援策だとか、女性の問題についても取り組みたいという意向があって。やらせていただきました。[そして、ご自分の結婚・出産は、意外と遅くないですか?]―そうですね、36歳の時なので。[それは労働組合のお仕事が忙しくて?]―それもありますし、正直なところ、あまりこう結婚に価値を置いてなかったんですが。まあ人生のパートナーとしてご縁があった方と、はい。[社内結婚なんですか?]―一応そうですね、社内でした。ただ彼はアメリカにいたので。結婚式は上げるんですけど、別居婚で、アメリカと日本で生活がスタートしました。[今もご主人は松下にいらっしゃるんですか?]― 今 はもう退職しましたので。この辺で働いてますけど。[こっちにいらっしゃるんですか? お坊ちゃまはどうされているんですか?]―大阪に一人で。[一人で?]― まあ一応下宿ということで、頑張ってます(笑)。[可哀そう~]― すみません、本当に申し訳ない。もうすぐ来ますので、こちらに(笑)。高校から一緒に暮らそうね、ということで。[お坊ちゃまもカルチャーショックが起きるでしょうね、いきなり東京に来て高校生活を送って]―

「嫌や」と言われてますけど、何とか説得して。[余計なお世話ですけど、ご兄妹とか見てくれないんですか?]― 妹がね、働いている間は見てくれたり母が見てくれたり。色んな人に助けられて何とか両立はしてきましたので。[はい…(「幸せ度数年表」を見て)そして、「介護」ってありますね]― そうですね、やっぱり母も当然のことながら…私の母だけでなく義理の母も含めて。ある時コケたら骨折しちゃって。それで寝たきりになるという。やっぱり結婚・出産、育児の両立というのは、ある程度長期でプランが立てられるんですけども、介護というのは本当に見通しがきかないんだ、ということを実感するんですね。でも有難いことにそんなに長期ではなく、骨がまたくっついて歩けるようになったので、何とか両立できたんですけど。[そして、元に戻りますけども、昨年の参議院選挙初当選ということで。これも松下電器の労働組合から選出されている、ということなんですよね。なので、ご自分で出たいと言ったわけではないんですよね?]― そうですね。「電機連合」という、日立さん、東芝さんとの大きな組合の組織がありまして、そこから参議院議員を出そうという動きの中で…前回の私の前任者の方は、三菱電機から出てらした、かとうとしゆきさんという方なんですが、その方から、じゃあどのようにバトンを引き継ごうか、という検討?があって。実は42年前に、松下から一人参議員を出しているんですね。42年ぶりにそのバトンが帰ってきた、という。[ちなみに42年前はどなたが?]― 福間知之という参議院議員です。[それ以来42年間は、松下からは空席だった、と]― 参議員は空席。衆議員がその間は出ていたので、衆議員は今も一人、平野博文議員がいるんですけれども。参議員は全国区ということにもなるので、「本当に受けられるのか」という検討をしていただいて。[42年前でしたら、町の小さな電気店に行って選挙活動をする、というのが普通だったと思うんですけども、矢田議員が出たのは昨年ですので、町の電気屋さんって申し訳ないけど潰れているじゃないですか。どうされたんですか?「ビックカメラ」行くんですか?]― (笑)。私の支援者は、あくまでも電器産業で働く労働組合の組合員の人たちなんですね。先程申し上げたような、いわゆる総合家電メーカー、エレクトロニクスメーカーという所で働く…今57万人いますので、その方々のご支援をいただいて当選させていただいた、ということになります。[じゃあ例えば、作っていらっしゃる部品工場に行ったりだとか、そういう所で選挙活動をされた]― そうですそうです。[もう全国にネットワークがあるから、すごいですよね]― そうです、47都道府県、全ての県に行きまして。1年間で1,500拠点回りました。[そうですか~…そう、それで、これが何と](矢田議員の訪問時の写真がすべての都道府県に貼られている大きな日本地図がアップになる)―そうですね。これ、本当に有難いことに作って下さったんですけれども。[誰が作ってくれたんですか?]― あの~、岐阜だけ光っていますよね?実は47都道府県の最後が岐阜だったんです。で、「やっと来て下さった!」とそこの職員の方が、全部回った時の写真をひとつひとつピックアップして作って下さって。「最後まで頑張ってください」ということで。行った事がない県もたくさんあったんですけど、お陰様で1年間で全て行きました。(2枚目の写真が貼られた地図がアップになる) これはですね、最後の「本番」と言われる18日間の記録というのを又…今度は岐阜に最初に入ったんですよ。当選した後「ありがとうございました」と。そうしたらその本番中の18日間の記録、ということで、また同じ方が作って下さって。あまりに良く出来ているので…一生ものなので、いつも事務所に飾らせていただいています。[今日は特別出張で。貴重なものをすみません。まだ1年ちょっとですが、慣れました? 国会議員生活というのは]― そうですね~。正直なところ、自分が至らない人間だからですけど、毎日勉強することがあまりに多くて。それこそ修行僧のような生活をしてます(笑)。[でも、労働組合の役員も選挙も、全部人が言って下さっているんですよ。なかなかいないですよね、皆こう「あたし、あたし!」って言って蹴られてる(笑)]―有難いですね。[人徳ですよね。労働組合の場合は一緒に働いていて机を並べている人ですから、よーく性格とか知っててそれで推薦されるというのは、よっぽど人格者だと私は思っています]―とんでもない(笑)。たまたま今回出す時のコンセプトが「産業政策」という、例えば電気の産業が発展するための政策を主体においたのではなく、社会保障政策ですね、いわゆる一般の生活者の視点で、私たちの暮らしの改善に向けて何をしていったらいいのか、ということを国会に自分たちの代弁者として伝えてくれる人を選ぼうということになったので、まあ私のような子育てとか介護とか色々している一般の庶民を選んだということだと思うんですね。[それが電機連合の思いだった、と]― そうだと思います。(手元にあるリーフレットを取って)この「やたわか通信」を半年に1回出してまして、(「たわやか通信」がアップになる)ことをですね…例えば国会の中のどんな委員会で、何を私が大臣に対して発言してきたのかというのを書いて、支援者の方々、組合員にお配りしているんですね。と言いますのも、自分も一般組合員の時に、たくさん政治家の方を「推薦してね」とか「名前書いてね」ってやってきたんですけど、なかなかその後が見えない。「私はあの人の名前を書いた、でもあの人は私たちのために何をして下さっているんだろう」というのが見えなかったので、きちんとそれはお返しをしなくちゃいけないという事で、年に2回作っていただいて皆さんに。[それは厳しい声を自ら反映することになりましたよね]―そうなんです。[(「やたわか通信」の表紙を見て)ブルーがイメージカラーなんですか?]―そうなんです。電気のカラーがブルーと白なので。電機連合としてのイメージカラーがずっとこのブルーと白。選んでいただいた時に、初めての女性議員だったので、皆さんそのあたりを一生懸命やって下さって「じゃあイメージカラーを決めましょう、ブルーと白でいきましょう」と。[民進党は、黄色は菊田まきこさん、緑がまきやまさん、オレンジが…]―今は宮沢さんとか伊藤たかえさんとか。[皆さん、色で変える方多いですよね? 丸川さんも昔大臣の前は赤だった。皆さんそうやってわかりやすく。大変ですよね、なかなかブルーのものってないですよね]― (ジャケットを指して)この色、売ってないんですよね(笑)。一生懸命探して…見つけたら教えて下さい(笑)。

 

●最近の政治トピックス

 

[組織内の公認候補ということで、やはり働き方改革を結構質問されてますよね?]―

そうですね。私も16年間労働組合の役員をやらせていただきまして、やっぱり働く人たち、コツコツ真面目に働く人たちがしっかり報われる社会を作りたいという思いがすごく強いんですね。したがって今回、まあ特別国会なので、この国会中には審議されないかもしれませんが、働き方改革については来年の通常国会を含めて、しっかりと論議に参画していきたいな、と思っています。[世間が今そういう風潮ですから、安倍政権でもワークライフバランス及びプレミアムフライデー、色んなことを私たちにわかり易く投げかけてはいますよね]― そうですね。ただ労働法制というのは、ちょっとわかり難いんですけれども…今回審議されようとしている7つの法案を1本でまとめて政権側は出してこようとしているんです。ところが中身を見れば、当然今までの論議からして、例えば連休、なかなか取得が進まないので、取得推進できるように5日間は義務付けをして必ず取りましょうとか、私たちも労働者にとっても進めたいと思うものと、今ちょっと過大視されているのがいわゆる高度プロフェッショナル制度。言い方はちょっと別としても「年収ベースで考えますよ」。年収ベースで考えるということは、働いても深夜業をしても早朝勤務をしても、その手当は出ないということなので。そういうことの法制をいっしょくたんにして本当に通してしまっていいのか、という疑問はありますよね。[日本は働く、会社に残るのが好きな文化がずっと横行してたじゃないですか。テレビ局もそうですし電通もそうだったし。会社に残ってるのが=自分の居場所、というはき違えがありましたよね]― そうですね、確かに。本人もそうですし、会社の風土そのものも、時間を長くいた人が会社に対する貢献度が高いというような、そんな認識をずっとしてきたんじゃないのかな、と思うんですね。[それを今、全部リセットしようと思ってやっていますよね]― 内閣府の調査した結果なんかはですね、「総実労働時間が日本はだんだん減ってきていますよ」と出してきているんですけど、でもそれはいわゆる短時間労働、パート労働者も含めた全体的な数字であって、パート労働・非正規労働が全体の労働者の4割にも達している、まあ増えているわけですから、全体で割れば当然総実労働時間が減るんですけどね。じゃあ正規社員だけでとらえたらどうなのか、といデータをしっかり求めていかないといけないと思いますし。私たちが働いてきた電器産業なんかでも、やっぱり2,000時間を前後しているような状態が続いているので。[いまだにですか?]―もちろんです。[えー! そうなんですか]―「1,800時間が目標だ」と言って運動してきたという経緯もある中で、痛ましい過労死ということが…NHKの女性の記者だとか女性の新入社員だとか、私たちもあれは本当に見過ごすことができないなと思って見ているんですが。特に女性は真面目じゃないですか。だから「しっかり成果をあげなくっちゃ」ということで、成果管理型に移行すればするほど「自分の成果を出したい」と頑張り過ぎるあまりに、労働時間管理がおろそかになって…そうですね、会社はきちんとやっぱり労働時間管理をして、従業員の健康・安全を見なければいけない責務があると思うんですが、それがおろそかになっていないのかな、と疑問視しますよね。[大きく社会が変わっているので、私なんか「進んでる」って思ってしまうんですけど、まだまだ、なんですね]― まだまだだと思いますね。[でもそれによって、本当に生活スタイルが変わって、嫁選びとかも大変ですね、男性の方も。だって家族といる時間が強制的に長くなってしまうわけですし、他に遊びに行くとお金がかかるから、家族といた方がいいと思うんですよ。そうなると、昔のお父様みたいな「家に帰って会う嫁」だけじゃなくて、共に楽しむということをしていかなくちゃいけない、ということですよね]― そうですよね、だからワークライフバランスってすごく良く出来た概念だと思っていて。実は労働運動の中でもその概念を取り入れてずっと運動してきたんですけれども、いわゆるワーク、働くことと、ライフ、自分の生活時間とのバランスを取るということなんですが、この一時の、一過性の、一点だけではなく、人生を時間軸で取ったときに全てにおいてバランスを取っていこう、という政策だと私たちは理解をしていて。例えばある人生の一点では、やっぱりどうしても働かなければならない時ってありますよね? 全てを費やしてでも働かなくちゃいけない時期もあるし、と思えば、ちょっと働きはセーブして家庭にシフトして、時間を家庭に充てていくという時期があってもいいわけなので。労働者の選択によって出来るような社会を作りたいな、という思いがあります。[国民の代弁者の方がそうやって声を上げてくれる、というのは、国民にとって有難い話ですよね。昔はもう本当に、野垂れ死にって言ったらアレですけど(笑)誰も保障してくれないし、全てが自己責任という意識がありましたから。まあその分いい思いをした面もあると思うんですけども、社会というのは変わっていくな、という感じはしますよね。今、矢田議員がおっしゃっているのは、今は「自助」の社会で、自分が自分を助けて頑張っている社会。それを「共助」、共に助けているの社会にしていきたい、と。それはあの、カーシェアリングとか、そういうことでしょうかね]―もう少し大きな概念でとらえてまして、今本当に皆さん、生活面においてね、「不安はありませんか」という国民的な調査があるんですが、その中でも40代、50代になれば6割の人が不安を感じていると答えていて、その不安が一体どこからくるものなのか、きちんと分析が出来てないんですね。でもやっぱり今の生活もだし将来に対しても不安がある。どんどんその格差が広がる中で、今や世帯ですよ、世帯所得が…男女二人が働くという共働きを前提として、世帯所得が300万円以下の世帯が30%を超えてるような世の中なんですよね。そうした時に本当に将来に向かって夢が持てるのか。特に若者ですよね。私たちの時代は、さっきの年表であったように努力して頑張ればある程度賃金は上がるし、自分も報われるというか、努力して頑張っていけばポジションも上がっていくと実感していた世代なんですね。だから今のように「正社員になれて良かったよね」って、普通の働きをしている人がみんな非正規で、っていうことは有り得なかった。だからこそ不安のない社会を目指すうえで…まあ自己責任を問うこともわかる部分もあります、自分も努力しなくちゃいけない。ただそれだけでは律しきれない世の中なので、やっぱりご近所さんとか地域の方とか、もっと国民全体が…いつもいつも勝ち組でいるばかりではなく、やっぱり病気もするし仕事を失う時もあるし、そうしたいざという時に助け合える。それが政治の役割であって、目指すべきことなんだろうな、と思ってきたので。これは組合でやってきた助け合いの精神というのが自分の中には常にあって、それがベースとなって社会を作りたいな、という思いにつながっています。[昨日、今日のニュースですけどね、三越・伊勢丹、ちょうどバブル入社の48歳から50歳。退職金が5,000万以上っていうね、7,000万になる人もいる。辞めたいですよね、それだけあればね(笑)。あれ、税金取られるんでしょうかね]― そうですね、取られますよ(笑)。[半分くらいになっちゃうかな]― そんなことはない、退職金は。それほどの税金ではないので大丈夫ですが。[じゃあ5,000万円ずっと持ってたほうがいいかもしれない、働くより(笑)。考えちゃいますよね~]―そういう人は少ないと思うんですよね、これから。今、最後じゃないですかね。[今辞めるべきですね]―  (笑)お金のことだけ考えたら。まあ私は、出来れば生涯現役、健康であれば。今はもう60歳で定年退職するという選択もありますけど、そうじゃなくて、だってこれだけ平均寿命が延びて男性も80歳を超えてるわけなので。元気であれば、働きたいという意思がおありであれば、働いていただいて社会を支える、それが共助なんですよね。働いて支える側に回っていただく、ということの選択が出来る世の中にしたらいいな、と思っているんですけどね。[矢田議員のお話されてることは最もですし、絶対応援したいなと思うんですけど、一応「野党」じゃないですか。与党が聞いてくれなくて忸怩たる思いをされることって多いですか?]― ん~、そうですね。国会議員になって思う事は、本当は野党対与党という対決の構図ではなくて…最初の話に戻りますが、マスコミの話がどうしても「野党なので反対してます」というのが大きく出ちゃうんですね。[8割以上賛成してるんですよね。それが全く取り上げられていない。反対する人と思われてる(笑)]― そうなんです(笑)。反対してなくて、いいものはいいし、是々非々で取り組んでいるということを報道してほしいな、と。政権も、当然いい話は頷いて聞いて下さるし「一緒にやりましょう」というのも肌身をもって感じることもあるんですね。そういう仲間づくりを、与野党関係なく今後していきたいな、という思いがあります。[やはり労働組合ですと自民党に入っちゃうということは有り得ないですよね?]― …有り得なくはない(苦笑)。多分立ち位置が、働く者だとか生活者だとか消費者、そういう風な立ち位置で声を届ける役割なので。今で言えば民進党になるのかな、と思います。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―そうですね、何をお話しようか迷ったんですが。私が出馬を決意した時に、一番ハードルとなったのは息子の気持ちなんですね。[優しいお母さん…]― いえいえ。やっぱりこの子を一人ぼっちにして本当に立候補していいのか、自分も悩んだので。[しかも小学6年生だったんですね。「ママ命」のとき]― そうですね、「ママ、ママ」の時だったので。まあ話を最初した時にですね、「お母さん、参議院議員になろうと思う」と言った時に、ちょうど6年生の三学期は社会科の時間で、「国会議員とは」というのを教科書で習っているところで。[三権分立とかね]― そうなんです、ちょうどやっているときで、参議院・衆議院とか書いてあるわけですね。「お母さん、何で参議院議員になりたいの?」とか、色々具体的に聞いてくるわけです、素直に(笑)。そこで、自分の心の中の整理も、真面目に答えることで整理が出来て。ひとつ、ふたつ話をしたんですが、私や息子が住んでいた寝屋川市は、シングルマザーがとても多い地域でして、いわゆるお一人でお子さんをたくさん育てて、淋しい思いをいているお子さんもたくさんいたんですね。今、子供の貧困率が6人に1人と言われてますけれども、意識せずとも…例えば授業中ですね、教科書が無料なんですね。でも、笛とか習字の道具とかって絵具とかって、あれは副教材。買わなきゃいけないんですよ。しかも学校が提供してくる所で買わないといけないので、ほとんどがすごい高いんですよね。で、やっぱり全部買えない子たちもいるわけですよ。参観日に行っても「絵具を持ってないから」と授業に参加していない子とかですね。「こんなの何とかならへんのかなあ、

」という話をしてきたり。地域のサッカーチームに入ってて、月謝1,000円を払ってやってたんですけどね、その1,000円がしんどくて友達が入られないんだ、という話を聞いたり。息子も心なしか「何で、こんなのおかしくない?」っていうことを私に問うてたので、「おかしいよね? だからお母さんやりたい」って。[賢い子どもですね~]― 「そういうのおかしいよね? 誰でもきちんと学べてきちんと食べて。あんたたちに大人になってしっかり働いてもらわんと、私を支えてくれる人になってもらわんとあかんのよ」と話をしながら、自分も心が固まって。あの時間というのは貴重やったなあって思いますし、息子も「わかった、お母さん。俺の友達のこともうやってくれるんやったら、淋しくても我慢するからやって」と背中を押してくれたんですね。それで決心が固まった。[そうですか~。多摩地域なかったですから、そういうの。皆もうサラッとしているから(笑)。大阪の方の話を聞くと胸を打つことが多くて]― (笑)申し訳ないです、つまらない話ですよね。[そんなベタに生きたことがなかったから。本当、人生を悔いますよ(笑)]―まあ、それがあったので、国会議員として辛い事も正直ありますけども、あの日の出来事だとか自分が働いてきたときの、やっぱりこの瞬間も一生懸命汗を流して働いている人たちの顔を思い浮かべれば、「ああ、何を泣き言を言うてるんだ、頑張らなあかんな」という気持ちになれるので。それをひとつの糧にして頑張りたいな、と思っています。[これはちょっと差別になるのであまり言えないかもしれないですが。例えばなんですが、あまり働かない国の方っていらっしゃるじゃないですか。日本の労働者は勤勉だと言われてきているわけですけども、そういう働かない国の労働者に対してどうなんですか?]― そうですね、働くということが、イコール幸せなのか、ということなんですよ。私は、働くイコール苦役ではないと思っているんですね。だからその国だと、働くことにその楽しさを見出していなくて他に楽しい事がたくさんあるので、他の楽しいことをしながら幸福度を高めて暮らしていく、という基盤がある国だと思うんですね。日本は昔から勤勉性ということを重視してきた。[資源がないですからね、働かざるを得ない、というのがありましたよね]― そうですね。決して働くことは苦役ではなくて、私はいつも「労働の質」というんですが、働くことによって得られる充実感、やり甲斐。これもひとつの報酬だと思っているんですよ。[いい話ですね]― 自分もそうだった。何も出来ないのに、会社に入って色んなことを学んで、充実感があってやり甲斐につながってまた更に行くという、そういう社会を作りたいという思いが強いんで、この日本で勤勉さ、こつこつ働き、皆さんも自己成長していけたらいいな、と。[矢田議員の話を聞いていると、明治の文明が開いてから大正、昭和、女性の労働力があまりにも軽視されて勿体なかったな、という気がしてならないですね。もうちょっとね、女性の勤勉さとか頭のいいところを生かせれば、日本はもっと 大国に生まれ変わったんじゃないかな、と。本当に惜しい事をしたな、という感じが…男性社会の陰に隠れて]― 女性にしかないものってきっとあると思うので。脳のつくりが違うって、脳科学者の方がおっしゃってますけどね。そういうものを活かした、社会の中で活かせるような働き方を私たちもしなくちゃいけないし、またそれを活かせる社会に逆にならなくちゃいけないかな、と思っています。そうすれば安倍さんのおっしゃるような、もっともっと実質的な経済成長が出来る国にもっと生まれ変われると思いますので。一人一人の持っているスキル、能力を最大限に引き出すような政策をやりたいな、という気持ちでおります。

[どうでした? 番組]― 申し訳ありません、初のテレビ出演ということもあって大変緊張しまして(笑)。言葉が出て来なくて。素晴らしいなと思います、佐野さんのようにマスコミで活躍されてる女性は。[私はすっかり矢田さんのファンになりましたよ。私が労働組合にいたら絶対尊敬すると思います。なかなかね、こうやってずっと一企業で働いてきて、今国会にいらっしゃる方っていないから。頼もしいというか、一緒に頑張りたいなという気になりますね]―あ、ありがとうございます。是非また国会見学にもいらしてください(笑)。