石上としお
バスト石上
第214回
2017年12月26日 放送

民進党 石上としお 参議院議員

はじめてお会いした石上議員は、第一印象国会議員さんらしくなく、

商社かなにかにお勤めの高級?サラリーマンの雰囲気。

それもそのはず、東芝出身、労働組合、電機連合を代弁する国会議員だからでした。

新潟の柏崎から上京し、川崎の半導体関連のトランジスタ工場(昔からの名称)に勤務。

それからは半導体一筋。そして、労働組合の幹部を経て、出馬することになったといいます。

東芝の製品を一つだけ挙げるとしたら「ダイナブック!」と胸を張ります。

「ものづくり日本」の原点回帰を叫ぶ石上議員。

日本発祥のCRロム、DVDなどは、日本での生産は皆右肩下がりで、海外に持っていかれてしまっています。ものづくりのための雇用が増える社会背景、日本が家電からまた希望をもらえるような社会を作りたいと、訴えます!

 

(動画より文字起こし)

民進党(比例区)1期目 2017年 12月 26日 収録時点

 

[矢田わか子さんからのご紹介で、選挙の背景も似てらっしゃって。労働組合のご出身ということで]― 同じような電気関係の仕事を。[電機連合というところのバックで国会に出ているということですね]― お互いに電機メーカー出身ということですね。[どちらでしょうか?]― 私は東芝ですね。[石上議員は国会議員と言うカテゴリーより、やはり一流メーカーの方、という感じが凄くしますね]― そうですか?!(笑)ほめて頂いてありがとうございます![違うんですね、ナショナルブランドはね]― 照れちゃいますね、(笑)すみません、ありがとうございます。[労働組合ご出身と言うことで、民進党ですよね。民進党は今年、選挙がありましたけれども、参議院ですから直接選挙は関係なく過ぎましたが。前原さんも枝野さんもこの番組に出ていて、党首選でしたっけ?]― 代表選です。私は選管でした。[今、思うとあの代表選は何だったんだろうと]― でも、意味はあったと思います。枝野さんと前原さん、それぞれ主張されていい討論会だったように思います。[半年前でした?]― 9月1日が代表選だったので3カ月前ですね。その頃は民進党はとにかく、みなさんと支え合う世の中にしていくんだ!という思いで。今はちょっと別れましたけれども、その思いは変わらずに。[今、民進党は何名国会議員がいらっしゃるんですか?]― 民進党は参議院が46名、衆議院が14名、60名ですね。でも、衆参合わせると野党第一党なんです。衆議院だけとらえちゃうと、ちょっと違ってくるんですけどね。[初当選が2013年ということですので、その頃に比べるとだいぶん減りましたよね]― そうですね、2013年の時の我々、民主党の選挙もまた大変で。参議院の全国比例で当選できたのが7名で。選挙区で当選出来たのが10名なんです。それまで40名ぐらいおられましたので。2013年選挙組のところでがさっと減っちゃったんですね。だから大変、厳しい選挙でした。[2013年からバッチを付けられて、再来年、選挙ですね。早いですね!]― 国会は毎年あわただしくて。2013年、当選したその年は、特定秘密保護法の強行採決があって。その翌年は衆議院本会議があったので。その翌年2015年が安保法があって、今年は共謀罪。年ごとに必ず何かがあるんですね。そういった意味ではあっという間に4年ちょっと過ぎました。

 

●幸せ度数年表

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[1962年生れ、どちらでお生まれですか?]― 私は新潟県柏崎市生まれです。柏崎をご存知ですか?[だから、好きな物が鯛茶漬け]― 柏崎が街をあげてですね、いろいろお店があるんですけど、お店の味をうまく調和してですね、みなさんに合わせたような味に作り上げている。あとは、ちょっと沖の方に島があるんです。そこの海流の流れが速いので、そこで獲った鯛は身が締まっていて美味しい。そこの鯛を使っているので美味しいんです。[それじゃ、ここら辺の赤坂近辺の鯛茶漬けは食べられないでしょう?パサパサしちゃって]― いやー、(笑)そんなことはないですよ。高くて食べられません。(笑)[お父さんが早く亡くなっていますね]― そうなんです。自分が幼稚園の時ですかね。だから5歳の時に亡なりました。なので、あんまり記憶がないんです。だからあんまり幸せ度には影響していないんです。記憶がないので。[どのようなお家だったんですか?]― 父は柏崎燃料という会社をやっていたんです。ちなみに常務だったんです。5人しかいないんです。(笑)そんな感じの会社で働いていたとい聞きました。営業でバイクで出ていて倒れて、そのままというのは聞きましたね。兄は足が速かったものですから、岐阜の高校にスカウトされて行っちゃいまして。それから祖母と母と3人で。途中で祖母が亡くなって、そんな感じでしたね。[そして卒業、就職で川崎に]― 東芝に入るために川崎へ出て来ました。[そこで東芝との出会いがある訳ですね]― 私は田舎者でしたから、川崎も横浜も東京もみんな東京だと思っていて。地元の友達に「おれは東京に行く!」と言って出てきたら川崎だったんですよ。駅前に工場があった時に行ったんですね。反対側に降りれば華やかだったんですけど、工場がある側に降りたんで、これ、淋しい町だなというのが最初の印象です。[当時の川崎は今思うと、ノスタルジーですよね]― 今は駅前はガラッと変わっていますけれども、再開発で。今は昔の川崎の町をなかなか思い出せないですね。[東芝にめでたく入社されて、一番初めの配属はどちらだったんでしょうか?]― 私は半導体事業をやっている、その頃の名前は東芝トランジスタ工場という名前だったんです。1980年のこの辺って、半導体は集積回路ではなくトランジスタで、それを作っていた工場で。しかしだんだん、トランジスタからICに変わってきた時代で。その後は玉川工場に。そしてずっと半導体一筋でやってまいりました。[18歳で上京されて東芝に勤務されて、どうでした?]― その頃ね、直属の10歳くらい離れた場長が軟式野球をやってまして。入社してすぐ、石上君、ジャージ持ってるか、というから持ってますと言ったら持って来いと言われて。何をするのかなと思ったら、昼休みに玉川の土手に連れて行かれて、「今度野球部に入る、石上だから」と言われて。えー、そんなの全然聞いてない。無理やり入らされて。そこが一番つらかったですね、。陸上部だったものですからね、野球なんかやったことがないので。無理やりやらされてね、球は取れない、打てないでしょ。挙句の果てに「取れないんだったら、おまえ田舎に帰れ」と言われて。今で言うとちょっとパワハラですけど。(笑)仕事の方は楽しかったですね。あんまりこれを大々的に言うと語弊があるかもしれないけど。[でも、時代ですからね。そうやって社員同士の結束を図っていったという。優しい先輩ですよね、今思うとね]― そうですね。結局は仲人をしてもらったんです。(笑)そういう風な懐かしい思い出ですね。その後、近隣の事業所に移ったこともあるのですが、20年間、半導体一筋でした。その間、前半10年は技術部の方で製造技術をやっていて、後半10年が製造部の方で製品技術をやったり製造技術をやったりしていました。[1989年に結婚されて、長女様が誕生されて、中古住宅を購入したということですね]― ここまで、トントンと良かったと思うんですね。[ここまでは普通のサラリーマンの方ですね。どうしてバッチを付けているんですか?という感じですよね。(笑)そして2000年に労働組合の専従役員になる。労働組合は何時から入るんですか?]― ユニオンシップ制なので18歳から入っているんですね。ユニオンショップ制だったんですけど、家のおふくろが「敏夫、おまえ労働組合には入るなよ」と。その頃の労働組合というのはちょっと違う色のイメージが、赤いとか?会社とやり合うから、おまえ、入るな、わかった!と言って出てきたんですけど、いざ来てみたらユニオンシップ制なんで、従業員イコール組合員なんですよ。18歳で入った時、工場に入った新人は二人だったんです。今は北海道に居いますけど、同僚は。なので目立っていてですね、直ぐに呼ばれて組合の仕事を手伝わされたのが始まりですね。いろいろな活動があって。[そして本部の役員に2008年になりましね。幸せ度数が下がっていますけど]― 専従役員というのは職場を離れて、ずっと半導体の仕事をやっていたんですけどその仕事は休職して。ですから東芝の会社を休職して、事業場の専従役員に。いろいろあって荷が重くて。2000年あたりでITバブルがはじけたんですね。それで結構大変で。川崎でも半導体の製造をやっていたんですよ。それを地方にどんどん振り分けていたので、持って行ってコスト力を付けて対抗するという感じだったので、人の異動をやる時期になっちゃったんで。会社からの提案に回答したりとかあったので、ここ、かなり落ち込んで。(幸せ度数年表を指して)そんな仕事をしていて本部の役員にもならさせられてしまったという。[そして2013年に選挙に出る訳ですが。いつ頃言われたんでしょうかね]― これがですね、最終的に決めたのは選挙に出る2年ぐらい前ですかね。[それじゃ、東日本大震災の時ですね]― ええ。話的にはその1年半前ぐらいから。東芝のグループの労働組合として電機連合という組織があるんですが、そこの代表として参議院に出る人を出せというような形でね。[まさか自分に!ですよね]― まさか自分に来るとは思いませんでしたね。[自分で手をあげた訳ではないんですね]― それはなかったですね。そういう人がいると思ってですよ、期待していたんです。そういう立場です。事務方の立場で。これだけ大きい組織なので誰かいるんじゃないかと思ったんですが、いなかったですね。よく考えれば、政治をするために東芝に入った訳じゃないんで、みんなね。冷静に考えてみればそうなんですよね。(笑)[この間、出て下さった、矢田わか子さんも松下電器で労働組合の幹部をやられて、いきなり呼ばれて出馬されてという。矢田わか子さんも石上先生もそうですけど、人物が違うなと]― そうですか!![なぜかというと、一般的に自民党がやっている公募で、その時の面接が良くて、スペック、肩書が良ければ通るという人が結構多いじゃないですか。でも労働組合の環境の方は日々会社で接している同士の方が推薦してくれる。これは人格をごまかせないというのがあると思うんですよね。クセとか人格とか熟知した方が推薦して下さるということで]― 矢田さんの場合は素晴らしいんですけど、僕の場合はそんなに。(笑)会社のつらい状況を見て、何とかしたいいなという思いがあって。「おまえ、やれよ」と言われたんで、みんなが一緒に頑張ってもらえるんだったらということで、こういう話になっちゃったんですね。[今、車もシェアリングとかもありますので、家電物もシェアリングという考え方がこれから出て来るかもしれないですね]― そうですね。[浜口誠さんはトヨタの労働組合でしたよね。来て頂いて、車業界のこれからをお話頂いて]― 国内販売台数は減っていると聞いています。海外の売上で補てんしていると言っていましたけど。[それこそ家電も一人一個じゃなくて、いらなくなったら回してという感じになってきちゃうかもしれないですね]― 枝野先生が言われていたんですけど、人口が減って世帯が減る、世帯が減ると家電って売れなくなるんですね。一つの家のなかに5台も6台もテレビはいらないですから。そういったところで活性化させるには、なんか考えていかないとおけないと言われていたので、そうだなと思っています。[家電業界の代弁者として頑張って頂きたいと思います]― 家電業界は厳しいんですよね。[今、バルミューダのオーブンレンジトースターとか、新興の会社が作っていますよね]― そうですね。あとはコスト、デザイン。どこで勝負するかというと、機能的にはほとんど変わらなくなってきているので。[ナショナルブランドは万人に好かれる物を、田舎の方にも都会の方にも好かれるデザインですものね]― パナソニックさんのはいいですよね。うちも負けないように頑張ってもらいたいと思っています。

 

●最近の政治トピックス

 

[東芝の島耕作とか言われていたんですか?]― ええ、ちょっとは。いえ、(笑)言われていません。(笑)1984年に東京芝浦電気から東芝に名前を変えたんです。名前を変えたその時は、お祝いで金一封が出たんですよ。[名前を変えると会社から金一封が出るんですか!]― 毎年、名前を変えてくれと、みんな言ってましたけどね。東京芝浦電気から株式会社東芝に名前が変わったんですね。1980年代ですからね、あの頃は良かったんですよ。電機業界も右肩上がりで。[電機業界の代弁者として、労働組合の頂点に立っている訳ですから、そこから意見を吸い上げて伝えしていると思うんですけど、一番やっていることで何か教えていただけますか?]― 電器産業を何とか元気にいしたいというのが根本にあるんですね。それは何かというと、さっきの年表にも出てきましたが、選挙に出る前も、選挙は2013年の7月にあったんですが。その2年位前の全国を回ったんですね。[47都道府県を?工場とか、販売店とかそういう所ですね]― どういう政策をしたらいいだろうと聞きにまわったんですね。東芝だけじゃなくて。パナソニックさん、日立さんも回ったんですけど。2000か所位、回りましたね。[東芝の代表じゃなくて電機業界の代表ですからね]― そうです。みなさんから言われたのは、何とか不安を解消してくれと言うんですね。不安って何?というと三つに分類できるんですね。生活、生活というのは教育とか医療とか。さらには将来に対する不安。三つ目は自分の働く職場がこれから大丈夫なのか。そこが安定しないと生活は安定しないんで、それをどうやってやったらいいかというのを基本に進めさせて頂いています。[まさしく景気と同じですね。不安な気持ちが悪くしているということですね](大きなパネルが運ばれてくる)参議院の予算委員会で質問に使ったパネルなんですが。下のグラフを見て頂くと一目瞭然なんですが、全部右肩下がりなんですよ。CDロムとかDVDプレイヤー、液晶テレビ。これは日本のお家芸なんです。出した時はシェアは100パーセントなんです。[開発して作っているから]― あっという間に、2、3年でシェアが落ちて来る訳です。何で落ちて来るかというと、コストで合わなくなる、負けちゃうんです。[海外に行っちゃうんですね]― ひとつの製品だけだったらいいんですけど、全部こういう傾向があるんですよ。[全てですね。CD-R,DVDプレイヤー、カーナビ、液晶テレビ]― 1980年代は結構が調子が良かった、1990年代も多少は良かったんですけど、段々と落ちてきた。そこを何とか政策とか、国に対しても省庁への質問という形で、尻を叩くという訳じゃないですけど、何とか頑張っていくぞ、というところを求めながら元気にしていこうと、そういう政策をやらせて頂いています。[これは知的財産を守るという必要があるんですね]― それもあります。[きれいな右肩下がりですね]― あまりにもきれいで、ビックリするんですよ、残念です。ここを何とかしたい。国内で物が作れない。良質な雇用を確保できるのは製造業が一番なんです。多くの方が働ける環境がありますから。それを地方の工場をどんどん集約してしまう。だから地域が疲弊してしまうというところにつながってくるんです。究極は日本の産業を物づくりを元気にしていかなければいけない。海外としっかりと戦えるような環境を作っていかなければいけない。みなさん携帯を持たれていると思うんですけど、昔、東芝も携帯をやっていまして。東芝の携帯は富士通さんに譲渡して、アロウズという商品名でやってますが。今、日本の携帯はシャープさんと富士通さん。だいたいアイフォンとかサムソンのギャラクシーとか。ソニーもエクスペリアですかね。こういうのを見たらアイフォンがダントツですよね。私もね、日本の電機産業のやつなのに何で日本の携帯を持たないんだと言われるんですけれど、私もアイフォンなんですよ。(笑)でも、アイフォンの内部、6割以上は日本の部品ですから。この中に入れている半導体とかが、私が就職した1980年代、世界の売り上げベストテンの中に日本のメーカーが7社ずっと入っていたんです。NEC、日立、東芝の順じゃなかったかと。今はベストテンの中にいるかいないか。東芝がちょっと入っているぐらいですよね。[早いですよね、10年で企業が入れ替わっちゃっているし、何年かは景気が良かったけど、これからはダメだとか、また良くなったりとか、いろいろ変わっているんですよね]― そこを何とかして。IT企業系も、アマゾンさんとかグーグルさんとかに席巻されつつあるじゃないですか。何とかここで日本は踏ん張ってどっかで逆転しないといけないと思っているんです。[モチベーションをすべて無くしたな、という感じにならないようにしなくてはいけないですね] ― 右肩上がりの成長をしている時には企業が進む方向で、こういうのが出てきたなと思ったら国が行ってルールとかを作ればいいんですけど、今はそういう時代ではなくなってきた。ある程度、みんなこっちの方でしょ、行ってみようかというところも、言っていかないといけない時代になってきていると思うんですね。そういったところは我々がしっかりと、政策を提言したりしながら、話し合いながら進めていくというのが必要ではないか。そういったところをまず、やらないといけないなと。[本当ですね、改めてものづくりということのね希望というものを思い返さないといけないですよね]― ものづくりをするのは人なんで、今、働き方改革と言われていますが。労働条件もしかり、さらにはその人たちが将来に向けて安心して暮らせる環境というものも必要なんで、将来不安を払拭するための社会保障制度。これも全部つながってくるんですね。産業が元気になることが必要なんですけど、これを支えるのが人なので。人も元気になれるように。全部つながっているという感覚でさせて頂いているところです。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[今、ずっと家電の話をさせて頂きましたけど、石上議員が東芝さんの製品の中で一番好きな物は何ですか?愛着があるものとか、思い出があるものとか。何でもかまわないんですけど]― うーん、一番ね。我が家はみんな東芝製品なんですけど、引っ越した時に東芝製品は、据え付けが無料だと言われて。当たり前ですよね、東芝の社員が東芝の製品を使うのは。何がいいか、パソコンかな。[何という製品ですか?]― ダイナブックです。ご存知ですか?宣伝していいのかな。[ノートパソコンですよね]― そうです。参議院で支給されるパソコンは東芝ですから。[それは誉ですね!]― いやー、素晴らしい![すごく嬉しそうですね。(笑)]― (笑)電器産業全体の議員なので。あまり強調してはいけない。反省をしております。[裏話的なお話をお願いします]― 本当に失敗ばかりするんです。みなさんはお酒を飲みますか?私はお酒が好きなんですが、あんまり容量がないんですね。[やらかしちゃうんですか?(笑)]― そう。入社してしばらく経つと先輩に連れて行って頂くんですよ。豹変するわけじゃないんですよ!楽しいからついつい飲み過ぎるじゃないですか。その日は後悔しないじゃないですか。[イケイケですからね!]― 後悔するのは翌日じゃないですか。しかし、諸先輩から「飲んだ日の翌日は絶対に休むな」と言われでしょう?[早く来いとかね]― その次の日に出勤しました。しかし、だんだんと気持ち悪くなってくるんですね。気持ち悪くなってきて、その頃は技術部にいたんですね。行き先に製造課を書いて。実はね、製造課の建物の屋上にベンチがあったんです。そこで、飲んだ次の日はちょっとて寝ていたんですね。言っちゃって、いいのかな?もう時効だな。当時は屋上にバスケットのコートとか、反対側の工場の屋上にはバレーのコートがあったんです。[昭和ですね!]長いすがあって、そこに座って昼休みはプレーする人を応援するという。そこでしばらく仮眠を取らせて頂いて。すみませんでした!その当時の上司の方々。(深々と頭を下げる石上議員)[今でもお酒はかなり飲まれるんですか?]― 好きですけど、(笑)ちゃんと、ほどほどに、ブレーキをかけて。[議員宿舎に帰るわけですよね。そうするとカメラマンの方とか新聞記者の方とか待っているじゃないですか]― 参議院と衆議院で違うらしく、衆議院の方が結構いるんですよ、記者が。参議院は何か話題があるとおられますけど。自分なんて飲むとすぐ顔が赤くなるので、絶対に飲んで来てるとわかるから。飲んでも全然飲んでないよみたいな人がうらやましくて。飲み会に行ったらその後に公式な会合には出れないというタイプです。公式な会合がこの後あるんだったら飲まないと思っても飲んじゃうみたいな。(笑)[やはり日本酒ですよね]― よく聞かれるんですけど、新潟だから日本酒ですよねと。日本酒も好きです。でもやっぱりビールが好きですね。[本当に昭和のサラリーマンを永田町で体現しているというかね]― しっかり昭和ですね。[今度、元号が変わりますよね。何になるんでしょうかね]― この間テレビで、略称のMTSHこのアルファベット以外の文言じゃないかと、この間言ってました。[じゃあ、Iとか、Aとか]― 誰かがRじゃないかと。

[これで終わりますけど、どうでしたか?]― 昔話をさせて頂いて、これで本当に良かったのかなあと思いながら、今ちょっと反省しておりますが。(笑)[これからもご活躍を期待しております]― 頑張ります!みなさんが幸せな生活を送れる日本のために!