石井 浩郎
ac63
第20回
2012年02月29日 放送

自民党 石井 浩郎 参議院議員

(動画より文字おこし)

自民党 秋田県選挙区 1期目 (2012年2月29日収録時点)

[この方国会議員なんですが、なんと野球選手だったんですね。]-そうなんですよ。

[近鉄時代のイメージが強いのでこうしてバッジを付けて永田町に行ってらっしゃるっていうのが、そしてみわちゃんねるに出てくれたというのが、とても光栄です。]-私も今永田町で仕事しているのがなんか違和感がね。

[まだ2年目ですものね。]

●幸せ度数年表

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第20回石井浩郎

[生まれた時は]-生まれた時というか高校を卒業するまではずっと秋田に居たんですけれども。小学校4年から野球を始めて、小・中・高校とずっと野球をやってたんですけれども、野球が3年の夏に終わると受験なんですよ。中学・高校時代に明るいうちに家にいたっていう記憶がないですね。部活が終わったら受験だったんで。今考えると楽しい思い出って全くないんですよ。 [そうですか。でも普通じゃないですよね。野球選手になる方っていうのは“米俵の1粒”っていうじゃないですか。そんな中でも選りすぐりの方なんですから・・・]-運もありますから。 [実力ですよ。秋田では、普通の小・中・高校生よりも抜きに出て上手かったんですか?]-僕らが高校生の頃、秋田のレベルって高かったんですよ。いっしょに高校時代に野球をやった秋田県内の球児は、数えたら10人ぐらいプロに行ってるんですよ。 [ちなみにどんな方がいらっしゃるんですか?]-今ソフトバンクのピッチングコーチをやっていらしゃる高山さんとか、剛速球ピッチャーで。僕の1個上では、松本さんっていう当時の秋田経法大付属から横浜、昔の太陽ですね。良いピッチャーが多かったんです。 [でも、石井選手は内野手でしたよね。]-僕よりも良い選手はいっぱいいたと思うんですけれどもね。 [中・高はエースで4番だったんでしょうね。]-ピッチャーもやりました。もう引退したから言いますけど、本当はピッチャーはやりたくなかったんですよ。僕は体が硬いんですよ。1試合投げると、しばらくダメで・・連投がきかないタイプで。野手で行きたかったけれどチーム事情があって。最上級生になるとピッチャーがいなくなって〈やれ〉と。背番号1を付けながらファーストを守っているという・・ピッチャーがイヤなオーラが出てたと思うんですけど。高校を卒業するまでは40(年表の指数)ですが別に低いわけじゃないです。卒業した後はずっと50(年表の指数)なんでね。 [みんな絶好調で100ぐらいですよ。]-そうですか。だって絶好調で100だったら、後は落ちるしかないじゃないですか。 [まあ、そうですよね。勉強もされてたんですか?]-結構厳しい受験戦争を2回やってます。 [そして早稲田大学に入ったんですか?すごいですね。野球で特別入れたんですか?]-いや、一般受験です。早稲田大学の野球部は、上下関係が非常に厳しかったんです。ハンカチ王子は僕のずっと後輩ですけれども、彼の時代は上下関係が甘かった。斉藤君が1年の頃、よくニュースで早稲田の球場で、白い歯を見せて真っ白いユニフォームを着て、練習してる姿が出てましたが信じられない。ユニフォームは真っ黒だし練習中に白い歯を見せたら、連帯責任でみんなで正座ですよ。 [え~!そんなに厳しかったんですか?]-高校生・中学生というのは入学して、7月になると3年生が居なくなるんですよ。3-4ヶ月我慢すると比較的楽になるんです。残るのは1-2年生だけですから。で、2年間は新人なんです。3年になるまでは上級生になれないんです。すごく長いです。先輩の目を睨んでしまったりすると、もう連帯責任。あいつは俺にガンを飛ばしたと。全員説教だと。朝練習が始まる前に2時間グラウンドの整備をやるんです。9時から新人練習だとすると7時からグラウンド整備をやって、昼まで練習をやって、お弁当は5分で食べて、1時からのレギュラー練習のために1時間グラウンド整備をやるんです。1時から夕方5時までのレギュラー練習をやった後が、その日のメインイベントなんです。また新人練習があるんですが、もう暗くなっているけれど3-4年の怖~い先輩がベンチで残って新人練習が終わるのを待っているんです。説教する為に・・・。 [それがメインなんですか?大変!]-ええ。夕方5-6時からがその日のメインイベントです。ある日は、〈新人100周!〉その一言で1分後にはみんな列を組んで声かけながら100周したわけ。7時からグラウンド行っての夕方6時からの100周ですから。 [じゃあ、斉藤祐紀さんのはホントに信じられないですね。よく分かりました。]-そうですね。何処の大学の野球部も今は随分と甘くなってると思います。僕らの頃は〈100周!〉って言われて〈え?〉とか〈はあ?〉とか言ったら、大変ですよ。200週ぐらいになっちゃいますよ。もう〈はい!〉しか言えないです。厳しかったんですが、30年ぐらい野球をやった中で、いつの時代が1番良かったかと言うと、やっぱりこの大学1-2年なんですよ。 [1番厳しい時代が?]-良い思い出というか・・・だから落ちてないんです(年表50%)。僕の中では50%最高ですから。今考えると何ていうか、為にもなりましたしね。田舎から御山の大将で出てきたのが、しっかりと上級生に礼儀とかあいさつを徹底的に仕込まれて、〈世の中ってこういう理不尽があるんだな〉っと勉強させてもらったんですよ。 [今は自民党にいらっしゃって、上下関係というのはどってことないわけですね。]-僕ら1期生は国会対策委員なんですよ。 [人が少ないから・・]-いや、昔からの伝統で。 [そうなんですか。]-自民党の参議院の国対っていうのは非常に大会(大規模な集まり、大きな会合)なんです。昔から厳しいらしくて、私は全く違和感がないんです。大会で育ってない人はずごくピリッとした雰囲気なんです。 [三原順子さんもつっぱりだったから大丈夫です。]-いや、そんな事言えないですけど。違和感はなさそうです。何か発言するときは手を上げて立って発言しなきゃいけない。 [携帯なんか見てちゃいけないんですね。]-いや、そんな雰囲気じゃないです。衆議院の方はまた少し違うかもしれないですけどね。 [私は永田町に通って10年になるんですけど、参議院に行くと牧歌的なムードで、衆議院はいつも戦闘モードなんですけども・・国対は違うんですね。]-脇国対委員長には厳しくご指導いただいて。 [何方の伝統なんでしょうね。]-かつては、片山虎之助さんとかですけど、委員が足を組んで靴の裏が委員長の方に向いてると〈俺に靴の裏を向けるな!〉とか、そういう事があったらしいです。厳しいんですよ。 [古き良き自民党ですね。]-そうなんですよ。僕はそういう伝統ってのは良いと思うんですよ。 [ちなみに早稲田は何学部だったんですか?]-第2文学部っていう、東洋文化です。 [そして社会人になったんですね。]-プリンスホテルっていう西武系の。今はもう野球部が無くなっちゃってですね。 [そうなんですか。当時は社会人野球といえば“石井浩郎さん”っていうイメージがありましたよ。]-話を大きくしてないですか? [ホントですよ。プリンスホテルって有名でしたもん。]-プリンスホテルの野球部は、全国からドラフト候補生を集めてたチームなので、クリーンナップを打ってるとプロに架かるとか・・・そこで3年ですね。 [プリンスホテル系のお仕事はしなかったんですか?]-勤務に行ったのは12月だけですね。 [あ、やるんだ~。]-まず宴会サービスをやらされるんですよ。現場を知れ、という事でね。ドリンクを持って千人のパーティーを回ったりとか。ただ勤務に行ったのは、2~3週間ぐらいですね。 [出来るんですか?]-いや、やりましたよ。当時の堤社長(会長)は、〈野球をやるときは徹底的にやれ〉と。中途半端に勤務をしながらじゃなくて〈環境を整えてやるから野球を徹底的にやれ〉と。そのかわり〈都市対抗に出ろ〉と。社会人野球は都市対抗に出れなければ存在意義がないっていう事に、なってしまいますので・・・すごいプレッシャーでした。 [都市対抗野球は何度ぐらい・・・]-3年連続。僕らの時はもう10年近く連続でプリンスが出てましたから。 [モテたでしょう。都市対抗野球って応援がプロよりすごいですもんね。]-賑やかですよね。甲子園の高校野球ともちょっと違ってね。プリンスホテルの応援がまた素晴らしかったんですよ。西武のアイスホッケーからもチアリーダーとかが集まって、ものすごく華やか。 [そして近鉄に入ったんですね。どうして近鉄だったんですか?]-当時、プリンスホテルの4番がずっとプロに入ってるんです。 [例えばどなた?]-私の前年度は“中島輝士さん”という方でドラフト1位で日ハムに行って、オリックスで4番を打ってた“藤井康雄さん”。私の後もずっとプリンスの4番はプロに入ってるんですよ。僕は広島から〈ドラフト2位でいくぞ〉と言われていたんです。プリンスの監督にも〈おまえは広島に行け。広島は打線が弱いからチャンスがある〉と。話が出来てたんです。1位が広島でエースだった“佐々岡”で、2位が“石井”でいくと。広島球団とプリンスの監督の間では話が決まってたんですけども、ドラフト当日の午前中に広島から連絡があって〈指名が無くなりました〉と。ドタキャンですよね。もうしょうがないから、オリンピックを目指して頑張ろうと、言っていたその日の夕方に近鉄から3位で架かったと・・・[そうですか。]-当時の近鉄っていうのは、面白い球団だったですよ。“仰木彬さん”っていうすばらしい監督で。 [次に来るスポーツキャスターの“佐野正幸さん”から聞いたんですが、門限を叱って1番最後に帰ってきたのが仰木さんだっていう、くらいの遊び人でしたもんね。]-遊び人というか豪快な人ですよ。 [女性から見るとフェロモンがあってね。良い感じでしたね。で、近鉄は何年いらっしゃったんですか?]-7年お世話になりました。最初に入団したチームっていうのは、1番思い入れがありますね。[そうですよね。そして、いろいろありまして立候補をされたということで。]-僕は引退してから飲食の会社を経営しておりまして、それで・・・まあ私もビックリですよ。 [そのまま野球をやってたら監督さんとかねぇ。]-野球の監督というのは自分で立候補出来ないですから。待ってるしかないんです。タイミングを逃すともう無かったり、ですね。 [“中畑清さん”は別人のように生まれ変わりましたね。]-今1番生き生きとしてますよね。水を得た魚の様ですよね。で、まあ一昨年の1月、秋田の自民党の県連から〈どうだ〉って話があってですね。 [向こうからあったんですか。]-そうなんです。今秋田は参議院も衆議院も民主党に負けてると。何とかしなきゃいけないと。で、一昨年の1月っていうと、政権交代してまだ4ヶ月なんですよ。 [自民党が1番人気が無い時でしたよね。]-支持率が13か14%で。民主党と鳩山内閣の支持率が40%中盤で。いろんな人に相談しました。〈ホントに自民党から出るのか?民主党から出た方が良いんじゃないか〉って人が多かったんですけども〈いやいや、民主党さんがやってるマニフェストはおかしいんじゃないか〉と。僕は会社をやってましたんで、お世話になってる経営者の方がいっぱいいるんですけども、〈世の中には美味しい話なんてないぞ。これもあれもタダってことは裏に絶対何かある。この世の中は気をつけろよ〉って聞いていて、民主党のあのマニフェストっていうのは、あれもこれもタダでしょう。財源があれば良かったんですけれど、前年の政権交代してすぐに、蓮舫さんが〈事業仕分けやったけど、思うように出てこなかった〉と。これはどうなんだろう。財源があっての話じゃないですか。民主党さんがやっているのは間違った方向に行ってるな、と。あれもこれもタダってやると、国民の皆さんが甘えてしまう、社会や国に依存するようになってしまってまずいんじゃないか、と思って1ヶ月ほど悩んで。やっぱり、もう1回自民党が頑張って、国民の皆さんから信頼を得る政党にならなければ厳しいんじゃないかな、っていうことで立候補させていただいたんです。(スタジオ内:拍手~)[こんなに話せる野球選手はいないですよね。すばらしい。]-いえいえ。 [下世話な話をしていいですか?この時代で1番年俸が高かったのは、いくらですか?]-まあ、億以上は・・・ただね、税金がかなりありますから。でも現役の頃はね、その年俸をいつまでももらえるような気がしちゃうんですよ。金銭感覚が狂う所なんですが、私は学生時代に仕送りで寮費を払って、このお金で1ヶ月暮す、っていうね。飲むウィスキーは“サントリーホワイト”とかですよ。そこから始まってますから。当時、高校からプロに行って、活躍して2~3年で5千万とか1億になった選手っていうのは、いきなり“ヘネシー”から始まるんですよ。ヨーイドンで、ヘネシーから始まるのとサントリーレッドから始まるのとではね。私は狂わずに済んだかな。 [お酒はお強いんですか?]-嫌いじゃないです。 [猛牛打線ですからね。すごーい飲みそうですよね。今の国会議員の歳費っていうのは、1軍半ぐらいの選手の感じですよね。]-そうですね。今は野球選手も、2軍の選手も結構貰ってますから。ぼくの現役時代はね〈こんなに競争が厳しくて、大変な世界だな〉と思いましたけれども、議員をやらせてもらうと、〈気楽でいいな〉というのは、あります。現役やってる頃は大変でした。今の選手も大変だと思います。毎年100人近くの入れ替えがありますから。5年もすると12球団の選手が半分は入れ替わります。10年もすると人数的にはホントにごっそり代わるくらい。 [永田町もそうですよね。この間行って、知らない人ばっかりになっちゃってびっくりしましたもん。]-そう、そういう感じです。何年かおいて球団に行くと知らない選手ばっかりです。 [で、秘書さんが自民から民主に行って、〈へへへ〉みたいなね。]

 

[それでは、素敵なゲストをお招きしています。スポーツライターの佐野正幸さんです!](スタジオ内:拍手~)佐野正幸:宜しくお願いします。 [あれ、着てくれないんですか]-佐野正幸:あのね、良く考えてみたらね、石井選手が着てるユニフォームじゃなかったんですよ。こちらの方は(帽子を見せて)石井さんの帽子ですから。近鉄のフロントがお調子者で日本一になってるんですよ(帽子に書いてある)。近鉄はなってないんですよ。 石井:なってないですね。日本一になれなかったのは、近鉄だけだったんですよね。 佐野正幸:そういう事なんですよね。89年に3連勝しましたでしょ。ジャイアンツ相手に。で、4連敗したんですけれども。 石井:加藤哲郎がね。巨人はロッテよりも弱い、って言っちゃった。 [言ってないんですよね]-石井:え?言ってないんですか。 佐野正幸:言ってない、って言ってました。 [ちょっと待ってください。スポーツライターの佐野正幸さんのプロフィールをご紹介しますね。中学2年生の頃、阪急ブレーブスを応援するようになり、西本監督からファンレターの返事をもらって懇意になり、全国の球場を追いかけるようになる。大学4年、西本監督は近鉄に移籍、近鉄百貨店に推薦してもらい入社。社内応援団団長となった。そして西本監督といっしょに引退をすることを考えるも、選手からの慰留により]-佐野正幸:まだ日本一になってないのになんであんただけ辞めるんだと、言われて。 [そうですか。そして1988年作家を志して退職。スタンドからしか知りえぬパ・リーグの歴史を材料に作家業・司会・コメンテーター・トークライブなど、その活動は多岐にわたる。著書に【あの頃こんな球場があった】【もうひとつの「江夏の21球」】主婦の友文庫、など現在、北海道新聞、共同通信、等で連載中ということです。]-佐野正幸:よろしくお願いします。(スタジオ内:拍手~)[パ・リーグといえば、佐野正幸さんですが。]-佐野:パ・リーグもメジャーになってきましたからね。ちょっと有難いですね。 [そして、今は無き“近鉄”の生き証人です。]-佐野正幸:生き証人っていうと悲しいイメージがありますけどね。 石井:お世話になったんですよ。[何をお世話したんですか]-佐野正幸:いやいや、近鉄としては珍しく常識人が入ってきたんですよね。近鉄はどちらかというと、ハチャメチャだったですから。お酒の飲み方からして・・・良い意味で戦士じゃない、っていうかね。さっき、〈お酒はちょっとしか飲まない〉なんて言ってましたがね、ものすごい飲むんですよ。みんなそうです。聞きましたら金沢で、10人で行ってジョッキを200杯ぐらい空けたとか。その間にまた焼酎や日本酒飲んだり・・・。石井:えーと、その話、何処から聞いたんですか?クライアントと光山ってキャッチャーと・・・大島もいたかもしれない、6~7人で〈今日はとにかくビールを飲もう〉と。〈1番飲めなかった人が今日の支払いをするんだ〉と。最初から、僕が払おうと思ってたんですけど、そういうふうにしたら、みんながのってきて。そうしたらトップが18杯ぐらい飲んだんですね。中根とかが、負けたくないもんですからビールを飲んだふりをしまして。 [それ、違反ですね]-佐野正幸:今DNAの2軍コーチですよ。 [堀ちえみさんの妹さんのだんなですよね。]-石井:そうです。[私がどうして近鉄に詳しいかというと、20歳から25歳くらいまで近鉄の選手と付き合ってたんですよ。]-石井:え~、じゃあ大阪にしょっちゅう来てた? [そうなんですよ。]-石井:じゃあ、詳しいわけですね。 [石井選手っていったら、ボーイフレンドの同僚なんですから。]-石井:いやおかしいな、と思ったんですよ。近鉄みょうに詳しいから・・・。調べてきた感じもないですし。 [別れてしまったんですけど、ユニフォームとかいっぱい持っていて、全部まー坊(佐野正幸)にあげたんです。]-石井:なるほど。 佐野正幸:聞いた時は、びっくりしましたもん。 石井:こういう事で繋がるんですね~。[20代前半ですから、親しい感覚なので、石井浩郎さんって自分でも勝手に親しく思ってるんですよ。]-石井:なるほどですね。 佐野正幸:こんなに頼りになる4番バッターはいなかったですよ。お世辞でもなんでもなくて、必ず打ってくれるんですよ。 石井:必ずではないですが、ホームランだけじゃなくて粘ってフォアボールで出るとか、やらしい4番。ここといいう時外野フライ打って、決勝点を打てる・・そういうバッターを目指していました。ただ振り回すだけじゃなくてね。こういう状況の時はどうする、っていう。ホームランよりもフォアボールの方が嫌な場面ってあるんですよ。フォアボールでじわじわとやると、相手って嫌なんですよ。 [でもブンブン丸がいた時代ですからどんどん振り回したい時に、よくオッケーがでましたね。監督からサインが出るんですよね。]-石井:でもね、4番打ってますから(サインが)フォアボールなんてことはないんです。常に打て、ですけどね。 [ID野球みたい。]-石井:一時期ね、ここは長打を狙いに行くときに、私の前がブライアントだったの。彼は年間500回打席に立つと200回三振するの。で、50本ホームランを打つの。どうなるかというと、三振すればランナーが残るけどホームランを打つとランナーがいなくなる。(なので)ヒット用のバットと長打用のバットと2本持ってネクストバッターサークルに行ったんですよ。ブライアントがすべてをかっさらっていくか、ランナーを残して三振して帰ってくるかなので、さあどっちのバットでいこうかな、と。そういう時もありましたよ。 [うわ~ドキドキしますね。]-佐野正幸:そうなんですよ。単に1塁打、2塁打、3塁打と、どうしてもみんな3塁打の方が良いように思いますけどもね。実は、ヒットの方が良い場合もあるし、やらしくゴロで進める場合もあるし、いろいろあるみたいですね。 [この間、マー坊(佐野正幸)が“マツコと有吉の(怒り新党)”なんでしたっけ]-佐野正幸:あー、〈近鉄の3大悲運な試合〉というのをね。 [監修をやってらっしゃったんです。第3位からご紹介ください。]-第3位はね、確かジャイアンツとの3連敗だったんじゃないでしょうか。あ、ごめんなさい。3連勝4連敗。 [その頃いらっしゃったんですか?]-石井:僕が入る前の年ですね。 佐野正幸:野茂投手と同じですね。 石井:そうそう。佐野正幸:89年の、ちょうど阿波野投手が全盛の頃ですね。そして次が、江夏の21球。昭和54年で、西本(監督)さんですけども。 [こちらの(本を)]-佐野正幸:私が書いたんですけども(【もうひとつの「江夏の21球」】)。 [これ売れてるでしょう。]-佐野正幸:そんなにもね、今の芥川賞作家よりも売れなかったんですけども・・・。破天荒な発言は出来ませんのでね。お陰様で少し買ってもらいました。これもね、9回裏ノーアウト満塁で4対3で、誰でも1点ぐらい入ると思いますよ。それが0点だったというね。それで、近鉄は日本一になってないという試合。第1位は、10.19。10月19日にロッテとのダブルヘッダーで、川崎球場。そこで勝ったらパ・リーグで優勝。その時に西武の強さが尋常じゃなかったんです。それを、ぐんぐん迫っていって、後2連勝すれば近鉄優勝なのに、1勝1引き分けで涙をのんだ、と。 石井:9回にロッテの有藤監督が抗議に来たんですよ。4時間超えると次の回に行かない、っていう。 [時間稼ぎですね。]-石井:そうではないんですが、有藤監督も勝ちたいでしょうから、抗議にきたんですね。時間が無くなってしまって。 佐野正幸:仰木監督がイライラしてましたね。まあでもロッテには近鉄は随分勝ちましたね。8連勝ですよ。ロッテとしても最後ぐらいは勝ちたかったわけですよ。最初は近鉄に優勝を譲ってやろうと思ったみたいですね。ところがみんなが怒り立って、ロッテに野次を飛ばすんでそれで怒っちゃった、という話があるの。 石井:テレビ中継もされたんですよね。(そうなると)やっぱり有藤監督も試合になると勝ちたくなるんですよ。全国放送でしょ。 佐野正幸:でも全国放送だったからよけい悪役になりましたね。〈早くひっこめ〉〈早く試合見せろ〉ってね。本人も意地張ったんですね。あとから〈あれは反省してる〉なんてね。 石井:近鉄は劇的な試合が仰木マジックって言われた。当時近鉄って全国的にはそんなに人気のないチームで、仰木さんがとにかくパ・リーグを盛り上げて近鉄をメジャーなチームにすると。自分がどうのこうのじゃないですからね。だから仰木さんはみんなから慕われたし。佐野正幸:あの頃からだんだんパ・リーグがあがってきましたもんね。 [今はどうなんですか?]-佐野正幸:今はある意味セ・リーグより上の方じゃないですか。 [今はスカパーとかありますし、見たい時見れますからね。]-石井:交流試合もやりますしね、パ・リーグの選手も全国放送で出ることが多くなった、僕らの頃はオールスターゲームしかないわけです。たまに西武との首位攻防が全国放送されるぐらいでね。大阪では放送があっても、全国って言うのは無かったですからね。 佐野正幸:そうですね。さっき、加藤哲郎さんの話が出ましたけども。巨人はロッテよりも弱い、という発言をしたという試合なんですけども、実は〈今日の巨人は大したことなかったですね〉ぐらいしか言ってないんですね。 石井:あれ、言ってないんですか。 佐野正幸:後で聞いたらホントに言ってないんです。検証したんです。下に降りてですね、とある社の記者が〈これなら加藤さんロッテより弱いでしょう〉と。〈うん、そうかもしれないね〉って言っただけなんです。 石井:そうなんですか。 [それが、翌日のスポーツ新聞の見出しになっちゃった]-佐野正幸:そうです。石田純一さんの〈不倫は文化だ〉と同じですよ。よく聞いたら言ってないという。さっき石井さんも話されましたけど、ホントに近鉄ってローカル放送しかなかったから、加藤選手も藤井寺の当時のダイエー戦ぐらいで勝った。って、関西の1部の局だけがやってる感じでしゃべったらしい。ところがジャイアンツ戦の全国生中継ですもん。そりゃあ、あちこちからつっこみがきますよね。  石井:原監督が、調子悪かったのが満塁ホームランを打って、一気にジャイアンツが勢いづいちゃったんですよね。 佐野正幸:ピッチャー吉井さんでね、今日本のコーチやってる。 [イチローといっしょに]-佐野:そうそう。メジャーの方に行った人なんですけどね。石井:当時の近鉄はね、とにかく勢いがつくとずーっと連勝が続いたりして、ホント面白かったですよね。 佐野正幸:石井さんね、鈴木啓二監督の時代もありましたよね。 石井:5月位まで最下位なんですよ。首位と15~16ゲーム差があって、鈴木監督が〈もう休養する〉という休養説が出たんです。新聞に出たんです。なぜかその日から走り出して、よく解らないんですけども、どんどん勝ちだして7月の中旬かそれぐらいで首位に立ったんです。 [それが近鉄だ~!すごいじゃないですか。]-石井:最下位だったんですよ。13連勝しては1回負けて、9連勝して1回負けて、8連勝とか。そんなんが2か月続いたんです。あっという間に首位にいったんですよ。2か月間で4回しか負けてないんですよ。 [その時は何位だったんですか?]-佐野正幸:結局2位だったんですよね。 石井:そして首位に立った瞬間に、鈴木監督がまた来年もやる、みたいな話になったような。 [それで選手のモチベーションが下がっちゃうとか。当時のボーイフレンドも言ってました。鈴木になってから使えない、ってね。]-佐野正幸:それは、なんとも言えないですけどねぇ。 石井:いや、でも良い選手だったですよ。 佐野正幸:近鉄はね、いやらしい選手っていうかね。非常に直人間の選手が多かったですよね。大石大二郎さんとかね。 石井:現場の雰囲気は、1試合負けると〈明日、明日!〉なんですよ。仰木さんも〈今日はもう忘れよう!飲んで来い〉と。〈うちのチームは門限なんかあるのか?〉ってマネージャーに聞いてるくらいですから・・・。門限は一応あったんですけども、殆どなかったようなもんで。 佐野正幸:我々もよくマネージャーと飲みましたけれども、気にしたこと無かったですね。ただ、翌日の試合では皆さんちゃんとやりますよ。すごいチームでした。 石井:うまく切り替えをさせてくれるチームだったんですよ。(チームによっては)今日試合負けました、皆さん帰りますよね。で、翌日の試合の直前にミーティングで昨日のあれは何だったんだ?って始まるわけです。自分で盛り上げてたものが下がるんですよ。そういう中で近鉄っていうのは、今日は今日。また明日。中西太さんっていうヘッドコーチが、試合に負けると白版に“なにくそ”って一言書いて帰っていくわけです。なにくそ!っていう気持ちだけは失うな、と。口惜しい気持ちだけは持っておけと。 [ごたごた言わないんですね。そういうの教育的にも良いかもしれないですね。]-佐野正幸:そうですね。ホントに近鉄っていうのは見てると、勝って〈あ、大丈夫だな〉って思うと負けるんですよ。もう今日はダメだ、と諦めたら勝つんですよ。 石井:点差が何点あっても、なんとなくひっくり返せるような雰囲気があるんですよね。 佐野正幸:すごい不思議なところ。おそらく石井さんもね、人生を学ばれましたよね。僕も学びましたもん。聞いた話なんですが、同じ近鉄ファンで女の子を口説いて〈あ~これは今日はダメだな〉と思った瞬間にいける!とかね。 石井:投げちゃダメだ、と。何が起きるか最後まで分からない、と。 佐野正幸:諦めちゃダメだとね。逆にね、今日はもう大丈夫だな、と調子に乗ったらダメなんですよ。すごい球団だったんですよ、近鉄っていうのは。 [いっしょに何回か応援に行きましたよね。]-佐野正幸:みんなでワイワイとね。 [いつもおっしゃってましたよね。]-佐野正幸:そう、まだまだ分からない、と。それでもね近鉄ファンを学ばない人がいてね。〈佐野さん今日はダメだよ〉とか〈今日は勝った、勝った〉て言うんですよ。まだまだ分からないんだから、って言って。 石井:結局、近鉄の野球を見に行きたい、っと思わせる野球を仰木さんはやってくれたんですよ。 佐野正幸:あ~そうですね。 石井:近鉄ファンを喜ばせるだけじゃなくて、プロ野球の醍醐味を野球ファンに見せたい。これが1番大事なことだと思います。自分の球団を応援するファンを喜ばそうと思ったら、簡単といえば簡単。例えば、ブライアントの打率が悪くても豪快な三振ね。すごいですよ。ネクストバッターサークルにいて、スイング音が聞こえますから。ヴオーンってのが。あの三振のスイングを見るだけでもお金取れるんですよ。ただ、ブライアントが今の球界に居たら多分使わない監督が多いですよ。なぜかというと打率が悪いんでね。でもそこでちゃんと使って野球ファンを増やそうと。仰木さんもそうだし、長島さんも大沢親分もそうですが、そういうタイプが監督をやられるとね。 [仰木マジックですよね。]-佐野正幸:まあ、そうですね。石井さんは本当に仰木さんのことを尊敬されていてね。素晴らしいリーダーシップだと思います。 佐野正幸:私も1つ聞きたいんですが、仰木さんと谷垣さんはどちらが良いですかね。(スタジオ内:大爆笑) 石井:いや、それは・・。 [大分違うんじゃないですかね。(笑)谷垣さんね、遅くまで飲んでるなんて聞いた事ないですね。]-石井:そりゃ、今の時代はね、こんなとこで飲み歩いてたら何言われるか分からないですもん。 [気の毒ですよね。]-石井:近鉄の監督やってる頃は、サイパンキャンプで外野の練習が始まった時に上を裸になって、マネージャーに油をぬらして焼きながら外野を歩いてたんですよ。今の時代考えられないでしょ。仰木さんの凄いところは、そういうおおらかさ。今そんなことしたら、何を叩かれるか。 [近鉄にそぐわない時代ですね。]-佐野正幸:まあね。そういう意味ではね。 [最後に、一言いいでしょうか。次のコーナーです。]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[野球時代の事で是非一言お願いします。]-僕は、プロに入った時に肝炎で。肝炎から始まった野球人生なんです。1月はコーチが付いて、新人のトレーニングの面倒を見るんですけれども。新人意外は、球団関係者は選手を拘束できないんですね。1月に練習が始まって、やたらめったら疲れてるな、と思って。1月末に新人は健康診断に行ってこいと。野茂と私と片山って選手がサイパンキャンプに1軍キャンプに連れて行ってもらえる、と。で、健康診断に行ったら肝数値がおかしい、と。〈間違いがあったからもう1回行ってきてくれ〉と言われて。高い数値が出て、正常値が40ぐらいまでなのが2500ぐらい。その病院に再検査に行って数値が出た瞬間、車椅子が来ました。入院するのに部屋まで歩くな、って。僕は何事か全然分からないわけです。それで、1ヶ月間入院したんです。社会人(野球)までは自分でやれてたんです。年俸を貰ってプロでやるのに野球が出来なくなるかもしれない、っていう恐怖感が1年目で。テレビを付けると、ニュースで同じ新人がキャンプ地で真っ黒になって練習してる姿を見ると、よけいに気持ちが落ち込んだんです。けれども、その1ヶ月は私にとって良かったな、と。野球を大事にしなきゃいけない、と。 [それ、永田町でいうと落選中の議員みたい。]-3月に新人研修会っていうのがあって、衣笠さんが講演にきてくれて。衣笠さんも若い時3~4年目までは、〈引退したらレギュラーになれるだろ〉ぐらいでやってたらしいんです。オフになって球団職員から5つの会社(名)が書いた紙を渡されて〈面倒見てやるからどれがいい?〉って言われたらしい。〈多分、今年で首だよ〉と。そこで初めて火が着いた、と。 [そこから頑張ったんですね。]-はい。早く気付く事が大事だ、という講演をしてくれたんです。その話を聞いて、〈良かった。僕は今気付いた。〉と。衣笠さんには感謝してます。 [それがあったからこそ、ずっと4番を打ててたんですね。]-佐野正幸:石井さんの話を聞いてるといろいろ感謝する人が多いでしょう。素晴らしいことですよね。プロ野球選手って、意外とそういう人がいないんですよ。やっぱり、常識人だったんですね。今の国会の中継見ると、ときどき映るんですよ。なんか国会がベンチに見えますもん。(スタジオ内:爆笑)あ~頑張ってるな、と思うし、すごく嬉しいですね。

 

[それでは、締めたいと思います。次の議員さんをご照会いただきたいと思います。]