石川 昭政
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第80回
2013年07月03日 放送

自民党 石川 昭政 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 (茨城5区)比例北関東ブロック 1期目

●幸せ度数年表

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第80回石川昭政

 

1972年 茨城県生まれ。福島県との県境で被災地。かつては、梶原静六氏と塚原俊平氏がしのぎを削った土地柄。↗海、山、川があり、友達もたくさんいて、勉強もせずよく遊んだ。少年時代に、田中角栄の秘書、早川茂三氏の本を読んで政治に目覚める。母方の実家が神社だった関係で大学時代に神主(郡司)の免許を取る。大学卒業後は自民党本部の職員になる。当時は橋本総理の時。4月に職員になって7月の参議院選挙で自民党が惨敗。給料は公務員と同程度。職員と言っても活動家の様なもの。安定を求める人には務まらない。身内が一つにならないと選挙では勝てない。(議員になってからは、時間が無いので昼は毎日カレーを5分で食べる。)職員になって最初の2年間は、加藤紘一幹事長、次に森幹事長についていた。メディア担当だったので幹事長との間に入って調整役をしていた。その後は選挙対策本部で仕事をした。↘2011年、政権交代で野党になる。日本全国どこに行っても、自民党組織(女性部長、青年部長等)がしっかりしていると
実感。↗38歳の時、地元茨城の公募に合格し、家族と地元に戻り、選挙準備に2年かける。自民党どん底の時にあえて手を挙げて火中の栗を拾う覚悟だった。2012年、40歳で当選。自民党の浮き沈みと共に歩んで来た。今では官僚も党職員も政権を支えようという気運がある。

●最近の政治トピックス

明日(2013年7月4日)は、参議院選挙の公示日。息を抜く間はない。自分はもっと清濁を併せ持てと言われる。とにかく参議院選挙で崩れることが無いように頑張らなくてはならない。今国会ではかなり廃案になったが、与野党対立の法案は出されなかったので85%の成立率。ねじれの中では高い成立率だが、ねじれを解消して9割以上を目指さなくては国際競争に勝てないし、震災復興も進まない。ねじれが解消しても、謙虚にやっていこうと言っている。地方選では苦戦。地方にはアベノミクスの恩恵が無いと思っている。アベノミクスの波が地方に到達するまでの期間を短くし、効果が長く続くようにすること。個人の給与に反映するまで頑張る。

●今だから言えるあの日のあの出来事

橋本内閣当時、金融国会があった。不良債権処理の問題があり、金融ビッグバンをやろうと徹夜した。金融用語の分からない言葉がたくさん出てきたが、日経の記者以外は分からないながら廊下に座って記事を書いていた。当時は、政策新人類と言われる石原、塩崎、根本各議員がグッと存在感を出していた頃。民主党の枝野、仙石両議員とやりあったが、民主党案を丸呑みした。当時は、何故公的資金を銀行に使うのかと言われたが、この処理が10年経ってここのところ国際的にも評価されている。「えひめ丸」の事故は、休みの日に昼のニュースを見ていて知った。当時、沖縄出張中の古賀幹事長の秘書に一報を入れ、対応が早くできた。常に危機管理が必要。危機管理ができるのは、自民党の文化としてある。2000年問題の時も、大晦日の夜中に総理官邸でスタンバイしていた。

●質問コーナー

Q:民主党の危機管理はどうであったか。
A:実際は一政党では対処しきれない。
東日本大震災は局地的ではなく、面で広がっている災害だった。野党でも協力することは協力したが、地元に自民党の議員がいないと情報も無く、実行できないことが沢山あった。災害には自民党が強い。

Q:政策としてこれだけはやりたい、ということは?
A:資源の無い日本が成長できたのはやはり人材による。そういう意味で教育再生が大事である。国際社会でも英語だけではなく、魂をもった人材を作っていかないといけない。今やった結果がすぐ出る訳ではないので、100年の計を考えなくてはならない。震災の復旧復興は、ここ数年で解決したい。復興費流用問題に関しては、平成24年度予算と平成24年補正予算の結果が問題。税金を増税して19兆から23兆になっているが、被災地の東北三県に集中して使えないものかと考えている。予算がついたことで安心するのではなく、決算がどうなのかということに国民も関心を持って頂きたい。