稲富 修二
無題
第218回
2018年05月22日 放送

希望の党 稲富 修二 衆議院議員

6人の子供を抱えながら政治活動する、稲富議員。

東京大学法学部から丸紅に入社。

政治への夢が大きくなり、松下政経塾へ入塾。

初めてバッジを付けたのは激戦区だった福岡11区から。

その後現在の福岡2区となり、5年の浪人生活をおくり、

2017年秋の総選挙で、希望の党からかえり咲きました。

 

2009年当選の民進党時代よりも、質問回数が格段に増えたと言います。

独居老人の現状を語り、今後の対策などについてもお話しいただきました。

優しく感じの良い稲富議員ならではの政策、政治活動に期待します。

 

(動画より文字おおし)

希望の党(九州比例)2期目 2018年 4月 18日 収録時点

[「みわちゃんねる」内でもついに政権交代ということで、希望の党がついにやってきました!]― 初めてですか?[はい。希望の党が生れた昨年の総選挙から初めてです。でも、希望の党には元民主党の方がたくさんいらっしゃって、うちの番組に出てくれた方々だなというのはあるんですけど]― 希望の党は私が最初ですか?[そうなんですよ!]― そうですか![しかもずっと参議院の方が多かったので、久しぶりに衆議院の方が来られたという感じです]― 実は別の党の方を次に紹介する予定で。(笑)希望の党は私だけかも。(笑)[そうなんですか!今、希望の党はどれぐらいいらっしゃるんですか?]― 51名です。[51人もいらっしゃるんですね!]― 参議院を足すと55名かな。

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[どちらでお生まれですか?]― 福岡です。[今も福岡が選挙区ということですね。大学は?]― 東大の法学部です。[頭がいいんですね~!]― いえ、浪人を2年しました。[昔から神童で、文武両道で]― いえいえ、全然そんなことないです。(笑)[そして松下政経塾に入られるのですが、大学を出てどちらに行かれたのですか?]― 丸紅に勤めて、辞めて政経塾に行ったんです。[丸紅はどれくらいいらっしゃったのですか?]― 1年です。[どちらにいらっしゃったのですか?]― 人事部です。[人事でどんなお仕事をしていたのですか?]― 社員さんのお給料と税金、保険料を計算する仕事でした。[当時の商社はどういう仕事がメインでしたか?]― 鉄鋼とかエネルギーがすごく良かったです。90年代後半からちょっと良くなくなりましたけど。[丸紅を一年で辞めて政経塾に入られて、何かきっかけがあったんですか?政治を志そうという]― 政治にはずっと興味があって、そうは言っても縁遠い。国会議員とか政治家が誰も親族にいないので。無理だろうと思っていたんですけど。松下政経塾というのがあるのを知って、ぜひ挑戦してみようと。受験したらたまたま、採用してもらって。[この間は松下政経塾から多少、お金が出るんですか?]― 私の時は4年間で、生活費は政経塾からもらいました。[この番組にも原口さんはじめ、政経塾の先輩の先輩が出て下さっているんですけど、白物家電を売りに行ったりとか営業に行ったりとか、いろんなことをされているみたいなんですが。稲富さんの時は何だったんですか?]― 原口先生の時は幸之助さんが生きていた時で、私の時は亡くなった後で。工場実習というのがあってですね、工場に行って組み立て作業を手伝ったりとか、現地現場で学ぶというのが方針にあって。現場に行って一緒に働いて、現場の声とか汗とか、みんなの思いとかを勉強するようにということで。[政治家になったのは意外と遅かったんですよね。何歳の時ですか?初当選は]― 初当選は39歳です。[それは落選とかいろいろなことがあったからですよね]― 最初に選挙にで出たのが35歳で、政経塾を出てから10年かかっているんです。[それまで松下政経塾の塾生としていたんですか?] ― 4年間は塾でそれから浪人というか、何とか食いつないで。[それはつらかったでしょうね。東大の同級生がブイブイ言わせている時代じゃないですか]― (笑)30代前半の位の時は徐々にみんな収入も上がって。[やっぱり焦りはありますよね]― やっぱり、行く店が違う。夜、食事に行く店がちょっと。(笑)[例えばどういうことですか?]― 例えば、前は居酒屋に行っていたけれども、行く店の単価が上がるというか。チェーン店の居酒屋に行っていたのが、だんだんランクが上がっていくじゃないですか。[そういう時におごってもらったんですか?]― いえ、一応見栄を張って払っていましたけど。[やはり政治家を志している者としては、仕方ないなという感じですよね。そして、何と!今、何人のお子さんのお父さんなんですか?]― 6人います。[6人ですか!!大変ですね!]― お陰様で。(笑)このラインは子供の数のラインです。(幸せ度数年表を指して)女4人、男2人です。[お子さんをたくさん作って国のために貢献したという、そういう考えですか?]― (笑)そんな高邁なものではなくて、子供が好きで。[政治活動をしてお家に帰ると癒されますね]― はい。[これでお仕事がなかったら大変なことですね]― 42歳のこの落選の時はやっぱり。2012年の選挙で落選です。[2012年からこの間の選挙まで、大変でしたね]― 今考えると、いろいろ勉強させてもらいました。[福岡出身ということで。みなさん、福岡という地域は普通じゃないんですよ。いろんな事件もありますけど]― (笑)普通じゃないんですか?![福岡の政治家というと何と言ったらいいか、麻生大臣もそうですし。特にですね、初めて選挙に出られた時は福岡11区ですから。相手が武田良太さんと言って、この番組にも出て下さったんですけど、ちょっと普通の人じゃないような方と戦ったりとかね。すごいですよね]― 武田さんも出ているんですか?[第10回に。もう普通じゃない雰囲気でしたから]― (笑)そうなんですか?[田中角栄が来たみたいな、いうぐらいの雰囲気だったんで(笑)]― 武田良太先生と山本幸三先生。[山本幸三さんは財務省出身で財政に明るい方ですよね。その二人に挟まれて選挙をやられた。恐ろしいですね]― いやー、恐ろしいこともわかってなかったです。[逆に言うと、いい意味ですがすがしくて、良かったですね。(笑)]― 何も知らないから出来たというか。[九州勢の本当の意味の濃さを見たら怖くて出来ないですよね]― (笑)わかるでしょう?当時は無知だから出来たんです。[あの時代自民党の九州勢が、夜な夜なここら辺に集まって、あーでもない、こーでもないと。何回か呼ばれて行ったんですけど。やっぱり東京と違うな、政治の考え方が熱いなと感じましたよね。そういう中で、すがすがしい稲富さんが出たというのはある意味で有権者の方は良かったなという気がしますけどね。その後に福岡2区で出られる訳ですよね。そこはまた鬼木誠さん、この番組にも出て頂いたんですけど、ラガーマンでね。今、接近して戦っているということでね]― いえ、まだまだです。2009年の時は山崎拓先生でした。落選した時から鬼木先生で。[誰と戦っても凄い所でよね]― いやいや。[前回の選挙では票を伸ばして]― 何とか救われたという感じです。[マラソンじゃないけれど、一番手の風をうまくかわしてという感じですよね。前は民進党としてバッチを付けてらして、現在は希望の党、新党として国会に返り咲いたんですけれど]― そうですね、ちょっと質問からずれますけれど、国会議員として仕事をさせて頂いて有難いと思いますし、もちろん野党で課題もたくさんあるし、出来ないことも多いんですけど。責任は重いなと思います。[党が有難い、選挙の時からいろんな援助があるし、枠組みがあるのが有難いということですか?]― 党が有難いというか、議席を頂いくということです。[50人以上いても少数政党でありますから]― そうですね、今、野党第二党です。[かなりやることと言うか、ご自分に来る任務が多いんじゃないんですか?]― 全然違いますね。前回は民主党の与党の末席の一年生議員だったんで。今回は51人の下の方の議員というか、全然役割が違うんで。前回は3年3カ月議員をやりましたけど、質問回数はその時よりも多くなっています。[まだ1年も経っていない訳ですから。それでも発言回数が多くなっているということですね]

 

●最近の政治トピックス

 

[今、国会は開会中ですけど、セクハラ問題とか、福田次官の問題。どうですか国会は]― 今はそこと、いろいろ重なって、今日は野党が出席しないとのことで。[出席しないというのも党のやり方なんでしょうけど、有権者の方からお叱りを受けたりあるんでしょう?]― 声を頂けることが有難いです。[新党で原発ゼロ、2030年までにと昨日、話し合いがもたれたということなんですが、これはどうなんですか?]― 民進と希望が合流するということで、基本政策の話しをしていて。[いつ合流するんですか?]― 近々で、最終局面だと思います。[また名前が変わるんですか?うちも政党の名前が変わると大変なんですよ]― 何でですか?[「みわちゃんねる」のホームページのフォームに希望の党がなかったので作ったんです。でも、稲富さん一人で終わっちゃう。(笑)]― 一人で終わっちゃう?(笑)[そういう意味で、刷り物とか大変だろうなと思いますよね]― 最終局面はゴールデンウィーク明けとか。でも近々だと思います。[上層部の方がいろんな話を持たれている。そこで原発の話しとか憲法の話をされている訳ですよね]― そうです。[どんなお話をされているのですか?]― 旧民進の時の路線と近くて、原発を30年代にゼロにしようと。憲法改正についても、安倍総理というか自民党さんがまとめた改憲に対しては否定的な方向感ですね。[でも原発も反対の急先鋒だった新潟の県知事があんなことになって、本当に残念でしょうね。野党の方はね。2015年にあの方が受かった時に、ちょうど共産党のインタビューばかりしていたんですね。紹介、紹介の番組なので。ほとんど一年間、共産党という時期だったんですけれど。原発反対の最たる人だということで、頑張って応援するのを目の当たりにしていたんで、辛いだろうなと思いましたね] ― 劇的な選挙でしたよね。[そうなんです。そこからまた、風穴が開くじゃないかと期待が非常に高かったので。新潟の方で原発反対の方があのようなことになってしまうと、原発賛成派が息を吹き返すというか、より元気になりますよね]― そうですよね。ちょっと、あのようなことで退任と言うのは残念ですよね。[2030年まで原発ゼロへの行程みたいなものがあるんですか?] ― それはやっぱり作らないといけないということで、そこが見えないから有権者の方にも説得力がないんじゃないかと。[そうですね、反対というのはよくわかってますから。2030年というめどは決めたと。さて、どうやって風穴を少しでも開けていくのかということですよね]― より具体的にとうのがないと。[昨日話し合いがあったということですけど、具体的な流れとうのは]― 私が浪人していた時も民進党の中でも議論していて、立憲さんは案をまとめたということで。目標を決めて案を詰めていくという。[立憲とのすり合わせはどうなんですか?]― 我々が考え方をまとめて、それから立憲さんとの話し合いになります。[でも、そう言っている間に政治って動くから、本当に目まぐるしいですよね。metooのセクハラ問題もやらなくてはいけないでしょうし。稲富修二さんは何についてやられているんでしょうか?]― 税金のことをずっとテーマでやってきているんですけど。最近、私がこれはと思っているテーマはこれで、一人暮らしの方が多くなってきていて、地域を歩くと多いんです。かつては一人暮らしと言ったら、結婚する前の若い人の一人暮らし。もしくは学生が地方から出てきて一人暮らし。今は違います。一人暮らしはむしろ、お年寄り。現役世代も未婚社会になってきているので、現役世代も一人暮らしなってくということで、一人暮らしが全世帯の4割。昔はご両親に子供が二人の四人家族というのが日本の暮らしのモデルで、それが主流じゃなくなって。それに合わせて制度も仕組みも変えていかなくてはいけないけれど。[四人家族モデルに対応した政策が横行しているということですか?]― それが主流で、特に一人で暮らす時の政策が主流ではないと思います。[一人暮らしというのは効率も悪いですしね。具体的にどんなことを提案されているんですか?]― 基本的な考え方を変えていくのと、あと住宅の問題なんですけれど、お年寄りが広い所でお一人で暮らしている場合があって。もし倒れられたら、身のまわりに介護の手がないということで、医療機関の近い所に政策的に移り易いようにした方がいいんじゃないかと。[みなさん、介護型マンションに入るということですか?]― もちろん、本人が希望すればですけど。[ここら辺は高いんですよ!]― できれば値段のところを安く、そして今持ってらっしゃる住宅を売却をする、次の世代にゆずる中で、その資源でお一人暮らしがしやすい環境を作ることができればと。[これは委員会で提案されているんですか?]― そうです。私は内閣委員会なんですけど。[こういうのって内閣委員会でやるんですか?厚生労働委員会じゃないんですか]― 住宅で言うと、国交省になるんですよ。でも一人暮らしの社会保障となると、厚労省になるじゃないですか。そういうまたがるやつは内閣で。この省でとなればいいんですけど。[声を上げていくことは必要ですよね]― まずはですね。特に住宅に関しては日本は社会保障の中でも国が支給する住宅というのは非常に少ないんですよ。民間企業は住宅補助を出したりするじゃないですか。住宅政策を諸外国と比べてももうちょっと充実させた方がいいんじゃないかというのが私は思っているんです。年金とか医療のようにお金をかけずとも私は出来ると思います。財源の中で言うと、全社会保障の中で住宅に関しては1パーセントもなくて、数パーセント増やすだけでもずいぶん変わると思います。[どの部分を削ればいいんですか?]― そこをどうするかというのが、私は医療の部分とか。これから消費税を上げますのでその財源をあてるとか。[やっぱり消費税は上がっちゃうんですかね]― そこは来年の10月。いろいろありますけれど、そういう形で我々の生活に還元していくことが必要だと思いますね。[医療を削るというのは、予防医療とかを頑張るということですか?]― そうですね、出来る限り。[私たちが病気にかからない生活をするしかないですね、国民一人一人が]― その政策はすごく大事だと思います。[そうじゃないとどこの国も破たんしてしまいますからね]― 全部が全部、国が面倒をみるというのは大変だと思います。[無理があるということを高らかにちゃんと言ってから、財源をみなさんで考えていかないと、誰がやろうと出来ないということでしょうね。しかも人口が逆三角形で減っているということで、下が上を支えられないということで。ちょうど子育ての時、大変ですよね]― 子供たちが二十歳ぐらいの時に、どういう社会になっているのかと思いますよね。また、子供たちが我々の世代の時にどうなっているのか。国の借金がどうなっているのか、それは本当に気になります。[希望の党としては法案の8割には賛成しているんですよね] ― そうです。[なかなかそこが取り上げられない。ずっと野党の国会議員の方は言っているんです。自民党とか関係なく国民の利益のために頑張ろうとやっているのに、我々は全部反対していると思われてしまっていると]― それがね、本当に残念なんですよね。反対ばかりしていると地元のみなさんがおっしゃるんですけれど、実はほとんど賛成。ただおっしゃって頂いたように2割は反対です。[その2割というのは話題の法案というか、そこは譲れないからこそ、今は野党なんだという、マイノリティーのみなさんの代弁をしていこうというのがありますものね]― ほとんどは賛成していて、前に進めるべきところは与野党問わず、進めているという。そこはしっかりとお伝えしていかなきゃならないですね。[3年3カ月、与党だった訳ですから、そこと比べると雲泥の差がある訳ですよね。有権者のみなさんの接し方も違うと思いますし、役人の方も変わるんじゃないんですか?]― (笑)まったくそこはシビアな世界だなと。勉強させて頂いています。[役人の方も自民党に8割言って野党の方には3割しか言わないとか、そういうことはあるんでしょうかね]― そういうことは約役人の方はおっしゃらないですけど。資料が薄いなとか。(笑) ちょっとそれは思う時がありますね。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

2012年、ちょっと昔の話になっちゃいますけれど、2012年11月の党首討論。あの時一年生議院で、私も党首討論の場にいて。当時の野田総理が当時の安部総裁に対して、解散してもいいと話をしたじゃないですか。それで解散、選挙が12月16日。あの時は我々、本当にわからなくて、総理が解散してもいいんですよと、安倍総裁に迫った訳です。隣りに同期がいたんですけど、「今、解散って言ったよね」みたいな感じだったんです。あのシーンは絵で残っていますね。[その流れが今の安倍さんに来ているんですよね。あれから脈々と6年間ですからね] ― もう6年目に突入して。[稲富さんは今、国会に帰って来られていますけれど、帰って来ない方がいっぱいいらっしゃるんですからね。民主党の方にとっては解散というのは寝耳に水だったんですね!] ― あの時は驚きましたね。[野田さんが早まったかな、というのが正直言って感じましたね] ― やっぱり思われましたか?[負けるが勝ちというのは安倍さんのことですよね。選挙では勝ったじゃないですか!強さを見せつけられましたよね] ― 解散と言う権限というんですか、まさの総理の専権というのを見せつけられた。今は安倍総理の解散権の行使によって現政権を維持しているじゃないですか。この最大の判断と言うか。[誰がやるかによってまったく違う社会になってしまうというのを私たちは目の当たりにしていますからね。恐ろしいことですよね] ― やっぱり政治は大事だと思いますね。

[私は希望の党を少数政党とさっき言ってしまいましたが、そんなことないですね。50人も国民のみなさんの付託を受けた方がいらっしゃる訳ですからね。それは大きいですね。希望の党はこれから民進党と一緒になってまた新たな] ― そうしなければいけないですね。[そして野党第一党としての役割を果たして頂きたいと思います。心から] ― 有り難うございます。(深々と頭を下げる)本当に我々、しっかりしないと。地元では選択肢が無いと、有権者には映っているので、それを受けられるような受け皿にならないと。[自民党は自分たちの名前を売るのがうまい政党なんですけど、特に福岡はね、うまいんですよね。(笑) 敵わないですよね] ― 強いんですよ!(笑) [頑張って頂きたいなと。稲富さんだったら、絶対に大丈夫です] ― 私は今、チャンスだと思っているんです。今こそ、我々は一緒になって、同じ方向を向いて、今の政権を倒して新しい社会を作るということにならないといけないと思います。