紙 智子
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第192回
2016年10月19日 放送

日本共産党 紙 智子 参議院議員

実のお兄様の影響で共産党に入り、7回の選挙の末、8回目に初当選。

そして、現在は三期目。ご両親は当時、バリバリの?自民党員という事で、様々な葛藤や、地元での眼などがありましたが、

現在は紙議員の活動を心から支援して下さっているそうです。

今、審議が止まっているTPPの問題を反対の立場として、北海道の声を代弁して語ってくださいました。

野党共闘となっている今、当時の菅政権時代に出てきたTPPを、共産党としてはどう考えているかなど。

40歳を超えてからご結婚された、一緒に活動を共にした15歳年上のご主人とは、死別。

現在も悲しみの中にいらっしゃいます。

しかし未来に!バッジを外す頃でしょうか?再婚をすすめると(佐野が勝手に)、頬を赤らめ女性らしさを見せる素敵な紙議員でした。

 

(動画より文字起こし)

共産党 (比例区)  3期目 (2016年 10月 19日 収録)

[初めまして。凄いですね、「TPP反対」(後ろに貼られた「TPP断固反対」の大きな旗を指して)] ― はい、もう寝ても覚めてもです。(笑) [ご出身はどちらでしょうか?] ― 北海道、札幌ですね。北海道そのもので言ってもTPPは凄く大きな影響があるので、北海道をあげて、オール北海道で反対の運動が起こっています。[ほとんどの方が反対と言っていいんですかね] ― ほとんどと言うか、生産者、農業の地域ですので。食料に関わる人たちは反対していますし、北海道の経済団体も一次産業が厳しくなると全体が沈み込むので。[改めて伺いますが、共産党としてはどういうスタンスなんですか?] ― TPPは批准すべきではないし、始めからTPPは国民にとっては百害あって一利なしということで。それは農業だけではなくて、医療や雇用や国民の暮らしに関わるいろんな分野で。[TPPって広範囲なんですよね。著作権の問題もあるみたいですね]

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[1955年、札幌市に生まれられて、白球にかける青春とはどういうことですか?(幸せ度数年表を指して)] ― この辺の所は幸せの状態であんまり悩みはないかなという時代ですね。(笑) [テニスですか?] ― バレーボールです。バレーボールを中学校、高校、高校を卒業しても暫くやっていて。実業団の人たちが解散したのもあって、今度は実業団の人たちと北海道の全道大会に参加して。[東洋の魔女に憧れてという感じですよね、世代的には。そして白衣の会社に働く] ― 初めて働いた経験で、凄く面白かったですね。病院で働く方たちの白衣や、作業服なんかも扱っている会社で。中小企業なんですけど、札幌市内の狸小路という所にお店があって。そこに働きに行っていました。[そして選挙に出られる] ― 30歳か31歳の時から出ていたと思うんですけど。[政治歴が長いですね。一番初めはどういうきっかけですか?] ― 共産党に入っていましたので、党から出ませんかということで。人の前で話をすることが苦手だったので、いやー、そんなとんでもないと言っていたんですけど、周りから薦められて。それで本当に清水の舞台から飛び降りる感じで。[何の選挙に出られたんですか?] ― 参議院の比例代表に、1986年ですから比例代表選挙が始まって二回目の時なんです。[中曾根内閣の時代ですね] ― よく知ってる![共産党に入ったきっかけは?] ― 兄がやっていたのもあり、兄を通じて、共産党の言っていることは筋が通っているんじゃないかなと。[ご両親は自民党員だったんですね!] ― そうなんです。(笑) [毎回、こういう話が続きますけれども、自民党員だったんですか?自民との支援者と言うのはありましたけど、自民党員というのはあまりないですけね] ― 選挙参謀とかもやっていたので。[鈴木宗男後援会とか?] ― 鈴木宗男さんは時代が違うけど、当時の市長さんとか、知事とかの、自民党だったんですけど。その人たちを推すために地域で参謀をやって。だから、選挙活動は良く知っていると思いますけどね。(笑) [ご両親はびっくりされたんじゃないんですか?] ― 私が二十歳の時に共産党に入ったんですけど「入るなよ」と最初から言われていて。[ご両親もいろんなところから、どうして智子ちゃんは共産党なんだよと言われるのも辛かったんでしょうね] ― 30歳ぐらいになってくるとそろそろ適齢期じゃないかという話があって、周りの人から、父の友達は自民党の人たちが多い訳なんですけど。そうしたら「紙さんの娘に紹介してやってもいいけど、共産党だからな」と言われたと言って。そんな話を聞かされましたね。(笑) [そして結婚、ということですか?] ― これは結構、遅かったんですね。42歳の時に、一緒に活動している方だったんですけど。[その前からお付き合いをされていて?] ― お付き合いというか、仕事を一緒にしていた。候補者が30歳の時からですから、なんというか、候補者家業が長かったんですよね。[そうだと、なかなか結婚も出来ないですよね] ― (笑) 一緒に活動している中で安心できるなと。[じゃあ、吉良さんの路チュウなんて許せないでしょう?(笑)] ― (笑) それはそれでね、時代は変わったなと。あんまり結婚願望がなかったかもそれません。面白くやっていて、気が付いたら結構な年齢になっていたという。(笑) [結婚した方が年上だと聞きましたけど] ― そうなんです。15歳離れていましたから。[申し訳ないんですけど、もう他界されてしまったという] ― そう、[42歳で15歳差でしょう、57歳] ― 時間的にはそんなに長い時間、一緒にいた訳じゃないけど、とても充実してたかなというのはありますね。[結婚後にようやく初当選、これは何回目の選挙で当選されたんですか?] ― えーとね、8回目ですね。7回出て、8回目に当選出来たということなんで。今度だめだったらもうそろそろ降りなとな、という。[いくら党の押し出しがあって出られるにも関わらず、さすがに7回も落選されると] ― 担いでいる人たちが重くなってくるからね。(笑) [勝ち馬に乗ると言う言葉がありますからね。またダメなんじゃないか、と応援するのと、中枢に行って大臣にでもなるんじゃないかと、応援するのと違いますからね] ― 8回目、46歳の時に当選しました。[国政のみに出られていたんですね] ― そうです。参議院選挙と衆議院選挙に出ていましたね。[ここでグンと下がっていますね。ご主人と死別されてしまったという] ― 今まで生きてきた中で、最大の悲しい出来事だったですね。[私の年だから言えるんですけど、晩婚だときっと仲がいいでしょうからね、若い時と違って] ― まあ、そうですね。(笑) [今、3期目ということで、委員会とかは?] ― 当選した時から変わらないんですけど、農林水産委員会、これは常任委員会なんですけど。あとは特別委員会で、沖縄北方特別委員会と東日本大震災の復興特別委員会というのがあって、それに所属しています。[参議院で3期目ですから十数年経っているんですね] ― 15年目ですかね。[落選の時も長かったので、同じ位ですかね、今は] ― 15年間、ずっと候補者をやっていて、それに同じぐらい今。[どうですか、バッチを付けている時とは浪人されている時とは] ― 候補者の時は、みんながちやほやしてというか、頑張れ、頑張れという感じだったけど、現職になると厳しくなりますね。やるべきことはやっているのか、みたいな。(笑) 周りの目は厳しくなりますよね。本当に現職の議員として役割が求められていますし、そういう意味では本当に日々、努力の毎日ですね。[共産党みたいな強固な地盤があっても、やはり支持者の方は厳しいと] ― 基本、応援はしてくれているんだけど、凄く願いが強いもんですから。[この案件はどうして止まっているのかとか、ちゃんと反対しているのかとか] ― 政治がなかなかね、国民のみなさんにとっては暮らしが良くなる方向に結びつかないというのがイライラするので、もっと頑張って追及して欲しいみたいなのは。(笑) [最近こそ共産党さんも、10年に一回ぐらい、ちょっといい味を出すじゃないですか。(客席から笑い声)いわゆる政権にみんながあきた時とか、政権が悪いことをした時とか] ― (笑) あります、あります。[注目されていない時が多かったですのもね] ― そうですね、選択肢の外というのがあったと思うんですけど、今はもうしっかり入っていますし。[今は野党の中枢というか、キャスティングボード握っていると言っていいほどですからね] ― やっぱり、今、凄く期待が高いなあと感じますね。

 

●最近の政治トピックス

 

[農林の方の常任委員会に所属されているということなんですけが、どんなことを今日は] ― やっぱり今、一番の焦点になっているのがTPPなんですね。今はこの臨時国会で安倍政権は批准させようという動きになっているんですけど。[批准というのは?] ― 国会で承認してもおうという流れになっているんですけど。TPPを出されたのは民主党政権の時、菅さんが総理大臣の時ですから2010年なんですね。2010年の時に出される前から、出されるんじゃないかという話があって。出る前に、出てきたらすぐわかるようにしようと構えてまして、その時からで言うとかれこれ6年越しということなんですけど。[審議というのは進んでいるんですね] ― 菅さんが出した時はワーッとなったんですけど、2011年に東日本大震災があって、それで止まったんですよね。そんなことやっている場合じゃないとなって。やっぱり震災対策ということでずっとやりましたから。2013年ですかね、また安倍政権が出来て自民党政権に戻って出されてきたいうことがあって。その間、何回質問したかわからないですけど、TPPの問題はどういう風に影響が出てくるのかということで、いろいろ手を変え品を変えというか、(笑) 取り組んできましたね。[共産党としてはTPP全体に反対してるということなんですか?] ― そうですね。[TPPのメリットというのはあるんですか?] ― ないと思います。いったいTPPって何なのということで、いろいろな議論になるんですけど、自由貿易という名前で自由に外国とやり取りするからいい面もあるという風に思うと思うんですけど、実際上は誰が利益になるのかがはっきりしていて。世界をまたにかけて利益をあげるということでの多国籍大企業がもっと利益をあげていくということで、それぞれの国の決めたルールとかも変えさせていくということでやろうとしていて。日本の中で言うと、輸出関連で自動車産業などがもっと外に出しやすくという面では利益になるだろうと思うのかもしれませんけど、その一方で日本に入ってくるもの、農産物とかはそういう関係で言うと大きな打撃を受けることになりますし。これは関税の関係なんですけど、それ以外で非関税という部分があって。これは知的財産権ですとか、医療、雇用、公共事業なんかも外資が入ってきて国内でも仕事が足りないんだけど、そういうのまで入って来て持っていけるような仕組みも含まれている。食の安全安心、最近は心配が大きくなっていますけど。[別に加盟しなくてもいい話ですよね] ― そうなんです。[野党共闘を組んでいる民主党の菅さんの時に提出された議題じゃないですか。それは今、野党内ではどういう話し合いをされているんですか?] ― 当時は民主党ですけど、中も賛成、反対両方に分かれていて、経済にとってプラスなんじゃないかと思っている人たちもいるんだけど、厳密に見たら限られるんだと思うんですよね。中小の関連企業なんかが利益になるかと言ったら決っしてそんなことないし。[怖いですよね、これで決まっちゃったら、ネットテレビ解禁でしたよね。地上波がネットで見れるようになるじゃないですか。地方局は反対してきた歴史があるんですけど、いや、ここの部分だけ、ここの部分だけ、ネットも見れるし地上局もフォローするからと、どんどん法律って変わっちゃうんですよね] ― 保険なんかもね、今は外資の保険会社もいっぱい入って、郵便局がやっていた簡易保険みたいなのが批判されて、要するに国が守っちゃだめと。自由に競争するんだから、政府が関しちゃだめという形で自由な競争をするために、郵便局がやっていた簡易保険なんかもね、圧力が加わって。今は郵便局にもアメリカなんかのがん保険を置かせろ、みたいになってきてますから。[徐々に入って来て、10年スパンで考えて振り返ると、こんなに変わった!みたいに気付かされて、国に動かされているんだとか、霞が関の人が主導なんだなというのがいっぱいありますよね。TPPは最たるものだと思います。共産党としては一つのポリシーを持ってやってらっしゃいますけど、いろんな事情でバッチを付けた方がいらっしゃって、その時に霞が関から指導してもらったものをそのまま、その通りに言ってしまう方もいらっしゃいますからね。TPPを共産党は反対していますけど、TPPは宝ですよと言われたら、昨日今日、議員になった人は信じちゃいますからね] ― そうなんです。私、初めて国会議員になった時に初質問の時と言うのは、日本で初めて発生した狂牛病について質問しようと思ったら、省庁の方が来ていろいろレクチャーを受けるんですけど。「こんなことを質問するんですか!?」と言われるんですよ。要するに、その時に何が原因になっているかということで、イギリスから牛が食べるエサで肉骨粉というのが入っていたんですけど、それがいったいどこから入ってどれ位使われているかをみんな疑問に思っていたんですけど。そのことを質問するので、税関を通っている資料があるはずだからそれを資料として出して欲しいと要求したら、「そんなことを質問するんですか?そんなのわかりませんよ」と言われて。(笑) 常識ははずれみたいな言い方をするんだけど、実は日本の国民のみなさんは関心を持っていて、いったいそれどうなっていたんだろう、何を食べていたんだろうと関心を持っていることを聞くのが何が悪いのかと言って、ちょっとやり取りがあったんです。[エサとかは重要な話ですからね] ― 知らないと思って言ったのかもしれませんけど、質問をしようということを潰しにかかるというのはあるんだと。[ひるんじゃいますよね、それは新人の議員には無理ですね。たじろいじゃいますよね] ― そういうこともありましたね。それからはちゃんと、動じないで自分が質問したいことを貫くと。[日本人は空気に流されちゃいますからね。ここで発言だって変わっちゃうんですからね。発言で変わると言えば原発ですよね。再稼働の反対が57%になっているんですね。どんどん増えてます。先日、行われた新潟県知事選、共産党が推薦した反対派の候補者が知事になったと。それも凄いことですね] ― 政府は候補者の押し上げの為に総出で応援に入ったと思うので。でも県民のみなさんが選んだというのは、私は凄いことだと思っていて。やっぱり原発を再稼働しなくていいというのは、東日本大震災で福島の原発が水素爆発を起こしてから未だに解決していないじゃないですか。それだけの大きな痛手を受けたのかということをみんな経験したので。経験したということと、それまではずっと安全神話だった訳ですよ。事故は起こしませんと、大丈夫ですとずっと言ってきたのが、事故が起きたということで、もう自分の目で確認しないと信じちゃだめという風になったと思うんですね。それ以降ずっと、原発再稼働反対の国会での運動が続いてきましたし。そういう流れの中で、鹿児島も原発反対の知事さんが当選したんですけど。[川内原発ですね] ― はい。新潟の柏崎は日本の中では大きな規模の原発ですから、非常に不安を持っているということだと思うんですよね。[この期に及んで、訳知り顔の人たちは地元の人たちの生活はどうなるんだとか、そういうことをいう方が非常に多いじゃないですか。私たちがどうやって食べていくのよ、という話もあるし、一方で甲状腺癌とかそういう信じられないような痛ましい話もありますし。そういうのをちゃんと精査してくれないと困りますよね] ― ひとたび原発事故が起きると、どういうことになるかということの大きさというのを福島の原発事故でみなさん実感されたと思うんですね。ひとたび起こるとお金もかかるし、後々何年も続くということで。[原発は残念な事故が起こってしまったからこそ、反対派が57%もいるということで、残念なベースの上ですけど進展しているということですね。ただ原発を呼んだ人、認知している人、応援している人というのは、賛成票を投じた人がそれをやっている訳ですから] ― 私は北海道出身で、北海道にも泊原発があって、原発を設置するまでは地域の漁民の人たちは反対してるんだけど、力とかお金とかで言うことをきかせるという経過があるんですよ。その経過の上に立って、そこでいろんなお金も入って何とか経済が成り立つと思い込んできたんだけど、いったん事故が起こったら大変なことになるし、原発に頼らないエネルギーというのがね、やっぱり大事じゃないかと、みんなの見方も変わってきたと思うんですよね。世論がすごく変わってきたと思うんですね。最初は稼働しなければ電力が足りなくなるとさんざん言われてたんだけど、止まっていてもちゃんとなんとかなってきた訳ですよ。みんな節約したりとか、いろいろ工夫して。自然エネルギーに切り替えることが出来れば。[自然エネルギーに対して100%の信頼が得られれば、何でこんなことをやるんだという。今、小泉さんと方向性が一緒になっているじゃないですか。これに関してどうですか?] ― いやー、結構なことだなと思いますね。[総理経験者で役所の書いた文章を読んでいた方が、そこまで反対するというのは] ― なんかチェルノブイリに行かれたみたいで、何年か経った現場の状況をご覧になって、やっぱりこれは無い方がいいと判断された訳だから、それはそれとして凄く重みのあることで。[勇気があるというかね、本当に高齢社会の利点ですよね。昔は総理は死ぬと同時に辞めるイメージがあったじゃないですか。総理を経験した人達が冷静になって、周りに役人が付いていたり、SPが付いていたりしたのが全部、取っ払って素になった自分が言っている訳ですから、かなり重いことだなと思いますね] ― 動かし続けている限り、核のゴミが蓄積される訳ですよね。どうやって処理するか決まってないのに動かし続けたらどんどん溜まる訳だから、やっぱり出来るだけ早く止めた方がいいということだと思いますよね。

 

●今だから言えるあの日の出来事

 

私、国会に来てから生涯これは忘れられないと思ったのは、2011年の大震災なんですよ。あの時、国会の中にいたんですけど、震度5弱ぐらいだったから相当、揺れたんですよね。大変だねと言ってテレビを付けてみたら、津波の映像が映し出されて。それだけでも凄い衝撃だった訳ですけど、このままじゃいけない、何とかしなきゃいけないということで、その日、電車が止まったりしてみんな帰れない日もあったんですけど、宿舎なので歩いて帰って。宿舎に帰ったら本とか全部落ちていて、ぐちゃぐちゃだったんですけど片づけて。翌日の6時に宿舎を出て、どこまで行けるか全然わからない、新幹線も止まっているし。車で国会議員と他の方も一緒に出発して被災地に向かうということで行ったんですね。ずっと車を進めて行ったら、至る所がひび割れして大変だったんですけど。海岸沿いは大変だということで、いわきの小名浜海岸を目指して行ったんです。翌日なので12日ですよね。本当に惨憺たる状況を目の当たりにしたんですけど、そこから引き返して福島に向かう時にラジオを聞きながら行ったんだけど、水素爆発というニュースがラジオで流れてきて、ショックだったですよね。どこまでどうなっているか全然状況がわからないですから、もしかしたら被爆するかもしれないという不安の中でずっと戻って来て。後で調べてみたらね、川端村とか田村市とかあるんですけど、10キロ圏内は出るように避難指示が出たと思うんですけど。ちょうどそのギリギリの所を通っていたのが後でわかったんですけど。本当に怖かったんです。そこから福島に行って、福島から仙台に向かって行くんですけど。途中でガソリンが切れて、ガソリンスタンドが全部閉じていて。ガソリンが無かったらここで動けなくなるということで、何とかしなきゃならないということで探し回って。それで一か所だけあったんです。ロープが張ってあって一般車はだめとあったんですけど、その時にはバッチを見せてですね、国会議員なんだと。どうしても行かなきゃいけないんだと言って。そうしたら渋々ガソリンを入れてくれて。そこから仙台に行ったんですけど。仙台もあの津波ですからドロドロの中で、現地に行った時にもう自衛隊の方々がご遺体を捜索している所に行った訳ですよ。思わず頭が下がったというか、大変な作業をね、しかも若い人たちですから。大変な作業をされているということで、本当にご苦労様ですということで話をしたんですけどね。あの時からみんなの価値観というか、変わって来たんじゃないかなと。[本当に戦争を体験したみたいな気持ちの切り替え、白紙になったというか。そういうのって50年に一回、起こるんですね。価値観を覆すような事柄って] ― 現場でね、被災しながらもお互いに人助けでやっている姿を見ながら、国会にいる者としては襟を正してというか、しっかりやらないとという気持ちにさせられた時でしたね。[地元の北海道に入られたのは何時ですか?] ― 12,13と行って14日に戻って来て。その後、北海道に。北海道も津波の被害が、函館とかに1メートル位の津波が来て。市場のいけすの魚がみんな町の中に出ちゃったという。そういう所もありましたね。[共産党なら豊洲の問題に切り込んで下さいというコメントが来ていますが] ― 豊洲の問題は共産党の都議団としては、あそこは元々の建っていた工場からいっても地面が非常に汚染されていると。市場を作るというのはふさわしくないとずっと言っていたし。その当時から調査すべきと追及していたんですけど、なかなか土を取って調べるというのはしていなくて。[やってくれなかったんですか?] ― やってくれなかったんです。私が聞いた話だと、海から船で入って行って、そこから自分たちで刺して土を調べるのに取って調べたと言う話を。小竹さんという議員さんがいるんですけど、その方がその話をしていて。そのことを詳しく知っている科学者の方とつながっていて、絶対に土質を調べなきゃだめだと言われていて。そういうこともやって、都議会で切り込んでいたという話を。[役人を頼らないで、自ら調べて凄いですね。当時は舛添さんでしたから、役人は共産党だけが言っているんだということで] ― 舛添さんの前からですね、石原さんの時です。[その頃から変わっていないんですね、ブラックボックスと言われる体質がね。そんなの出してしまったら計画がとん挫しちゃいますしね。お金もかかるということで。代替案としては。豊洲に移転は反対だということだったら、共産党はどちらに?] ― それはやっぱり、住民のみなさんの意見を聞いてということに。やっぱり危険な所には作るべきではない。[危険な所しか残ってないんじゃないですかね、東京都はね。築地にも多少は出た訳ですものね] ― 築地も若干、出たんですね。[有害物質が出たということを世間に公表するのは最高のタイミングでしょうし、アピールというか、都民にとっても有益な話でしたよね] ― そうですね、やっぱり将来のことを考えたらね、早い時期に判断して変更するなりということで。[みなさんで知恵を出し合うしかないですよね、都民でね。私たちのお金なんですからね]

 

[紙智子さんというお名前も珍しいですね] ― 北海道なんですけど、元々は富山からおじいちゃん、おばあちゃんの代に移り住んでいますから。富山には何軒かあるのかな。以前、国会に来たばかりの時に、大阪から電話が来て、大阪の紙という人から。私も紙なんですけどどこか先祖でつながっているのかみたいな。(笑) そんな電話がありました。[ご両親はお元気でいらっしゃるんですか?] ― 耳は遠くなりましたけど、父が95歳で母が91歳で。[それで自民党員なんですか?] ― 自民党はとうの昔に辞めまして。(笑) [今は共産党の活動を応援して下さるんですね。元々政治に明るいお家ですから、選挙だと血が騒ぐ?] ― そうですね、好きですね。(笑) テレビでやるよ、と言っておくと見てるんですよね。[変わりますよね、家族の愛って強いんですよね。御主人が亡くなられてまだ10年も経たないですか?] ― 2012年ですから、3年です。[どういう家族構成で暮らしてらっしゃるんですか?] ― 夫と私と二人だったので。[大変申し訳ないんですけど、再婚とかは考えられないんですか?] ― 再婚はちょっとね、出会いがあればあれですけど。[前向きですね!出会う方はいっぱいおられるから、万が一、本当に寂しいと思ったら結婚された方がいいっですよね] ― 今、すごく忙しいので、全然そういう風に思わないんですけど。[支持者の方とか、相談に来られる方がたくさんいると思うんで、正直言って寂しいとかないんでしょうね] ― 今のところはそうですね。(笑) 今、行っている歯医者さん、女医さんなんだけど、この方が面白い方で。岸恵子さん、知ってますか?岸恵子さんは3回結婚したんだと言って、だから紙先生も諦めないでとかって言われます。(笑) [TPP反対活動、頑張って下さい。国民のメリットになるように、どうぞよろしくお願い致します] ― はい。