羽田 雄一郎
はだ
第117回
2014年05月07日 放送

民主党 羽田 雄一郎 参議院議員

(以下、動画より文字おこし)

民主党 長野県 4期目

(幹事長?)―参議院の幹事長。党としては幹事長代行。(40代で大臣をやって、燃え尽き症候群にはならない?)―突然指名をされたので…前日の夜10時過ぎに野田総理からお電話を頂いて、その時は国会対策委員長を務めていた、それもねじれ国会で。僕が交渉していかないと前に進まないという立場に居たから、基本的には大臣、政府には入らないという事で言っていたが前日に突然お電話を頂いて、当時会長であった輿石副議長の了解を得たので何とか務めてもらいたい、との事で、そこまで言って頂いたのでお受けさせて頂いた。突然だったので大変だった。(民主党最後の閣僚だったという事)―第二次と第三次の野田内閣で閣僚を務めさせて頂いた。(国対と言っても政権変わっていたのでやる事は180度変わった?)―そうですね、特に参議院がねじれていたから、一つ一つの法案について当時野党だった自民党さんや公明党さんにしっかりと説明をして理解を貰わなければ一本も法案が通らないと。僕らが政権とっていた時は法案成立率が60数%、これ位しか無かった。今は80~90%、我々も与党経験をしたから何でも反対ではなくて国民の為になるものは、しっかり議論をしてより良いものにして通す、という事でやっているから80%以上通しているという事で。ねじれ国会でもう少し自民党さん公明党さんの協力を頂ければ、より良いものがもっと通ったと思うが。なかなか厳しかった。(それ位ねじれというのは大変、国会運営としては)―参議院がどうしても出口になるから、衆議院で通っても参議院で通らなければなかなか…2/3があればいいが2/3も無い様な状況では厳しかった。(それが今逆の立場で、閣僚だったのが野党になった、40代でそういう経験をされた方は少ない)―特に国土交通大臣というのは所掌事務が広くて、建設省と運輸省と国土庁と北海道開発庁が一緒になって…それに気象庁と観光庁と、後は海猿の海上保安庁、これも国土交通省。本当に幅が広く、東日本大震災2年目という事でなかなか前に進めないという事で大変な状況だった。特に私は「現場主義」という事を所信表明で言ってしまったので、こんなに沢山局があってこんなに沢山所掌事務があると思わなかったので、各局から大変多くの「現場に行って貰えるぞ」という事で殆ど休み無しで各現場に飛んでいた。(組閣の夜必ず記者会見をやられて)―そうですね、記者会見の場で、(原稿の)中には無かったが自分の言葉で「現場主義」というのは大切だと思ったので「現場主義を貫きます」という話をしたところ、省庁の皆さんに喜んで頂いて(笑)とにかく北は北海道から沖縄まで、また世界にも出させて頂いた。(野田内閣の中でも若くてフレッシュなイメージがあった)―有難うございます。(日に焼けている)―ゴールデンウィークは地元に戻ってお祭り等歩いていた。特に佐久市で行われるバルーンフェスティバル…気球の大会があって、気球に乗せて頂いて、大会なので60機位飛ぶが、今回フリーフライトといって1時間40分位…今回長くて…普通は40分位で降りられるが、降りる場所がなかなか無くてフワフワ浮いて、一回降りようとすると千曲川に浸かりそうになったのでもう一回浮上してもうちょっと先の田んぼまで飛んで行くとか、田んぼに水が張ってあるとそこには降りられないから乾燥している、まだ耕しただけの土地を見つけて何とか着陸をする、そういう様な形。風に乗っているから本当に音も無く、相当高い所からでも下の人達と話しが出来る位静か。携帯も繋がるし、普通にお喋りが出来て、「おはようございます」と声を掛けて「頑張ってください」と聞こえて来る。上から航空写真の様に写真を撮ったものを「羽田事務所に言って頂ければお送りしますから」と言って呼びかける「写真撮りましたから」と(笑)。呼びかけながら楽しませて頂いた。(5月7日という事で今日からまた永田町生活が始まるが何か変わった事は?)―これから後半国会に向かうので民主党として、役員の一人として、役員会に出席をして今後の国会対応、また参議院の方では国会と各委員会の筆頭理事の集まりをして今後の進め方について国会対策委員長から話しがあって…そういう会議に出させて頂いたところ。(暑くなって来たので、今日からクールビズ)―国会は5月1日から10月30日までちょっと期間が長いがクールビズという事で。昔は6月から9月末までだったが、震災以降省エネも含めて長くなっている。(羽田雄一郎さんと言えばお父さんの羽田孜さん、総理大臣の)―半袖スーツの(笑)。(あの省エネルックは誰もが覚えている)―大平総理の時に開発して、定着して省エネルックから、私が初当選した1999年からは「ニューサマースーツ」で。僕も半袖スーツをずっと着ていたが、去年の参議院選挙でそろそろクールビズがあたり前になって来て、ネクタイもしなくて良いし上着も脱いでも良い様な…本会議場だけは上着着用の義務があるが、その他の委員会等では上着も脱げるので、もうクールビズで、半袖スーツでなくても良いのではないかと言う事で去年の選挙でポロシャツに変えて、それからは卒業という事で卒業した。(スーツの袖を半袖に切ったイメージのスーツを省エネルックとして羽田孜さんが日本に知らしめた、総理の時に)―で、クールビズが出来て定着したので卒業という事で。父親も43年間務めて勇退をした。その後の参議院選挙で僕はポロシャツに変えて選挙で戦って、「これで省エネスーツ、ニューサマースーツは卒業します」と宣言して選挙をやった。(お父様はお元気?)―少し身体を壊したがユックリさせて頂いている。ずーっと走り続けて来たのでやはり少し休みたいなと。(総理大臣をやってそこで終わりではない)―民主党に辿りついて政権交代まで長い道のりがあったので…もう一度頑張らないといけない。

●幸せ度数年表

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第117回羽田雄一郎

ちょっと細かく書き過ぎた。(1967年7月生まれ)―肉の日、29日。ひつじ年。2歳の時に弟が生まれ、(父)初当選…44年。(その前は何をやられていた?)―小田急バスの観光課の課長をやっていた。色々な企画を作っては、バスの添乗員もやって…(そういう人が総理大臣をやった。人柄が出ている…人の為に、人を喜ばそうという気持ち)―「人を喜ばそう」というのは観光課に居たという事と通じるところがあるのではないか。(お母様はまたすごいお嬢様?)―そんな事もない。母親は男兄弟に囲まれていたのでサバサバしている。(カルピスの関係のお嬢様。創業者?)―創業者が二人いて、その方。(カルピスで育った?)―カルピスで育った。(健康優良児という感じ)―そうですね(笑)。カルピスで育ちました、確かに!(笑)。あそこはグッズも沢山出していた…色々なテレビのスポンサーをやっていたから…(カルピスのノートとか?)―そういうグッズですね。(カルピスはドンドン改良されて味が変わった)―バターが美味しい。高い。(使っている?)―昔は祖父から頂いていた。子供の時しか使っていない、大人になってからは貰ってないので。高いから買えない(笑)。(何に使っても本当に美味しい)―有難うございます。(そして成城学園中学に入学、その後はまた違う学校)―新潟のキリスト教の学校。(どうして転校した?)―ここで「幸せ度」が↘↘低くなっているが、真っ直ぐ行けなかったという事でしょう。勉強嫌いだった。(ワルかった?)―ワルくはない。天真爛漫に遊んでいた。大らかに育ち過ぎてしまって、母型はずっとクリスチャンだったのでキリスト教の学校…(今もクリスチャン?)―はいそうです。(クリスチャンの人が多い、麻生さん…)―石破さんとか。(そういうのは-与党野党一緒になるもの?)―いっしょに集まる事はある。(政策は政策、宗教は宗教という考え方?)―宗教は別なので…自由なので。(そして玉川大学)―珍しい学科で芸術学科の中に児童専修課程といって保育士の資格を取る…(資格を持っている?)―持っている。(子供に好かれる、こういう方は…話していて楽しくなる。閣僚経験者に失礼?)―(笑)。(選挙区でお子さんに好かれる?)―子供に好かれる。今でも国会見学に修学旅行で小学生が来る、地元から。その子供達の前に立って「三権分立」の話と、「夢は必ず叶う」という話と「英語の大切さ」…こういう小さな島国だから世界中の人達と渡り合っていかなくてはならないという事で。(夢は叶うもの?)―夢は必ず叶うもの。思っているだけでは叶わない。やはり書いたり、人と話したり、親御さんとか話す事によって色々な人の協力を得て必ず叶うという。スポーツ選手でも、今オリンピックで活躍している人でも、親御さんに毎日の様に練習する所に子供の頃連れて行って貰ったりして、自分の努力もあるけど多くの人達に関わって貰って夢を実現しているから、そういう意味では夢は必ず叶うという風に思っている。(羽田雄一郎さんの夢は昔から政治家だった?)―保育園の先生。政治家になるつもりはまるっきり無く、保育士の資格を取って青少年健全育成の為の伊藤忠記念財団に勤めた。(幼稚園の先生になるというのは?)―これは児童館を運営したり全国の家庭文庫とか子供文庫に助成金をだしたり、子供達をキャンプに連れて行ったり、ボランティアを育成している団体、財団。(政治家になるつもりはサラサラ無かった?)―サラサラ無い。元々興味が無かった。保育士の資格も取り…1994年の4月に80代の内閣総理大臣に父親がなったので…短かったが丁度伊藤忠記念財団に居る時で、その前後は(父は)大臣をずっとやっていたので、全国の家庭文庫を回ると、ボランティアのお母様方から「羽田さんて何か関係があるの?」と言われて「息子なんですけど僕は福祉とか教育に興味があって伊藤忠記念財団でお世話になっている」と言うと「あんたみたいな図書館も無い様なこんな過疎の地域まで来て私達の話を聞いてくれる人が政治には必要」と言われた。それで北は北海道から沖縄の離島、特に図書館の無い様な過疎の地域をずっと回っていたので、そのお母さん達の声なき声を父親に届ける事位は出来るかなという事で3年目に父親の秘書になる事を決断して父親に頼み込んで、「お願いします」と言って、5年を機に辞めて父親の秘書になった。安定している職場…伊藤忠記念財団は。(まさか雄一郎が!という感じ?)―そうですね。どちらかと言うと反対をして。そのまま進めばいいものをと。(お顔もお父様に似ていない)―似てない。母親派。うちの弟が父親派で。「派」なのか分からないが(笑)。(時の総理大臣のご子息ですから)―秘書になった時も政治家になるつもりはなかった。本当に後継ぎになろうと思えば地元に帰って地元で秘書をやって地元をずっと回っていればその方がなる確率は高くなるが、僕はやはり声なき声を父親に伝える…特に子供政策とか、ボランティアをやっているお母さん達とか地域の声を父親に届けたり、父親にそういう話が来た時に僕なりに父親に話したりという事で常に父親に関わっていないと実現出来ないので、「随行集」と言って365日間、一日24時間、とにかく父親にくっついて歩く秘書になった。(お父様の生の現場のお仕事ぶりはどうだった?)―もう本当に身を削りながら…40度位の熱があっても仕事をしていたし、僕には厳しかった。疲れているから、次の日の日程を渡して、ちゃんと自分で鞄の中に入れたが忘れていて、「明日どうなっているんだ?」「そこに入れましたよ」と…他の人が居る前で言ってしまった事があって、すぐ「明日から来なくていい」と。(厳しい~!)―僕が悪い事を言った訳ではなくて僕はちゃんと渡したし、僕は正しいと思っていたが、最終的にバン!と家のドアを閉めて出て行ったら、「もう明日から来るな」と言われたが「明日から来るな」と言われたのは困ると…(雄一郎さんが出て行った?ダメですよグッとこらえないと)―そうですよね。グッとこらえられなくてバン!と閉めて下まで行ったが、もう一回戻って「生意気な事を言ってすみません」と謝って、「分かればいい」と言われて…父親が白の物を黒と言えば黒でいかなくてはならない、秘書だから(笑)…理不尽だなと思いながら。厳しかった。休みはなかなか貰えない。(どうして30歳で秘書を辞めて…)―成るつもりは無かったが…(32歳で参議院議員初当選)―1999年に村沢牧先生という長野県の社会党(現社民党)の方だったが急に亡くなられて補欠選挙…今みたいに春と秋にまとめるのではなくて何かあればすぐに補欠選挙で、全国で唯一の補欠選挙があった。その時も僕は出るつもりではなくて、21世紀は福祉と教育と環境問題が一番の問題になるという事で、父親は女性の候補者を決めて僕はその応援に入ろうと思っていたが、五日前に女性の候補に断られ…朝7時半に断られて、9時には「羽田孜の息子として生まれた運命だから」と党本部から「頼むよ」と言われて出る事になった。(その止めた女性候補者はまだ何処かでやっている?)―政治の世界には入っていなくて、元々はアナウンサーをやられたり色々な企画を立てたり、そういう方なので我々としては何としても立ってもらいたかったが残念だった。ただ、成ったからには、選んで頂いたからにはやはり自分なりにしっかりと地域の為にも日本の為にもやらなくてはいけないという思いがあり…(99年は森政権の時で人気無かった)―そうですね(笑)。ただ次は小泉政権に変わっていた。(何党で出ていた?)―民主党…鳩山代表。(お父様はザ・自民党だったのに?)―自民党から相当前に飛び出している。(どの位前に?)―父親は92年とかそれ位の時。(それで総理大臣になった?)―そうです。細川政権が出来て、細川さんが辞められて急きょ…(細川さんと村山さんの間)―そう、自民党と社会党がくっついて村山政権が出来たので、その間。(雄一郎さんが政治に関わる時はもう民主党は新しい党だった)―鳩山由紀夫さんが代表になった最初の候補者。(初当選されて結婚。結婚はどなたとどんな感じで?)―(笑)見合い結婚で…すぐにビビッと来て二週間ずっと会い続けて二週間後にはプロポーズをしてO.K.を貰って半年後には婚約をして…その年の4月に会って12月に結婚した。(日本の伝統はこうやって繰り返される。お膳立てしてくれたのはお父様?)―いいえ、中に入るおせっかいなおばさま達(笑)。(そういう人が居ないとダメ)―僕の場合政治家になっていたから、政治家との結婚という事になるので相当難しかったと思う。(本当に素性がしっかりしていないと…彼氏がいたとか色々な事がある…巷では。だからそれは正解(笑)で、もう好きになってしまって…)―そうですね、すぐに。(何て幸せな)―この人しかパートナーは居ないと。(またカルピスのお嬢さんみたいな感じ?)―いえ、建設会社の(笑)。(そして当選2回、磐石)―補欠選挙で初当選をして本選挙はすぐにあったので2000年に結婚したが2001年にはもう選挙で、二回目の当選をした。(お見合いだと選挙も込みだと分かって結婚されている)―ただ岡山出身なので地の利は長野県に無いが、政治学科を卒業しているので政治には興味があったという事でしょう。一生懸命選挙をやってくれる。丁度(妻が)学生の時に父親が総理大臣として授業をやったみたい。(どこの大学?)―学習院。たまたま講演に学習院に行って講演した時に生徒として座っていたらしい。(まさかそれが未来のお父様になるとは!良い話)―(笑)。(そして国土交通委員長、この辺から閣僚への道が始まる)―長野県はご存知の通りそんなに都会ではないので、陳情といえば道路、農業なので、初当選以来ずっと農林水産委員会に居て筆頭理事まで農林水産委員会でやったが、たまたま農林水産委員長は自民党さんが手放さなくて、国土交通委員長は民主党が取っていたので丁度はまって国土交通委員長をやらせて頂いた。それ以降はずっと国土交通畑。今また農水委員会に入っているが。(その間に2003年と2005年にご子息様が二人産れている)―幸せ度は…(マックスですね)―100を超えて…結婚と子供二人。(絵に描いた様な幸せ。特に子供が好きだから嬉しくてしょうがないでしょう)―そうですね、保育士の資格まで持っている…子供は大好きなので。(奥さん楽。保育士さん帰って来て…)―(笑)帰って行けば良いが…(一番可愛い時期に閣僚をやっていて帰る時間も無く)―特に国会対策畑がずっと長く委員長代理を三回位やって委員長も二期連続でやったりしてなかなか忙しかった。丁度子供が遊んで欲しい時…今も遊んで欲しい…(こういう感じは子供から見て好かれる。触りたくなる様なオーラを発している)―有難うございます。修学旅行に来た子供達も、地元のお祭に行くとバーッと駆け寄って来て自分の夢を語ってくれる。(国会議員はよく子供が寄って来るが、羽田議員は別格に好かれる)―お父さんお母さんより子供達がまず来る。子供達が来て、「6年生の時に国会見学でお世話になりました」と声をかけてくれる。(子供だったらこういう方に聴いて欲しいもの)―そこでアドバイスできる事はする様にしている。(ちゃんと向き合っている、子供達に)―国土交通大臣をやっていた時も、子供達の未来に責任の持てる国土交通省にならなくてはいけないと。国土交通省というと、どちらかと言うと「造る」という…(大人達の談合の巣窟みたいな悪いイメージがある)―(笑)高度成長を経て造る事をずっとやって来て50年程経ってきているからこれから子供達の時代にどういう国土を残していくかという事の責任が国土交通省にはあると思うが、そういう意味では良い時に就かせて頂いたと思う。(44歳で閣僚は男性ではかなり若い方)―そうですね、後は蓮舫さんとか…僕と同い年なので。後は細野豪志君…僕より年下。(参議員で4回当選という事はキャリアが長い)―補欠選挙だったのでたまたま補欠選挙、本選挙というのが一年足らずとなっているので。年数的には今年で15年になるが4回というのは相当上になる。(永田町の暗黙のルールでは上を目指して参議院から衆議院に鞍替えされる方が多い)―「衆議院から参議院」も多い。(そうですか。衆議院に行くというのは無い?)―やはり総理を目指すのであれば衆議院というものは目標に入ると思う。これは運命。(この間お父様が引退をされ議席が空いたが、そこに行こうと思わなかった?)―うちの党は世襲禁止になっている。祖父の時代、学生時代から羽田家に出入りをして頂いて介護とかやって頂いて、その後卒業して暫くサラリーマンをやられていたが、父親の秘書をやって、乞われて県会議員をやられて県会議長までやられた方が寺島義幸代議士…民主党では唯一地方選挙区で勝った、この間の(2012年の)厳しい選挙で唯一。一期生。(その方しか居なかった?)―小選挙区で勝てたのは、やはり父親の力は大きいなと思う。(お父様も自分で作った制度だから雄一郎さんを立たせたり弟さんを立たせたり出来なかった)―出来ない、民主党内では。そのまま続けてというのはダメ。(今民主党は何人いる?)―80数名。(維新が追随している感じ?)―そうですね。(野に下ってどう?)―我々の政策が通らないというのは大変厳しい状況だと思うし、我々が下野したのは政策で下野したと思ってないので…やはり政権を取る為に民主党は集まってしまったので、政権を取ってから、その中での権力争いというか政策的な違いで争ったりというのが、バラバラ感というのか、それが余りにも見え過ぎて…最終的には本当にバラバラになってしまったので…(それは今結果的に?、それとも閣僚時代に感じていた?)―閣僚時代にはバラバラになっていたので、出ていかれた方もいらっしゃったし、そういう意味では大変厳しい状況だなと。やはり今度もう一度国民の皆さんの理解を得て政権を奪取する為には政策を一致させなければ、政権を取った後続いて行けないと思う。(いずれ民主党はまた政権を取れると思う?)―今、一生懸命政策の見直しをしている。5月中には経済対策をまとめるつもりで桜井政調会長が汗をかいているので、ここでしっかりと民主党としての経済政策、また民主党が政権を取ったらこういう社会になるんだという、こういうものを国民の皆さまにしっかりお示しをする事が出来て、そこに皆が集結してくればもう一度国民の皆さんに理解をして頂けるのではないかと、また理解して貰わなければならないと思っている。二大政党が切磋琢磨するという事を私の父親は目指して来たのでもう一度僕も目指して行きたいと思う。(自民党も無くなってしまうのではないかと巷で言われた事があったが、そういう時も安倍さんが憲法頑張った様に何か頑張らなくてはいけない)―自民党の凄さは、決まった事は、それまで反対だと言っていてもちゃんと賛成するというところではないか。(民主党は割れて出て行く)―(笑)もう少し、党で決められた事はしっかり守って行く事をやっていかなくては…特に政策面では…なかなか国民の皆さんは安心して任せる事は出来ないのではないか。政治というのは妥協の産物というか、理想はあるが一歩でも近づいたらそこは良しとして賛成していかないと前に進めないので、やはり理想だけを語っても何もならない。だから党の中で議論をしてここを目指すが、今しっかりとまとまろうと、決めた事は守っていくという、そういう文化を民主党は作らなくてはならない。(自民党は採決の時には賛成するというのは、派閥のうるさい伊吹さん、麻生さんがいるからというのがあるのではと思うが、民主党はそういうのが出来なかった?)―民主党は派閥政治を打破しようみたいなところがあって、とに角クリーンな政治…勿論これからもクリーンな政治を目指していくが、決められた事…グレーというか政策的には100%ではないが80%…まずは10%実現出来たらここはまずは賛成しよう、次もう一回チャレンジしようという積み重ねで政治というのは成り立っていくので、そこをもう少し我々全員が理解していかなければいけない。(理想だけでイエス・ノーを決めてはダメだという事)―そうですね。

●最近の政治トピックス

やはり後半国会、今安倍内閣が進めようとしている「集団的自衛権の行使」の解釈の変更、これはやはり国会でしっかり議論して貰わなければならないと思う。(それは国会ではない機関で議論されているという事?)―諮問機関の中で議論はされていて、それを政府として閣議決定していこうという風にしているが、今までの解釈というのは、国会にもしっかりと認められているからこそずっと続いて来た解釈なので、それを変更しようと、特に国会の中でまるっきり議論がされていない中で大きな変更をしようとされているので、これはやはり国会も支えられる様な憲法解釈というかそういう議論というものをしていかなくてはならないと思う。(その諮問機関というのは安倍さんの機関なのでそれが先走り過ぎて国会を軽視しているのではないかという事?)―そうですね、ただ最初の頃、「集団的自衛権の行使」は憲法解釈を変更するのだと、閣議決定をするのだという所からは少し「いやちょっと待ってよ」という世論が高まって来ているので、少し後退して「部分的に」とか、という話が出て来ているが、ただ本当に部分的に認めて良いのかというところで議論を必要としているのではないかなと思う。少し後退している様な雰囲気にはなっているが、実際にはまだまだ議論はされていないので国会でしっかり議論をして国民の皆さんにしっかりとお示しをする必要があるのかなと思う。(安倍さんの念願は憲法改正。憲法の日で新聞は盛り上がって、安倍さんは外遊に行っているのに色々な事が出ている)―国会は殆どこういう時期外遊される方も多いので。参議院は28日も決算委員会をやっていたが基本的には国会自体が動いてはいなかったのでそういう意味では外遊に出やすい…そんな中で色々な発信が新聞でされるというのはおかしな話だなと思う。(身内の自民党の事を新聞で見て知るという事があると聞いたが、そういう事がある?)―ありますね、今の状況だと。(国会軽視?)―完全に国会軽視だし、国民軽視と言ってもおかしくない。(民主党としては、憲法改正とか集団的自衛権についてはどういうスタンス?)―我々は憲法については国民的議論をしっかりとするべきだと。やはり憲法を読んでも「ここちょっとおかしいんじゃないの?」とか「これもう少し分かり易くした方が良い」とかそういう事はあると思う。(GHQが何日間かで作ったという?)―ただ平和憲法という事については、日本が戦争に巻き込まれずに今日まで平和で来られた訳なので、それなりの…それなりのというか大きな重いものだと思う。そういう意味で憲法を変えるのであればしっかり国民的議論をしていかなくてはいけない。(どういう規模でやれば良い?)―基本的には地方にも出て行って、色々な形での座談会を数多くやるという事。またテレビを通してもっと国会での議論というものが報道される事によって国民の皆さんも「憲法改正というのはこんなに重みがあるんだな」とか「集団的自衛権の行使」…今の自民党さんの憲法草案によれば、国防軍、集団的自衛権の行使という事になると、徴兵制度になりかねない。戦争を出来る国にするか、戦争の出来ない今の日本でいるかという、子供達の時代にまで関わって来るのでやはり我々大人はしっかりと子供達や孫達の時代に今の日本の平和を繋いでいかなくてはいけない責任があるから、本当に徴兵制度になって良いのか、戦争の出来る国になって良いのかという事は考えなくてはならない。ただ国際的には関係も変わっている。そういう意味では環境の変わっている部分で日本は何が出来るのかという議論もしっかりとする必要があるのかと思う。やはり民主党はしっかりと議論をして本当にどこまでが必要なのか、個別自衛権で十分対応出来るのではないかと、こういう様な事、またPKOまでは日本は認めて来ている訳だから、自衛隊が他の国が始めた戦争に出て行ける様な状況というのは作るべきではないと思う。(そういう議論を民主党が表に立って言える場面が減ってしまった)―全く無い。(それは悔しい事)―そうですね、国会で議論を是非して貰いたいと思うし、国会で議論をしろというのは、国民に議論をしっかり見せるという事が必要なんだという事。(見せ場が自民党の中の安倍さん対石破さんみたいになってしまう)―与党の中、また政府と与党の中の議論ばかりが先行していて我々野党として、国民の声を体現してどうだというのがなかなか無い。(そんな中で海江田代表から「憲法記念日にあたって」というもの(議員持参の書類)が来た)―民主党というのは立憲主義、法治主義の基本に照らして「集団的自衛権の行使」については憲法9条に違反し許されないという今までの内閣の解釈、これを正面から否定する様な事はダメだと、「集団的自衛権の行使」一般を容認する解釈に変更する事は許されないと思っている。ただ我が国を取り巻く諸情勢の変化を踏まえて我が国の領土・領海、国民の生命及び財産を守るという観点から、集団安全保障に基づいて国際的な責任を果たすという観点から従来の解釈との整合性のとれた論理的な解釈を堅持する…こういう、「必要だ」という事も謳っている。だからしっかり議論をして「集団的自衛権の行使」でないと出来ないのか、今持っている「個別自衛権」の範囲内で十分対応出来るのではないか。個々のケースについてこれから議論を深めていきたいと民主党は思っている。

●今だから言える、あの日のあの出来事

さっきから少し裏話的な話もしているが、国土交通大臣時代の最初の記者会見の中で、「現場主義」という事を言った事によって大変な目にあったという様な話をしたが、僕は雨男ではなく晴れ男なので「幸せ度数年表」も殆ど100%で、幸せに生きて来ているので国土交通大臣時代は一度も傘を使わなかった。6月なので梅雨の時期から12月までなので、一回も。土砂降りにもあった…東日本大震災の現場を回った時もバス移動している時は大雨が降って降りる時には雨が止む。九州豪雨もヘリコプターに乗って行って雨雲をよけながら飛んで行って現場を視察して、一番酷い状況になっている阿蘇の所では、校庭に降りたら避難指示が出ていて、避難所を視察をさせて頂いたが、その時も…九州豪雨の時なので土砂降りだが、僕が降りて休憩する時は雨が止んで、(その後)また降る。タイも丁度雨季だったが、行き帰り大雨で前を先導するパトカーが見えない様な状況の中でもアユタヤの遺跡に行ったら晴れて、像さんに乗らせて貰った。(国交省の役人さんには語り草?)―語り草で、私の秘書官とSPさんは僕と歩く時に傘を持たないで、他の局長さんとかはたまにしか僕と一緒にならないので傘を持って歩いて、「皆さん持たないんですか?」みたいな。地方整備局も含めて、僕が大臣の時には「羽田大臣が来るなら雨は大丈夫です」という状況だった。こんな裏話しか無い(笑)。(もっと他に一杯ある(笑)?)―あるが言えない(笑)。丁度尖閣を国有化した時なので…観光庁も国土交通省で持っているので、中国でも韓国でも日本が主催する観光イベントは、向こう側から「止めろ」と言われない限りは全部やっている。そういう意味では表舞台では握手をしながら尖閣の問題では足元ではちょっちょっちょっと蹴飛ばしあいながら、中国と。観光立国を目指している日本としては喧嘩ばかりしている訳にいかないので、特に隣国は色々な摩擦があるが、それを乗り越えて経済交流や人的交流を進めていかなくてはいけないので。やはり理解をしあうという事も大切だと思う。(銀座に行くとブランド物を買うのは中国人しかいない)―確かにバスが多い、大型バスが。(赤坂の両替の所や銀座の免税店などとにかく中国人しか高価な物は買っていない)―でもやはり日本でお金を落として貰う事は大切なので。(そういうところもあるが政治的に言うとまた違うかも知れない)―経済交流とか人的交流は大切だと思う。環境問題で中国は大変になっているから…日本は環境問題では…我々が子供の頃は光化学スモッグでプールに入れないとか色々あったが若い人達は経験していない。そういう意味では中国は今凄い状況なので…殆ど見えない…昼間でも暗い。それをやはり日本の技術とか日本の経験をしっかりと伝えて、中国も隣国として空気の良い状況にしていかなくてはいけないし、黄砂とかPM2.5とか、今度新しく0.5…マスクをしていても通してしまう、血管にも入って来るという様なものが飛んで来るのではないかと言われている位なので、そういう意味では日本と中国・韓国が協同して研究していかなければならないと思う。

●質問コーナー

Q:ナイジェリアで200人位の少女が誘拐されて売られるという話があるが、日本政府や国連が何かメッセージを出せないものか。

A:そうですね、日本政府としてそういうものは発信していくべきだと思う。資源の少ない日本だからこそ、子供というものの大切さを分かっていなければならないし、そういう意味では世界の子供に向けて発信をするという事も重要だと思う。私もユニセフの議員連盟の事務局長をやらせて頂いて、谷垣法務大臣が会長だが、こういう活動を通して日本はしっかりと金銭的にも世界の子供達の為に世界で一番出している国だから我々としてもしっかり発信していくという事は重要だと思う。

(「引退したら保父さんにならないんですか」とメールが来ていたがどう?)―僕は養護施設とか老人ホームにも学生時代から行っていて、まだまだ元気で世の中の為に何かしたいというお年寄達が老人ホームに居て、愛情を欲している子供達が養護施設には居る。この(両)施設が隣接していたらいいなというのが、実は保育士になりたいきっかけ。で、少しずつ養護施設と老人ホームが隣接して…これは一緒にしてしまうとプライバシーとか、常に子供達がワーワーと騒いでいる中でお年寄の皆さんがゆったりと生活が出来るかといえばそうではない。隣接している中で子供たちの声が聞こえ、たまに交流をしたりという中でイキイキと老後を過ごす。また子供達も大人というものに信頼を得られる。戦争の時は戦災孤児という形で養護施設があったが、今やはり虐待とか…親とか一番信頼している大人に虐待をされたりする子供も多いので、そういう意味では大人というものをもう一度信用して貰う、という意味でも良いのではないかという事で、そういう施設を作りたいという夢は持ち続けているが、徐々に実は実現している。老人ホームで暮らす、老後を楽しんで貰いたいお年寄も、今「理美容室」というのが施設にはあって、お化粧したり散髪をして綺麗にする事によって今まで自分の部屋に引き籠りがちだった人達もドンドン表に出て来てまた恋愛したりする人も…この間テレビでやっていたが。(おばあさんが多くておじいさんが少ないから大変らしい(笑))―(笑)。そういう意味でも将来そういう施設を経営・運営してみたいなという夢はある。(政治も勝ち続けて強いが、お優しい面を持っていらっしゃる。連続して当選しているとイケイケの様に思われるが)―書くと「4回当選」と楽に当選している様に見えるが、父親の5倍の選挙区、長野県全部なので…5倍の選挙区で戦っているし、長野県は2人区、1人区の人には「2人区でいいね」と言われるが、2人区で二人立った事もあるので、そういう意味では身内同士での戦いも経験しているから、大変厳しい選挙もやってきている。(勝ち上がって来た人とは思えない…優しさを持っている)―あまり欲が無いからではないか(笑)。(素晴らしい。政治は弱者の為のものと言うし)―声なき声をしっかり国政が捉えて形にしていくというのは重要だと思う。