若宮 健嗣
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第66回
2013年03月13日 放送

自民党 若宮 健嗣 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党 (東京5区) 比例東京ブロック 2期目(2013年3月13日収録時点)

(毎日のように顔をみていますよね)―いやー、ほんとに。今日も一日じっくりと予算委員会で。(5時まで)―頑張って座っていました。(色々な人が色々な事を言うと思いますが、大変なことですよね。ずっと聞いているというのは)―各会派のご意見など、色々な意味で色々な人から本音の話が聞けます。それに対して、安倍総理はじめ各閣僚の方がストレートにお答えなさるので、そのあたりは本音のぶつかり合い。非常に勉強になります。(始まったばかりですが、閣僚の方に勢いがあるからすごいですね。一触即発というか、余裕というか)―そうですね。皆さんその道のプロというか、実績も経験も豊富な方ばかりが今回なっておられるので、そのあたりは自民党力入れているな、と思っていただけるかな、と。

●幸せ度数年表

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第66回若宮健嗣

(1961年生まれ、永田町生まれ?)―はい、幼稚園も小学校も自民党本部の目の前。(どういう人が住んでいる?)―昔はけっこう人が住んでいたんです。今じゃビルだらけですが。(普通の一軒家?)―はい。(若宮家は何屋さんだった?)―一応不動産の、賃貸などを父がやっていました。(ずっとそこに住んでいた?)―はい。千代田区と港区にけっこう住んでいたので、小さい頃はずっとあの界隈で。今では議員会館がきれいに建て直されていますが、昔古い時は柿の木とかススキとかあって、子供をけっこう気楽に入れてくれたので、秋になると柿をちょっともいで家に持って帰って食べたり。今じゃあり得ないでしょうね(笑)。(子供もあまりいないし。官舎の子供が少しいるくらいで)―そうですね。(中学校まで永田町の中学校?公立に行かれた?)―幼稚園と小学校だけ永田町で、そのまま行けば公立の麹町中学でしたが、そこでとりあえず挑戦をしてみようかと受験をして、慶應の中等部に入らせてもらって。そのままずっとあとは慶應に。(受験は大変だった?)―あんまり大変じゃないと思います。(頭いいんですね(笑)。麹町中学校もレベルが高くて、わざわざ引っ越される方もいるとか)―多いらしいですね。(先生も心構えが違うという噂が)―どうでしょうね(笑)。(学生時代はきっと楽しかったんでしょうね)―まあそれなりに山あり谷ありでしたが、楽しかった。(バスケットボール部だった?)―はい、中学生の時に。(背が高いから)―昔はね。今じゃごくごく普通ですけど(笑)(成長が早かった。でも180㎝近くありますから)―そうですね。(その頃から国会議員になりたいという野望があった?)―野望というとちょっとおこがましいんで…。(野望でいいですよ、大丈夫(笑))―幼稚園や小学校の時に永田町を歩いていると、今でもそうですが自民党本部に大きなスローガンとか垂れ幕がかかっていますね。あるいは議員会館の前を歩いていますと、赤いはちまき締めたり腕章した方が座って、文句を言いたい方は文句を、賛成の方は賛成と言う。(時代がわかりますね)―当時はデモ隊が多かった。(学生の)―ええ。そういうのを目の当たりにしているうちに、ああ、やっぱりここは日本の政治、世界の政治の中の大きな場面が動いているんだな、と幼心に思って、いつかは自分が国の役に立てる仕事に就ければな、というのは漠然とありました。(歩いていて例えば田中角栄さんにあったりとか)―さすがにそれはないです(笑)。色んな方をお見かけしましたけど。(当時、渡辺ミッチーとか)―そうですね、当時の方々いらっしゃいましたね、三角大福中のあの時代ですので。(自民党がホットな時代でしたから)―けっこう熱を帯びてた時代ですよね。僕が小学校6年…5年の時かな、田中内閣が発足したような時代ですから、小学校の前半と言うと佐藤栄作さんが内閣総理大臣を長年やっておられて。オイルショックとか色々ありましたけど。(激動の時代でした)―そういうこともあって、やっぱり政治の力って大きいんだな、大事なんじゃないかな、と思っています。(目の当たりにしてきた、ということですね。ニュース及び道端や近所で)―近所で(笑)、はい。(28歳で結婚?)―はい。(おめでとうございます。お綺麗な方で)―いやいや、ごく普通の(笑)。(同級生?)―はい。大学3年、4年とゼミに入っていて、同じゼミの仲間というか。たまたまそのゼミで代表をさせてもらっていたので、多分集団の中での人物像を見てくれていたのかな、と。分かりませんけどね、こればかりは(笑)。(当時の「青が散る」の時代ですね。聖子ちゃんの曲がかかってきそう(笑)。そして、まず西武グループに就職された?)―はい、昭和59年に卒業してそのまますぐ、セゾングループの不動産会社に就職しました。(堤清二さんの秘書をやられていたとプロフィールに書いてあるんですが、本当?)―本当です。嘘書いたら違反になりますから(笑)。(何年くらい?)―6年くらいですか。かなり充実した、密度の濃い時間でした。(すごいですよね、当時の西武グループのトップの人達といるわけですから。政財界入り乱れてますよね)―いやいや、入り乱れているというのはなんですが(笑)。確かに中央展開していて一番拡大していた時だったので、基幹会社が12社くらいあって、インターコンチネンタルもちょうど買収していたので。(当時買収して今がある?今また譲渡されたのでしょうが)―そうですね。たまたま前の日、ダイエーさんが南海ホークスを30億円くらいで買収した、と日経新聞の一面に出たんです。その翌日の新聞で、「セゾングループ、インターコンチネンタルを2千数100億で買収」と出た。ゼロの数が違ったので、「やったー!」みたいなね(笑)。(そういう時代)―社員みんなそうでした。更にみんな頑張るぞ、と気合が入っていましたね。(すごい、今じゃおとぎ話ですけど…今また少し戻っているから、夢じゃないのかも)―そうですね、頑張らないといけませんね。(素晴らしいお話聞きました。身震いがおきます(笑)。日本経済がどん底の時に聞きたかった(笑)。堤清二さんは、今作家活動されてる?)―そうですね、皆さんご存知の、辻井喬の名前で。(この間も「茜色の空」という大平さんの本を読みました)―もうお読みになった?さすがですね。当時から、いつ寝てるのかな、っていうくらい。昼間はずっと仕事しているので。(実業家でよく夜に執筆活動できますよね)―夜中に書いてるんです。ですから寝る時間が本当に少なくて、3時間くらいしか睡眠時間がない。(今でも健康を保たれてる)―そうです。物凄い体力ですよ、タフで。土日がなくても全然平気っていうくらい。(あの一冊の本なんて、一生かかっても書けない様な調べ方じゃないですか)―そうですね。私自身も仕えさせてもらって、幸せだったなというか、今もそうですけど勉強させて頂いてるな、という気持ちが強いですね。色々な分野を多岐にわたって広くて深い、という方はなかなか…この分野は詳しい、っていう方はいらっしゃるんですけど、この方面もこの方面も、という方にはなかなかお目にかかれないですね。(色んな賞を頂いている。夜中に書くんですか、初めて知りました)―当時ずっと車で移動しているでしょ?驚くことに、神田の本屋さんに通過する途中で寄られて、「ちょっと若宮君、本を買いにいってもいいですか?」とおっしゃるので、「もちろん、どうぞ」と言って運転手さんと待っていると、袋いっぱい両手に持って帰ってくるんですよ。重いからご自宅にお運びして、2週間か3週間すると、またちょうど通った時に、「ちょっと本買ってもいいですか?」って行くわけですよ。で、また袋いっぱい買ってくる。「会長、先日買ったご本は、全部御目通しなられたんですか?」と聞くと、「ああ、あれは全部読みました」と。スピードが速い。(且つ、執筆活動もされる)―もう速読状態。(一字一句追ったって、何が書いているか言えないし、その読み方がいいのかも)―エキスだけぎゅっと入るのかもしれないですね。(当時はアイパッドなんてなかった)―せいぜいワープロですね。企画書なんかはワープロでやってました。パソコンないですから。全部万年筆で手書きです。(今もきっとそうでしょうね)―ええ。それを今度僕が書き直して出版社にお届けして。(じゃあ、生原稿を拝見された)―そうですね。(すごい貴重ですね。羨ましい(笑))―でも発売するまで喋れませんから(笑)。(西武グループには何年いらした?)―1992年くらいに退職したので。バブルの絶頂が結婚した89年…平成元年、2年くらいですか、そのちょっと後くらいに。父が倒れたので、家に戻ったんですけどね。(それで家業を継いだ?)―はい。(その頃から出馬しようと?)―93年の細川内閣、日本新党の。(政党が色々入り乱れていました)―あの時はさすがにどうかな、と思って。混沌としていたので、じっくり構えようかな、と。もともと自民党の先生方とは、秘書時代も含めて色んなお付き合いをさせて頂いておりましたので、その時はちょっと離れてバックアップの形でした。(ちょうど下野した時ですから、本当に自民党でいいのか迷いますよね)―そうですね。あの時はたくさんの政党が、言葉は悪いですが無理矢理くっついて何とかやっていましたけど、まあ、9か月ですよね。それから細川さんが倒れて羽田さんが2か月で、結局1年持ちませんでしたから。やっぱり安定した政権じゃないと、なかなか難しいのかな、という感じはしますね。(初出馬が2005年?)―そうです、44歳の時に初当選。(およそ10年?)―15年くらい。学校を出てからはほとんどビジネスの世界で生きていましたので、政治とは多少はお付き合いがありましたけど、自分がそこに身を置くという形ではなかったです。(そういう人が入って欲しいですね、この時代は。結構遅かったですね、93年に出馬してもおかしくないのに、12年後の2005年というのは。やっぱり色々迷われた?)―そうですね。党派を変えていく方や色々移っていく方もいるんですが、昭和30年に自由民主党が結党されて、やっぱり日本は自民党が腰を据えてドカッとしていないと駄目だろうな、と思うので、自民党以外から出るつもりは…(なかった?)―全くなかったんです。今もないですけど、もちろん。首になったら終わりですよ(笑)。2回連続で落選したら首ですから(笑)。(でも本当に色々な方がいらっしゃいますね。渡り歩いて首の皮一枚でつながっている方と、すぐいなくなっちゃう方と(笑))―そうですね。まあ人生色々で、男性女性、色んな方がいらっしゃいます(笑)。(2005年は比例で出られた?)―そうです。(選挙区はなかった?)―はい、東京ブロックの比例で。急遽呼ばれまして、「君なら裏切りそうもない、大丈夫だろう」と(笑)。(武部さん?)―武部さんと当時の小泉総理ですね。お伺いしたら書面があって、「これに署名・捺印をして下さい」と。「誓約を致します」と書かせて頂いて、当選させて頂きました。(やはり小選挙区で議席があるところに行きたかった?)―そうですね。当時は空いてなかったんですよ。(本当に空いてなかった?)―全部埋まっていたんです。(…そうですか…(笑)。空いてないといっても、今ここに来て下さる方って、うまいところにちゃんと入っているんですよね。若宮さんもそう)―そうですね。みんな苦労しているんですよ、それなりに。(内輪で色んなことがある)―ありますね。自民党は基本的に公募ですから、公募で審査とかテストとか全部チェックして、この人はこのエリア、この地元が一番いいんじゃないか、というように人を選んで決めているので。(この落選の時は選挙区が決まっていなかった?)―決まってないです。この時も実は中部の方でいくつか空いているところがあって、どうだい?というお話を頂いたんです。(でも、若宮さんの歴史を振り返ると、「東京」という感じ。東京でも、23区じゃないな、という気がする(笑))―まあ確かに(笑)。地方で何か所か「どう?」って言われたところはあるんですが、自分が行くのはいいんですがご地元の方々に失礼だと思うんですよ。(色々葛藤はあるでしょうね)―やっぱりご地元の方々が、自分たちの代表として国政でいい仕事をしてくれ、と思ってくれるには、代表だと思って頂けないと難しいです。(やっぱり相思相愛じゃないと)―自分だけ頑張りますと言ってもね。そういうわけにはいかないと思うんです。(落選した時はまだ選挙区がなかったわけですが、比例で落ちたとしてもショックだった?)―この時はご存じのとおり、政権交代の嵐でしたから、何やっても駄目だな、と。(頑張りようがない)―頑張れないです、ああなっちゃうと。それでも各小選挙区の先生方のところに応援に回りました。回りましたけど、なかなか厳しかったですね。その後都議会議員の選挙もありましたが、これまた厳しかった。(初めての落選経験。3年3ヶ月は辛かった?)―今回の選挙のガイドで申し上げたんですが、「敗れて目覚める」と。50数年間自民党が政治を担ってきたので、確かに悪い面もあったと思うんです。それを一回ズバッと、「こんなんじゃお前ら駄目だろう!」と皆様からお叱りを頂いたので、ある意味良かったな、と。プラスに考えていかないといけませんから。(違いますね、成功する人は)―いやいや、まだまだそんなんじゃないです(笑)。確かに今回の12月16日の選挙で、全国の皆様から249議席頂きましたが、もちろん総理総裁・幹事長も話されておられますけど、誰一人浮わついてないですよ。(そうみたいですね)―これこそ真剣にいかなければいかんな、と。(新聞を見るたびに、皆さん83会の小泉チルドレンになりたくない、と書いてありますが(笑))―あれはでも一部の人なんですよ。(そうなんですか。あれもいちいち癇に障りますよね(笑))―まともな人はまともなんですよ。一部の人だけ派手なことをやって目立ってしまったものだから、それがオール、全部だという感じにね…。(それはマスコミがわかりやすく言っている)―そうですね。(地に足がついた、という感じですね、次の新人も)―そうですね、結構しっかりとした…がっつりと積み上げてきた方々ばかりなので、立派な方が多いですね。

●最近の政治トピックス

(やはり予算委員会?)―そうですね…私自身でいきますと、今、実は身体を5つにわけたいな、というくらい。(本当にお忙しい。今日は申し訳なかったですね(笑))―とんでもない。予算委員会とですね、法務委員会の理事を仰せつかっていまして。それから国土交通と、災害特別…今、北海道で大雪が降っていますよね。それからあとは、色々問題になっている沖縄北方の委員と仰せつかっているんですが。(朝から掛け持ち?)―予算委員会が終わってから、大体普通の委員会が始まるんです。(今は閉会中)―ところが、今日から始まったんですよ(笑)。(今日から忙しい)―今日から。本来は、予算委員会が一通り終わって普通の委員会が始まると、予算委員会が少なくなってきて他の委員会がバーッと増えてきて、という感じになるんですが、今年ご存じの通り選挙がありまして、始まりが遅いんですよ。(予定が目白押し)―本来11月、12月にやる事が全部1月にきてしまっているので、予算委員会もおそらく4月いっぱいぐらいまでいっちゃうかな、という感じでちょっとかぶってて。このタイトなスケジュールを、7月の参議院選挙もあるのに、厳しい中こなしていかなければいけないのかな、というのが…(今度は上にまわらなくてはいけないし)―そうですね。今、国会対策の副委員長を仰せつかっているのですが、みんな自分の担当委員会を何とか法案成立に向けて仕上げるというので、必死になってやっていますね。(国対は朝8時半から?)―そうです。また参議院の担当もさせて頂いてるので。(衆議院なのにどうして?)―衆議院なんですけど、参議院との連絡を密にして、参議院側の皆様方の動きと衆議院側の動きと連動しながらやっていかないとうまくいかないものですから。参議院の先生も衆議院の国対にいらっしゃいます。で、僕の方は参議院の国対にお伺いさせて頂いて、意思の疎通を円滑に、という感じなんです。(今日はTPP問題の話し合いが夜8時から)―あります。(自民党内での話し合い?)―そうです。(やりましたね、自民党。そういう難しい法案をお家芸に、こう、自分たちの敵対関係に持っていくのが上手い!)―いえ、上手いってわけではないと思うんですけどね(笑)。(皆さんそれぞれの主張があって、有権者の意見を背負っているわけですから必死だと思うんですが、そうなると党内的には楽だと思います)―そうですね。一部報道もされていますが、確かにまだ色んなご意見があります。自民党というひとつの政党だからといって、みんながみんなひとつの考えにまとまっているというわけではありませんから。色んなご意見がある中で、最後は何とか一本に集約という所がいい所なので。最初から誰も何も意見を言えないような状態というのは、全然自由平等ではないですからね。色んな意見が噴出して最終的に取りまとめて、最後はこれで行こう!というところになれば、一番いいのかな、と。(今、内閣に勢いがありますから、安倍さんが持って行く、と言えばそのままポーンといっちゃって)―そうですね。ただ注意しなければいけないのは、ただイケイケゴーゴーで突っ走るのではなくて、固めるべき所、押さえる所はきちっと固めていきながら、慎重に一歩一歩進めていくのがあるべき姿かな、と思っていますね。(都市農業の方の代弁者でもあるわけですが、農業だけではなく、知的財産なども関わっている?)―色々な分野が関わってきますね。金融、保険、年金、医療、農業だけではなくて様々な分野が関わってきますので、全ての項目についてひとつひとつ全部チェックして、これはこうあるべき、ここは日本としては譲れないね、という所をきちっと自分たちの中でも詰め上げておかないと。(役所の説明だけだと、色んな説明をされるし色んな見解があるし、何が本当かわからない。参加してみてどう変わったか、という人じゃないと)―おっしゃる通り、何がどうなるのかわかりにくいんですよ。(それがまた不安)―ただ、やっぱり最終的には、山でいうところの頂上が…世界を拡げた意味での自由貿易を作り上げていこう、という最終目標が先にあるわけですから、その登る道をどっちから登るかな、というところではないかな、と思うんです。(楽しみです)

●今だから言えるあの日のあの出来事

(今、東京5区ですよね?やはり若宮さんは東京1区というイメージがあるのですが)―生まれはね。そうなんですよ。(歴史を辿ると、東京1区に出て然るべきだったのではないかな、と)―突っ込みますね(笑)。(与謝野さんもあのように引退されて、ちょうど空いて。若宮さんが出ても悪くなかったのでは?)―タイミングが微妙なんですよ。(結婚と政治はタイミング(笑))―微妙なんです(笑)。与謝野先生が引退を表明なさったのが去年の秋口。僕が5区の支部長に決まったのが2月なんです。本当はその前の11月に決まる予定だったのが、色々事情があって2月になったんですよ。僕は次も与謝野先生がお出になるものだとばかり思っていたんです。実は麻生さんが最初に総理大臣になられたときの総裁選で、僕は与謝野先生の推薦人になったんです、20人のうちの1人の。それで総裁選行脚をずっと付き人で。(与謝野さんも当時は自民党だったんですよね)―そうなんです。北海道から九州・四国、ほとんど全国に同行させて頂いたものですから、色々なご縁もありまして。絶対ご辞退されるとわかっていればね…。あと、僕も男性ですから女性に弱いところもありまして(笑)。家内の生まれ育った実家というのが、5区なんですよ。(まあ、それは(笑))―目黒生まれの世田谷育ち(笑)。それでまあ、引力のようにスーッと。収まりがよく(笑)。(聞いてみないとわからない(笑)。今振り返ると、本当にぴったりのところに)―いやいや。(だって5区だって佐藤ゆかりさんがいたわけですから。それが落選によっていらっしゃらなくなって)―そこが空白だったんですよ。(またこういう人がポーンと。本当に上手いパズルなんですよね、自民党は)―まあ、人生ご縁ですね(笑)。

●質問コーナー
Q: 三党合意で消費税増税が既定路線になっていますが、増税しなくても経済成長で税収をあげるという方法もあると思います。どうお考えですか?
A: まず、経済成長はなくてはならないものだと思っています。とにかくこの3年3ヶ月の間にGDPは一割減ってしまいました。ご存じの通り日本は国土が小さい、資源もない、内需にもある程度限りがあるので、外に向けて買わせて頂かないといけないし売っていかなければならない。そのためには経済成長していかないとどうにもならない、というのが基本的に思っているところです。消費税の三党合意での観点ですが、ご存じの通り社会福祉に関する消費税は、国家予算の中で一番大きなウエイトを占めています。これが毎年一兆円ぐらいずつ積み上がってきますので、これに対応するにはどうすればいいか…もちろん経済成長で上がっていくことは大切ですし、法人所得税や、個人の収入が増えれば税収が増加するのではないか、というのがご主旨だと思います。ただこの直接税は、いい時はいいんですが、景気は波があるので悪い時はどうしても下がります。景気の波にあまり左右されない間接税的なもので、そちらのほうは賄っていくのがよろしいのでは、と思っているのですが。(若宮議員は大企業にもいらしたし、ご自分で中小企業もやっていらしたので、交際費非課税は良くわかるんでしょうね)―あれは皆さん喜んでいらっしゃるんですよ。(いつから執行?)―決まれば4月から。(早く決めてほしい(笑))―大企業は確かに株価が上がって良くなっても、中小企業まで波及するのか、というお話もありましたが、金融緩和で借りやすい状態をつくるなど、中小企業に対しての支援策もかなり考えています。金融円滑化法で生きながらえていたところが、今度は頑張ってしっかり立っていただけるよう、具体的な支援策を弾込めしていますので、野党の皆さんにも協力していただいて予算委員会をサッと通していただけると、もっと早く景気が良くなりますよ。(ずっと景気が悪い話を聞かされてきたので(笑)。一人が100円使わないのと1,000円使うのとじゃ大違い)―街頭でも説明したんですが、デフレとインフレの話です。今日1,000円持っていて、買いたいものは100円でした。ところが明日デフレで10%値下がりして、買いたいものが90円になったけど自分のお金も900円になりました。900円で90円のものを買うと、手元に残るのは810円。逆に10%上がって自分のお金が1,100円になって、買いたいものも110円。手元に残るのは990円。810円と990円だったらどっちがいい?(絶対990円のほうがいい)―ものすごく単純化しちゃってますよ。不安要素たくさんありますよ(笑)。そんなに都合よくいかないけど、究極はそういうことなんです。(いっぱい使わなくちゃ、お金(笑)。いいですね、景気のいい話のほうが。日本人不景気好きだから(笑)。)―自虐的なところがありますからね(笑)。(意識も変えていかないと)―日本は駄目だ、日本がやっていることは悪いことなんだと思っちゃね…何でもかんでも正しいぞ、いいぞというのもどうかと思いますけど。いいことやっているじゃないか、認めてくれているじゃないか、と。よくアメリカで認められたものって、逆輸入で日本に帰ってきて日本でヒットしたりするでしょ。(アメリカの信用がついて)―日本で最初に出したときは見向きもしないのに、外国で人気が出て売れると逆輸入されて。左ハンドルの日本車とかね。やっぱり、良さを再評価するのではなくて、最初から評価しないと。(正しい目が必要)―思っちゃいますね。(今、政権が強いときに、私たちにいい意味の意識改革をしてほしいですよね。政治家主導で)―そうですね。(この20年、政治家が、あとですみません、みたいな立場が多かった。真ん中に出ていただいて、私たちの意識を引っ張ってもらいたい)―そうですね。でもね、選んでいるのは皆さんなんですよ。駄目だ駄目だって、マスコミや皆さん方も思っていたりするけど、駄目な人間を選んじゃったのは、皆さんなんです。(いやー(笑)ですよね。私たちは、投票するときだけは別人格になっちゃう)―ああ、なるほど。(柔道強いとか(笑))―そっちに流れちゃう(笑)。(経済のこと忘れちゃう。それで後から貧乏になって…)―え?どうしよう、みたいな。(その繰り返し。直さないといけない)―そうですね。(いいものはいい、とか、儲かるものは儲かる、とか、そういう風にやっていきましょう)―ぜひぜひ。前向きに明るく。(若宮さんだったら大丈夫。バブルの世代だから)―いやいやいや(笑)。(そう言われるの嫌でしょうけど(笑))―とんでもないです(笑)。(携帯電話に国会議員の方何人くらい入っている?)―わかんないな、いっぱい入っています。(500人くらい?)―そうですね、そのくらいは入っていますね。(今は秘書さんも本当に楽になった。全部先生同士で)―僕は自分でどんどん連絡しちゃうんですよ。人がかけて「おつなぎします」というのが嫌いなので。バンバン自分でかけます。(さすがビジネスマン)―早いですから、そのほうが。(小さい時の永田町にいた頃から一番変わったのは、きっと携帯でしょうね。永田町の仕事が本当に簡素化された)―そうですね。昔僕が秘書をやっていた時も、せいぜい自動車電話とかショルダーのアンテナのでっかいのとか、この世界だったんですよ。だから全然違います。電波通じないし。(堤さんもそうだった?)―そうです、自動車電話くらい。(それもまた、いまいち)―なかなか通じない。それを上手くつなげないといけないとか、どうしてもその時間しかないとか。海外からも入ってきたので、この5分しかないとか、苦労しました。切れちゃうんじゃないかと不安で。(レーガンとかブッシュとか、電話あった?)―電話はないかもしれないけど、いらっしゃるとか。(そうですよね、当時の日本経済の頂点ですから、会いたいですよね)―そうですね。(話は尽きないですね(笑))