若林 健太
若林バストショット
第148回
2015年03月18日 放送

自民党 若林 健太 参議院議員

『会いに行ける国会議員 みわちゃんねる 突撃永田町!!

USTREAM akasaka plus』

第148回のゲストは、若林 健太   参議院議員でした。

農林水産大臣を4回歴任された若林正俊元農林水産大臣の御子息です。

一時、身の回りの問題などで農林大臣がする事が多く、「困ったときの若林大臣」という事でなんと計4回の農水大臣歴任となりました。

若林健太参議員自身は、公認会計士・税理士をしていましたが、政界へ進出。

外務省政務官時代はオリンピック招致で奔走。日本開催が決まり、安倍首相と政府専用機内での帰国の際の話。自民党が野党時代、東日本大震災が発生し、当時の政府から言われて東電の帳簿を調べた話など、核心迫るものがありました。

(動画より文字おこし)

自民党 長野県選挙区 1期目(2015年3月18日収録時点)

 

[若林健太参議院議員って、あの若林正俊大臣のご子息なんですか?]―そうです、息子です。よく知ってますね。[正直、今まではわからなかったです、顔だけでは。農水大臣と言えば「呪われた農水大臣」と言って、辞めさせられたりとか色々なことがありましたよね。お父様の場合は大丈夫だったんですよね?]―そうですね。環境大臣をやっている時に農水大臣が何回か辞めて、兼務をして兼務をして、最後農水大臣ということです。4回くらい認証されたんじゃないかな。[「困った時の若林大臣」ということで、きれいな、何も埃が出てこない若林大臣が必ず登用された。お元気ですか?]―元気でやってます。[お父様とは、永田町では全然一緒になってないんですか?お父様が辞められてから、若林さんが(議員に)なられた]―そうですね。参議院なので、基本的には県連で公募をかけて、私と前衆議院の先生と投票で争って公認をいただいて出てきたので。自分が議員となって活動してからは「俺がいると邪魔だろう」とほとんど出てこないです。時々、例えばTPPだとか今の農協改革だとか、農水に関わるようなことがあると本人も気になるから。また自分も「過去のいきさつってどうなんだろう」と思って、電話して聞いたりすることはありますけどね。[4回も認証されている、ということは、4回も天皇陛下に会われている。すごいですよね]―期間は短かったんだけど、農林大臣として認証を受けた回数は、戦後河野一郎さん、倉石忠雄先生、その次なんです(笑)。[参議院だったんですものね、お父様も]―ええ、衆議院をやって、それから参議院を。[お父様、今どういう生活を送っているんですか?]―悠々自適ですよ、何て言ったって年だからね。[農家はやっていないんですか?]―家庭菜園レベルだけど、野菜作ったりしていますね。農水はプロだったんですけど、野菜作りは難しい、と(笑)。[そんなもんですか(笑)。でもやはりああいう激動の永田町の中枢にいらした方が、いきなり地元に籠って牧歌的な生活を送るわけですけど、心のバランスは大丈夫なんですか?]―(笑)問題ないでしょう。[長野県出身の参議院議員ということで、(後方を見て)このようにポスターをいただきました。何と、今年は善光寺が御開帳なんですね]―そうなんです。先週北陸新幹線が開通をして、その3週間後の4月5日から、善光寺の御開帳があるんですね。長野は今、とてもホットです。7年に1度の御開帳なので。年間2ヶ月間の期間中に、全国から600万人も来ていただけるんですね。[平日でも、いつも歩けないくらいですからね。新幹線の話が出ましたけれども、北陸新幹線にはもう乗られました?]―乗りました。[長野に帰るときに?]―えーと、出てくるときかな。この間の土曜日に開通したんですね。祝賀会を各駅でやりまして。長野県の場合は、長野駅から先の飯山駅、それから妙高から糸魚川で、富山に入って行くんですけど。長野県は、長野駅と飯山駅の2つですね。40年の悲願の思いがあって駅が出来ましたので。[長野オリンピックで長野新幹線が開通したのは、20年ぐらい前ですが記憶に新しい…]―ずっと「長野新幹線」って言っていたんですよ。何とか名前を残したいと思ったんだけど、それはやっぱり…。本来北陸新幹線で(長野は)途中だった、という話でね(笑)。長野の名前は残りませんでしたけど、「北陸新幹線(長野駅)」って時刻表に載せてもらうことにはなっているんですが。北陸新幹線の通過駅になっちゃうんじゃないか、という不安を言う人がいるんだけど、でも北陸の人達もこの(善光寺の)御開帳に来ていただいたり、我々も海の幸を求めて向こうへ行ったり、交流人口が増えればいいんじゃないかな、と思いますね。[何で40年もかかったんでしょうね、長野よりも北のほうは]―やっぱり財政的に厳しいとか…地元の負担も大きいですし国の財政も厳しくなってきて、整備新幹線の建設を凍結とかね。そんな色んな紆余曲折があって、今日にこぎつけた、と。[長野新幹線から今を考えても、政治も安定してなかったですからね。政権が変わったりとか色んなことがありましたから。でも日本は「テツ」という人種がいるから、盛り上がりますよね?]―ん?…あー、テッちゃん、鉄道ファンね。[「撮りテツ」とか「食べテツ」とか色々あるじゃないですか]―ただ新幹線は旅情豊かではないですよね?あっという間に行っちゃうから。でも地域の夢は広がりますね、すごく。長野県は山ばかりなので、海が無い。でも、これで富山まで1時間、金沢までも1時間ちょっとなので。昔の青年会議所の金沢の仲間が、今日実は長野に来て遊んでるんですけど、そういうことが出来るんですね。[今までは、ルートがなかった?]―ローカル線を乗り継ぐか車で行くしかなかったので、泊まり前提で遊びに行かないと、とても…。

●幸せ度数年表

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[1964年、東京で生まれたんですか?]―そうです、東京オリンピックの年です。[昭和39年ですね。お父様はその頃はもう衆議院議員だったんですか?]―いえ、官僚だったんです。[どちらの官僚だったんですか?]―農林省。[ですよね。じゃあ官舎に住んで?]―そうです、ずっと。[やはり転勤も多かったんですか?]―母親がずっと病気をしていたので、転勤は免れてたみたいですね。だからずっと本省におりました。[長野にはたまに帰省するくらいだったんですね。そして、新宿のほうの高校に行かれたんですか?]―そうです。[慶應大学。そして公認会計士合格。大学在学中に?]―そうですね。今は結構合格者数がいて…年間1,800人くらい受かるのかな? オレらの時は300人くらいしか受からなかったので。[最年少だったんですか?]―そうなんです、当時ね。大学1、2年が日吉で、3、4年が三田に行くんですけど、日吉にいる時にちょっと羽目を外してて「このままじゃいかんな」と思って3年の時に勉強して。そしたら運よく翌年受かったんですね。[羽目を外して、っていってもたいしたアレじゃないんでしょうね]―まあそれはね、もう過ぎたことですから(笑)。[誰とは言いませんけど、「維新の会」で暴走族だった人とか、そういう羽目の外し方とは違うんですね(笑)。ご兄弟はいらっしゃるんですか?]―妹が2人います。[そして、「独立開業」。これは税理士さんとして?]―そうですね。正確に言うと、実はうちの親父が落選しまして。東京の大手の監査法人に勤めてて、本当はニューヨークの事務所に行くことが決まっていたんですけど、親父が落選して地元の親戚やなんかが「家族が支えないでどうするんだ」と。自分なりに、ニューヨークに行くのか長野に行くのか悩んだんです。ニューヨークはいつでも行けるって、当時思っちゃったんですね、全然そんなことなかったんだけど(笑)。今思うと浅はかだったかもしれないですが。で、長野市に行って親父の選挙を手伝いながら「自分は自分で稼ぐよ」と思って開業したんですね。[因みに大手監査法人はどちらなんですか?]―もう今はなくなっちゃったんだけど、中央会計事務所です。カネボウだとかの粉飾決算に巻き込まれてなくなっちゃったんですよ。今は「新日本監査法人」に大体みんな移ったんですけどね。[国会議員で公認会計士の免許を持っている方は、何人ぐらいいらっしゃるんですか?]―6、7人いるんじゃないかな。ただ、大手監査法人のパートナーをやったのは僕しかいないんですけどね。[パートナーというのは?]―代表社員です。メリルリンチなんかもそうなんだけど、要は出資者。出資して役員になる、という。まあ結構いっぱいいるんだけど。普通の会社とは違って、3,000人いるうち200人とかいるわけ、出資者が。[どれぐらい出資するんですか?]―いくらだったかな~、忘れちゃったな。500万ぐらいだったかな。[公認会計士というのは、お金が物を言う世界なんですか?]―ううん、それは…まあ出世競争があって、毎年何人かがパートナーになれる。そこをまずみんなは目標にするわけ。[パートナーを目標とするんですね、公認会計士の世界では]―普通はね。ただ、僕の場合はちょっと違って、いったん監査法人をここで辞めたんですね。[お父様の落選によって長野に行かれたことで、いったん途切れた]―途切れたんですが、大手監査法人が長野県に進出をしたい、と。ちょうど色んな金融機関の監査が増えたので。その時に交渉して「オレを役員にしろ」と。政治力ですよ、そこから(笑)。本当だったら40歳ぐらいでなるのを31歳でなっちゃったんですね。親父は全く関係ないんですよ。ゴリ押しでなった。元同僚にとっても嫌がられました(笑)。でもこの時(独立開業時)は大変だった。選挙の手伝いをしながら会計事務所をやろうなんて、世の中ナメてたんですね。オーナー企業の人が帳簿を預けるというのは、自分の命の次に大切なものを預けるということ。25歳の若造にそんなことするわけないんですね。全然お客さん来なくて。最初の20代後半というのは本当にお金もなかったし、とても大変でした。だからここで反省をして心を入れ替えて、一生懸命商売もやって。[(幸せ度数年表の)「JC」はどちらのJCに入ったんですか?]―長野青年会議所です。[で、「結婚」はどなたと?今の奥様と?]―もちろんです(笑)。[どちらで知り合ったんですか?]―青年会議所の事業、長野の夏祭りで。[素敵ですね。じゃあ長野の方なんですか?]―もちろん。[その頃から選挙に出ようと?]―いやー、意識しなかったかと言うと嘘になるけど、かといって「明日出るぞ」というのは違う。ここ(20代後半)で、「商売と言うのはそんなに甘いものじゃない」ということに気づいて、まずは会計事務所で事業家として成功させなきゃ、と。[この頃はまだいいですけど、今はみなさん、会計はパソコンでソフト使って自分でやっちゃうんですものね、ちょっとした会社だったら。「税理士さんにはお願いしない」っていう方が増えてるじゃないですか]―そうですか。「自計化」っていうんですけど、そういうのも増えた上で、その上でアドバイスが欲しいと。そういう会社を相手にしたほうが、本当はいいんですけどね。伝票を集めて、っていう付加価値の低い仕事をやっていると売り上げもあまり上がらない。[コンサルを含んだ、ということですね。そういう会社、今もあるんですか?]―たくさんありますよ。うちは今も顧客数は800件ぐらいありますかね。[今も(会計事務所は)やられていらっしゃる、ということですか?]―今はもう出資だけして、大学の友達に経営は全部お願いしているんです。弁護士と国会議員を一緒にやっている人もいるし、税理士を一緒にやっている人もいるんだけど、自分の場合はあまり器用じゃないので…。実際に毎日議員活動をやって、あまりきちっと仕事も見てないのにハンコだけ押すっていうのは良くないな、と思って辞めちゃったの。[そうですか…。(幸せ度数年表を見て)で、ここがグッと落ちてますけど、「知事選で出馬断念」ということですね。これは(田中)康夫ちゃんと戦おうと思ったんですか?]―そうでございます(笑)。ちょうど青年会議所の県の会長が終わって。田中康夫知事時代、東京のマスコミにはもてはやされて有名な知事って言われたんだけど、地元的にはとっても大変だった。経済も停滞したし、文句ばかり言ってるわけ、みんな。だけど(田中知事は)選挙が強いと思うから、恐くて誰も手を挙げられなくって。ならば「オレがやる」と手を挙げたことがあったんですよ。[でも断念された]―それがね、「お前やれよ!青年会議所のリーダーなんだから」と言っていた先輩が、「やっぱりオレがやる」と言ってですね(苦笑)。政治というのは本当に恐い、とつくづく思いましたね。別に恨みに思っているわけでも何でもなくて、自分自身が未熟だったんだと思うんだけど。色んな駆け引きがあって色んな人がうごめいている中で、読み切れなかった部分が自分にあって、まあ断念に追い込まれる、という状況だった。悔しかったですね。「血の涙が出る」とはこういうことだな、と。[どういう悔しさなんですか? その人に対しての悔しさ?]―自分の力不足に対して。[出られない、ということに対しての悔しさじゃなくて?]―もちろん「出られない」ということと、その出られない状況になってしまった自分の力不足と、あとはまあ、応援してくれてる仲間に対する申し訳ない気持ちと、ということですかね。[選挙って、色々ありますね~]―ありますね。でもその経験があって、その後参議院選に出る、ということになって。[「出馬断念」から参議院選に出るまでは、何年あったんですか?]―3年か4年くらい。[その時は税理士の先生をやられてたんですね?]―もちろん。[(会場から)その先輩は受かったんですか?]―受かりました。[じゃあ今やってらっしゃる方ですか?]―いや、もう1期で辞めたんで。今の知事はまた別なんです。[あのあたり、長野県もグジュグジュッとした感じで、私もよく憶えてないんです]―(笑)。[で、「長野マラソン完走」]―(笑)それ、ちょっとだけ入れときました。[何時間台ですか?]―4時間台。4時間切れないんですよ。4時間20分かな。でもこれで3回完走してます。趣味なんです、趣味(笑)。

●最近の政治トピックス

―2年前に、外務大臣政務官をやったんですね。その時に担当したのが、東京オリンピックの招致と日本食の世界文化遺産登録だったんです。これはでも運でね。外務大臣政務官というのは3人いて、議員とするとみんな先輩だったから、どこを担当するかは「先輩方が先に取ってくれ」と。「僕は残ったので結構です」と言ったら、中南米と広報文化を担当することになったんです。広報文化ってイマイチね…経済連携だとかそういうほうが華々しいじゃないですか。「広報文化って何かな」と思ったら、オリンピック招致をそこが担当することになって。あるいは、日本食の世界遺産登録を担当することになって、ということで、それぞれ成果が上がって。オリンピック招致は文部科学省と外務省が一緒になってやるんですね。当時、文科省担当の政務官が義家弘介(ひろゆき)さんで、彼は長野出身なんです。当時、都知事は猪瀬さんだった。[あ~、長野だ]―で、私が長野でしょ? みんな長野県人だったわけ。だから「長野オリンピックから東京へお届けしよう」と、こういう話をしていたんですね。[政治って早いですね]―(笑)早いでしょ? 面白かったな~。IOC委員が世界に百何人いて…[プエノスアイレスの話ですか?]―プエノスアイレス。その百何人のIOC委員が投票して決めるわけだったから、その票読みをするわけ。票読みは、僕のところで全部…。[森さんもしてたでしょ?]―もちろん。[森さんが「票読みは得意だ」って言ってました(笑)]―シークレットな情報を外務省が持っていたんで、色んな所に飛んで行ってお願いしに行くんですね。もちろんODAも使うし、国の総力をあげて取りに行く、という感じ。とても勉強になったし面白かったですね。[外務省の政務官自身も、ロビー活動をやられるんですか?]―やります。あの時は政府をあげてやったから。プエノスアイレスで東京オリンピックを決めて、帰ってくる政府専用機の中で、総理と世耕副長官と、岸田大臣と私とで、祝杯をあげたんですね。[政府専用機の中で? 素敵~(笑)]―生まれて初めて乗ったんだけど(笑)。総理のお部屋で祝杯をあげてですね。[ワインですか? シャンパンですか?]―ワインを飲みましたね~。一人1本ずつ空けたかなあ?(笑)。でもその時ね、僕が感動した話はね…政権交代で安倍内閣になった時に、総理は「オリンピック招致を内閣の責任でやる」と言ったんですよ。そしたらある党の大先輩が、「内閣の責任でやるというのは、極めて無責任な発言だ」と。だってオリンピックの招致なんか、成功するかしないかわからない、博打みたいなものだから。駄目だったら責任とって辞めるのか、と。「そんなことは決して言っちゃいけないことだ」という話があったことを総理に言っておけ、と。オレになんか言えるわけない(笑)。で、その話を総理に言ったら、「そういう話があったことは知ってるよ」って。[安倍さんが?]―安倍さんが。でも、政治家が役人と違うところは…役人や会社員の人達というのは、ルールによって団体で仕事をしているから、自分の役割をしっかり果たして積み上げてくる。積み上げたうえで、経営者とか政治家は、リスクを取って決断する。オレはリスクを取ったんだ、と。「リスクを取ったから、このオリンピック招致も成功したんじゃないか」ということを言ってました。これはとても感動しましたね。[素晴らしい。いい時間でしたね]―いい時間でした。でも実際そうだったの。月に一回政務官会議があって、そこで各省庁が色んなテーマを出すんだけど、必ず「オリンピック招致」というのを入れてもらった。で、僕の方から状況報告したんだけど、最初はやっぱり内閣が一体になっていかないわけ。実は外務省だけじゃなくて、経産省だって農水省だって、各役所ごとに海外の要人が毎日のように来ているし、毎日のように外にも行ってるし。だからその都度、その情報を全部教えてもらって、外務省から支持をして「オリンピックのお願いをしてもらいたい」と言っていたんだけど、最初はどうしても情報が集まって来ないんですよ。でも総理が「内閣の責任でやるんだ」とさかんに言ってくれてから、グーッと一体となっていく感じがしましたね。[すごいことですね、これ。変な言い方ですけど、体育祭の最大のものですから(笑)。学生も学ぶべきものですよね]―2020年、東京オリンピックでしょ? 2020年までは、少なくともみんなが夢見る目標ができたわけ。これはとても大きい。[表舞台しかわからないけど、私たち誘致からずっと見ていますから、より感動があります。おっしゃった通り政務官が三人いて、あとから「広報」という担当を取ったわけですが、まさかオリンピックをやるとは…]―夢にも思わなかったし、当時は決まってなかったからね。要するに、内閣としてやる、というのは決まってなかったんですよ。内閣が発足して年末に担当を決めて、年明けに総理が「内閣の責任でやる」って表明したんですね。「えーっ!?」てなもんで(笑)。[公認会計士さんとして国の予算に関わって、どうなんですか?]―日本の予算、公会計というのは大福帳方式。本当は複式簿記にすると、とてもわかりやすくなると思うんだけど、それが出来ないでいるので。そこは長期的な課題として、ぜひ取り組んでいきたいな、と。東京都に出来て国に出来ないはずはない、と思っています。「そういう方向でやっていきましょう」ということで、遅々として進んでるのか進んでないのかわかんないけど(苦笑)、やろうとはしている。したがって、数字が非常にわかりにくいな、というのはつくづく思います。一方面白いのはね、税金の事は会計事務所として現場でずっとやっていたけど、政策として税を議論するのはとても面白いですね。多分、法人の申告とか確定申告書とか、申告書を書いた経験をもって税制の議論をしている人って、あんまりいないと思うんですよ。この間の法人税の実効税率を下げる、なんていう議論の時も、受取配当金の益金不算入だとか欠損金の繰越控除だとか…多分みんなピンとこないかもしれないんだけど、やっぱり実態をずっと見てたので、実感を持ちながら議論出来て、それはとても面白かった。[数字に明るいですからね。それはやはり全然違うと思いますね]―公認会計士というと、「細かい」という雰囲気が感じられるかもしれないんですけど、実は意外にそうじゃなくて、公認会計士の能力というのは、パッと大づかみで数字を見る、という。感覚的なんだけど、意外にそうなんだよね。意外にアバウトだということです(笑)。すぐ個別の小さいところの予算の議論にみんな入っちゃうんだけど、本当は全体に大づかみで物を考える、というのは必要かな。例えば、社会保障費が毎年1兆円上がっちゃって、そうすると今の全体の予算の中で、借金返すのが3分の1、社会保障が3分の1。(予算の)3分の1でしかやってないのか、と。だから教育費だって少ないよね、必要な投資が出来なくなっちゃうよね、とかね。そういう見方が必要かなと思いますけど。

●今だから言える、あの日のあの出来事

―僕、当選して最初の2年間は野党だったんですね。[あ、そうだ。色んなことがありましたね~。じゃあ菅さんが総理大臣だったときだ]―そう。野党1年目の3月11日に、東日本大震災があったんです。あの時は決算委員会をやっていて、菅さんの政治資金の問題が新聞に出て「今日で菅さんの首をとる」と言って意気込んでいた時にグラグラッときて。そんなことがありました。東電が、原発でああいう事故になってしまって、未だに20万人の方々が帰って来られない、という大きな事故で大変なことなんだけど、東電を一体どうするんだ、原子力賠償をどういう風にするのか、という議論が当時あって。野党だったんだけど、与党も野党も言ってられない、ということで、賠償のための枠組み作りの議論があったんです。で、僕は1年生だったんだけど一生懸命発言していたら、「お前は数字がわかるから」と…「東電の貸借対照表がどうなっていて、経営は本当に駄目なのか」というところを見ながら、東電じゃ賠償が出来ないんで、どういうスキームにするか、という議論、「原子力賠償支援機構」を作るんだけど、そのスキーム作りに参加させてもらって。当時経産省の役人の人と、今内閣府の副大臣をやっている西村康稔(やすとし)さんと僕とで、基本的なスキーム作りをやったんです。で、作ったスキームを、今度は歴代の経産大臣経験者の皆さんの所に行って説明するんですね。額賀さんはじめ皆さん、甘利さんとかいて、「わかった、この方法しかないんだな」と。「ありません」と言うと、「じゃあオレが経済界と話をつけよう」、「オレが自民党の幹部の皆さんと話をつけよう。3日待ってくれ」と言ってバッと…。野党だったけど、その時に自民党の持っているノウハウというか先輩方の力を非常に感じました。[どういうところで感じるんですか?]―一瞬にして、国のためにこの政策しかないとなれば、野党であるにもかかわらず経済界の皆さんをきちっとそれで納得させる。あのスキームでいくと、電力会社みんながお金を出し合わなきゃいけない。それも全部納得させるということが出来るんですね。[そこですよね、自民党の強さは]―もちろん当時の与党の皆さんも関わってはいたけど、現実は役所と我々だけで、ということがありましたね。[民主党も情けないですね(苦笑)]―そう言っちゃいけないけど、すごくいい勉強になりました。入って1、2年目だったけど、自分で仕訳を切って。だけど今になると様々な問題が…当時想定していなかった問題もあるし、役所と約束したことが履行されてない部分もあるし。政治はやっぱり生き物だな、とつくづく思いますね。

●質問コーナー

Q : きちんと税を納めなきゃいけないのは当然なんですが、それが本当に正しく使われてるかが問題。国外に資産を移すことに拍車がかかるのでは、と懸念しています。国家と税制も含めて、先生のお考えをお聞かせ下さい。

A : 税制は、基本はやっぱり国民との信頼関係だと思うんですよ。納税者の皆さんは「国がきちっとオレ達の将来のために使ってくれるだろう」と思うから払うわけで、それが何だかてめえらのところで使ってんじゃないか、とか、どっか無駄なところにいっちゃってんじゃないかと、そう思われたら成り立たない。そういう意味では、行政改革だとか負担の努力が必要だし、課税の公平性はとても大切だと思います。今「BEPS」といって、世界の先進国でそれぞれ課税当局が相談をしながら、制度の均質性を持たすようにやっているんだけど…。アマゾンが通販で送ってくると、結局外で課税しないといけないから、日本で商売してても上がった利益に対して税金が取れない。こういう租税回避行為は結構あって。まあもっとも監査法人とすると、税務戦略でそういうのを飯のタネにしてたんだけど(笑)。でも過ぎちゃうといけないので、そんな取り組みも今やっています。不断の努力をして、公平性・納得感をきちっと確保することが大切かな、と思いますね。そのために我々政治が、政府に対して指導したり意見を言ったり是正していくことが必要だと思います。

Q : 一般会計と特別会計って前から議論されていますが、このへんも結構不透明なところがありますね?

A : 特別会計もね、じゃあ全部一般会計にしちゃえばいいのか、というと、ガソリン税の時のように「この収入はこれに充てる」と明確になっているものについては別会計にする、というのはいいと思う。でもそれに対して、監査が入らなくなったり決算委員会で審議しない、という状況は良くないので、これはこれできっちり議論する対象にする必要はあると思いますね。

Q : ゆるキャラは、りんごちゃんですか?

A : アルクマくんって言うんです! りんごなんです。長野県は、青森県の次にりんごの主産地で、まあ味は長野が一番だと思いますけどね(笑)。で、クマとりんごで「アルクマくん」というゆるキャラを作ってみました。ゆるキャラ選手権まではいってませんけども(笑)。

Q : 長野出身です。長野は観光地として力を入れていると思いますが、長野のPRをぜひ。

A : テレビ番組はみんな、金沢とか富山のホタルイカとか、あっちにいっちゃうんだよね。新しく出来た飯山駅には笹寿司とかもあるんだけど、「出てこねえなあ」と(笑)。でもまああんまり僻み根性じゃいけないので、一緒に…富山や金沢と一緒になって、グーッと上がっていけばいいな、と思いますけどね。長野県は広くて、今年が善光寺の御開帳があります。来年は諏訪の御柱祭があるんですね。北陸新幹線も通って、これから長野県全体が観光で良くなっていけばいいな、と思います。

[長野県と言えば、務台俊介さんもそうですもんね。務台さんも強烈な人でしたよね]―そうだった?[(田中)康夫ちゃんと同級生で]―そうそう、深志高校でね。[暗く総務省で頑張ってきたんだ、っていうハジケ感がありましたよね]―(笑)そうですか。[勝手な思い込みですけど、こういう方(若林議員)、安倍さん好きだと思いますよ。安倍さん、そんなに数字に強い方じゃないから、こういう方が好き。二世で好き。もう大好き(笑)]―(爆笑!) 総理から「若林君」って呼ばれたことがないんですよ。[何て呼ばれてるの? 健太?]―うん、健太(笑)。[やっぱり! 私が安倍さんだったら、こういう人大好き。だって数字に強いんだもん。絶対近くにいて欲しい]―小学校の時からあだ名はないんですね。大体、健太。後輩からは「健太さん」、先輩からは「健太」。有り難いもんです。[うちの地元の萩生田さんは、すごい仲がいいんですよ、安倍さんと。でも「萩生田さん」って呼ばれてるらしいですよ(笑)]―だってそういう雰囲気じゃない(笑)。[安倍さん、最初は中川昭一さんに呼ばれて「お前、派閥のこれ計算しろ」って言われた時に、緊張して出来なかったって言うから、暗算が(笑)]

Q : お父様は76歳まで政治家をやられていましたが、先生はいくつまで政治活動をやりたいとお考えですか?

A : それは全くないですね。どうかなあ…僕ね、地元にいる朝は街頭演説やってるんです。でもそういうのが面倒臭くなって「嫌だな」って思い始めたら、もう終わりかな。

Q : 国政以外で、また首長とかに立候補するのも有り得るんですか?

A : んー、恰好いいこと言うつもりはないんだけど、チャンスは周りが作ってくれることだから、自分が今出来ることを一生懸命やって、必要だって思ってもらえば周りの人が用意してくれる…かもしれないですよね。最近そう思ってる。だから、周りから「もうそろそろ辞めたほうがいいんじゃない?」って空気が出たら、それはやっぱり辞めたほうがいいのかもしれない。そう思っています。

[3月は地方選や事務所開き、ブログにも出されていましたね]―もう、まさに今、真最中ですね。長野県議会議員選挙がまずあるんです、前半は。後半は市長選挙だとか市議選とかが結構…。[で、来年はご自分の選挙がある。大変ですよね]―そう。選挙制度変わるしね、今年の夏。[え?どう変わるんですか?]―わかんない。(選挙権が)18歳になるのと、あと参議院の選挙制度が変わるんですよ。長野と宮城と新潟が、今2人区なのが1人区になるかもしれないし。全然わからない。[頑張ってくださいね。(会場に向かって)大変なんですよ、国会議員は。候補者に一人5万円とか包んでいかなくちゃいけないから]―え?やんないよ?[え?出陣式のときに手ぶらで行くんですか?]―手ぶらで。[えっ?]―え?まじ、オレ手ぶらだよ?[(会場内爆笑)]―いいじゃない、だって明るく賑やかにしてあげるんだから。[じゃあどうして市民は1万円持っていくんですか?]―持ってかないでしょ?[持っていきますよ、みんな]―あ、そう?そうか…。[すみません、最後に(笑)]