越智 隆雄
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第64回
2013年02月27日 放送

自民党 越智 隆雄 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)
自民党 東京6区 2期目(2013年2月27日収録時点)

[今日は皆さん何と、越智さんのお誕生日です!]―ありがとうございます!49歳になっちゃいました。[お誕生日プレゼントを買ってきました!]―えっ、本当ですか?[「夏野」というところの箸で、「みわちゃんねる突撃永田町」と越智隆雄さんの名前入りのお箸。縁起のいい春の富士を彫ってきました]―実はここに来る途中に、この間出た秋元司さんと一緒に廊下を歩きながら、「これからみわちゃんねるに出るんだよ」と言ったら、(秋元さんが)「越智さん誕生日じゃない。美和さん絶対何かプレゼント用意してくれてるよ」って。[秋元さん、わかってるじゃないですか(笑)]―嬉しいですよ。名前まで入ってるんですか?ありがとうございます。いやー、来て良かった(笑)。[ちょっと遅れたけど、何かあった?]―国会の仕事で。明日の本会議を、やるかやらないかを決める会議があって。[やるんですか?]―やるんです、1時から。明日は25年度の本予算が午前中に政府から国会に提出されて、それに対して、政府応援演説といって総理大臣はじめ4人の大臣が演説するんですよ。そのための本会議を1時から2時半まで。[今、安倍内閣ノリにノッてますね]―そうですね。[全国の期待を一身に受けて。そこの国対ですから]―謙虚に謙虚に、丁寧に丁寧に。やはり実績を積んで初めて皆さんに喜んでいただけると(思っていますから)。

●幸せ度数年表

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第64越智隆雄

 

―その前に、何年ぶりですか?6,7年ぶりですか?[2007年の9月位だと思います。石原(宏高)さんのご紹介か、石原さんをご紹介したか]―石原さんをご紹介しました。今回奇遇だったんですが、僕を紹介してくれたのが大塚拓さんで、前回も大塚拓さんで。[越智さんがいいんですって。好きなんですって。言ってましたよ、この間(笑)]―ありがとうございます(笑)。それで、その時も「幸せ度数年表」やったけど、これが観た人にすごい好評で。あんたの人生こんなんだったか、って言われて。今日も楽しみにしてきました。[前と幸せ度数変わってる?]―だいぶ変わってますね。[日によって変わりますから、人間の気持ちも。では、幸せ度数年表いってみたいと思います。1964年生まれ。どちらで生まれたんですか?]―東京です。[皆さん、越智隆雄さんのお父様知っていますよね?越智通雄さん。「上から読んでも下から読んでもおちみちお。真ん中には実がある、でしたっけ?]―「中に実のあるいい男」、と本人は言っていました。[何と言っても大蔵官僚でその後金融大臣を務めた越智通雄さんのご子息ですから]―ご子息というか、はい。[そして何と、お祖父様は福田赳夫さん。普段だったら全く縁のない、崇高な方ですから。貴族と平民みたいな(笑)。それをわかって聞いてください]―ちょっとストップ。イメージ悪くなります(笑)。生まれた時から政治家の福田の家で育ったので、ずっと政治は身近に感じてきたんです。[お祖父様、当時総理大臣だった?]―私が中学の時。生まれた頃は農林大臣とか外務大臣とか大蔵大臣をやっていて、その時に一緒に暮らしていました。[総理になってからは別々]―近くに暮らしていました。ずっと傍で見ていたので、逆に言うと一番身近な仕事がこの政治の仕事だった。[そうですか。お父様は今もお元気?]―元気ですよ。今年84(歳)になります。[ご子息の選挙、心配だったんじゃないですか?]―そうですね、後で説明しますが、勝ったり負けたり大変なので…。[見てください、この(幸せ度数年表の)乱高下を(笑)。]―心配かけてると思います。[福田元総理も、草葉の陰から心配してますよ(笑)]―いやいや…(苦笑)。[生まれた時は(幸せ度数は)あんまり…50%?]―生まれてから学校を出るまで、平常心だったというか(笑)。普通に暮らしてたんですよね。[私の親族にそんな優秀な方がいたら、すごい威張りますけどね。嬉しくてしょうがなくて]―…(笑)。大学を出て就職するときに、自分なりに勝負して就職活動するじゃないですか。それまでは平常心だった。[スポーツは好きだった?]―そうですね、中・高は剣道少年で。三段までですが。毎日毎日やっていました。一日稽古を休むと、それを取り戻すのに三日かかると言われたので、本当に休まずに。年中剣道をやっていましたね。[真面目…だった?(笑)]―当時は(真面目だった)。ただ大学時代は剣道をやめて、スキー、テニス、水泳、ゴルフ。スキーが一番好きでした。[また蒸し返して申し訳ないんですが、双子さん?]―そうですね。[弟さん?お兄さん?]―2分遅れで弟なんです。[今、お兄様は何を?]―兄は、あるシンクタンクみたいなところで働いています。[両方代議士になったら面白かった]―面白いかどうかわかりませんけど(笑)。(兄は)今でも制作系の仕事をしていて、永田町や霞が関に出入りするので、「えっ?」って言われること多いです。[同じ顔?]―結構似ているんです。[影武者で出席してもわからないかもしれない]―1回目の選挙の時に兄が手伝いに来てくれて、そしたら双子で選挙をやっていると某テレビ局が取材をしてくれたので良かったんですが。2回目の選挙の時も兄が手伝いに来てくれたんですけど、問題が起こって。2回目の選挙ですから、私も支援して下さる方がだんだん増えてきたんですが、兄はその方々のことを知らない…。[あ…あー!それは問題ですよね]―「頑張って!」と言われても反応が鈍い。それで、「え?」みたいになっちゃったので、それ以来お手伝いには来てもらわないことにしたんです。今回の選挙、大変心配してくれて、兄が大きな演説会に来てくれたんですよ。ロビーにいたら皆さんから握手を求めて頂いたらしくて、これはやばい、というので、すぐに帰りました。[大人になってもまだ似てる?環境が違うとだいぶ変わるというけど]―高校時代は、クラスを入れ替わって先生を驚かせて、ということはありましたけど。[お茶目。いいですね、そういうの]―さすがに本会議場に影武者って、それはあり得ない(笑)。[大問題です。前代未聞の問題(笑)。そして、22歳で住友銀行に入行された]―そうですね。[係は?]―係は…。今日このスタジオに来るときに、とっても感慨深い思い出に浸ってたんです。[何で(笑)?]―丸の内支店に配属されて。有楽町の駅前だったんです。そこで取引先を持って、自転車で集金に回ったり、というところから始まったんですけど、そこの会社のひとつが、ここの会社、東通さんだったんです。[東通さーん!集金マンですよ、もと(笑)。福田赳夫さんのお孫さんだったんですよ。失礼ありましたか?]―関係ないです、関係ないです、全然関係ないです(苦笑)。実は僕、選挙区でも祖父の話は一切しませんし、父の話もなるべくしないように、という感じです。まあいずれにしろ、22歳の時は東通さんに来て。当時は預金獲得合戦というのがあったので。[景気のいい時代でしたから]―東通さんに、預金を少しでも当行に預けて頂けませんか、というお願いに。[結構預けてくれた?]―預けて下さいました。そういうところから社会人生活が始まったんです(笑)。[縁があったんですね、東通さんとは]―ありましたね。[何年、住友銀行に?]―13年いました、35歳まで。[そしていよいよ政治の世界に。お父様の勧めは?]―父は勧めなかったですね。[お祖父様が生きていらした時に勧めたとか]―政治は大変な部分が多いので、家族からは誰にも勧められなかったんですけど、僕は祖父にずっと憧れていて、いつかはやりたいな、と思っていて。本当は今頃の年になってから…と思っていましたが、この頃、政策新人類という方々が活躍されたんです。[越智さんが35歳の時、1999年。そうですか?]―97年、98年ぐらいに金融危機があって。[橋本内閣でした]―渡辺善美さんとか石原伸晃さんとか塩崎(泰久)さんとか、ああいう方々が金融再生の色々な政策作りをして、政策新人類と言われ始めた時期だったんですが、それを見て、若くてもやっていいんだ、と。[お祖父様を見て、熟年になって人生どんどん重ねてからやるのが政治、というイメージがあったでしょうね]―そういうイメージがありました。でも、これは一日も早く政治の世界に挑戦したい、とこの時に思って。[秘書はやられた?]―親族じゃない人の秘書をやりたかったんですが、なかなかクチがなくて。[(笑)越智隆雄さんでもそんなものですか]―いやいや(笑)。それで結局父の手伝いを半年、1年やって。[(お父様は)大臣の頃?]―大臣もやっていました。色々な経験をさせてもらって。ただ生意気なんですけど、1年も経たないうちに、一度永田町の世界から離れようかと…。[どうして?]―何か変えないといけないと思っていたんです、政治を。ですが永田町の世界に自分がどっぷり最初に浸ってしまうと、変えよう、というモチベーションが…。[薄れてしまう]―そう思って。そういうのが嫌で、ちょっと離れちゃって。で、準備したんですよ。[本当に熱血漢なんですね、芯が。私だったらそこに甘んじて、もっとちやほやして!って(笑)]―(笑)政治の世界に行くぞ!と言って半年、1年やって、それから歴史の勉強したい!日本を振り返りたい!と思って。[もともと興味が?]―やっぱり日本の歴史を知らないと…政治家になる前に勉強しておかないとまずいな、と。[本当に真面目]―学生時代勉強していないので、あんまり。ここでちょっと勉強しようと思って、大学に行って。[大学院はどちらに?]―東大に行きました。政治学者の北岡(伸一)さん、という方に付いて勉強したいな、と。[歴史のどの部分?]―明治、大正、昭和。特に昭和。昭和の事って知ってるようで知らないですから。[信頼おける先生に従事されて、充分勉強されて機が熟したところにいよいよ出馬?]―いや、じゃなくて(笑)。大学院に行って1年くらい経ったときに、ちょうど出るチャンスが回ってきて出馬になったんですが、まだ機が熟していなかったんでしょうね、もう大惨敗で。[2003年。石原宏高さんも落選されてる]―一緒に落選しました。この(幸せ度数年表の)カーブは、石原さんと僕一緒ですから。落選、当選、落選、当選(笑)。[小泉政権で意外とフォローの風が吹いている時期だったのでは?]―修業が足りなかったんですよ。自分の力の無さを痛感した2003年でした。[東京6区で、相手が小宮山洋子さん。女性ということで票が入る部分も。闘いづらい]―…僕からは何とも言えない(笑)。立派な方ですから。[初当選が2005年。小泉チルドレンと言われる83会が誕生した年]―そうです、83人で83会を作って。[(幸せ度数年表の)このハートは?]―(この時)3,4年前から付き合っている方がいて。こういう仕事をしていると、なかなかお付き合いして下さる方もいらっしゃらない。結婚するというのも大変なんです。付き合っていた頃無職だったので、さすがにあちらの両親にも言い出せなくて。それで9月に当選して、12月に籍を入れたんです。[2008年に第一子のお嬢様が生まれた。おめでとうございます]―ありがとうございます。[40歳過ぎて生まれて、かわいくてたまらない?]―そうですね。[奥様とはどこで知り合った?]―祖父が立ち上げた、OBサミットという国際会議があって、年に1回1週間お手伝いに(行きました)。そこでスタッフをされていた女性がいて、毎年1週間一緒に仕事をするわけですが、何回か繰り返すうちに親しくなって。[お祖父様が作ってくれた縁]―本当にそう思います。彼女もそれなりに政治の事を理解してくれているし、有難いです。[そして、まさかの落選。2003年に初めて落選された時より辛かった?]―そうですね、1期やらせて頂いた後の落選は…。落選したくないので、1期目の時も有権者の方々とコミュニケーションを徹底的にとってきて、の落選だったので、ショックは大きかった。本当に力をつけないと選挙は勝たせてもらえないので、自分の力足らずを改めて感じて。[落選後は?]―現職中は、平日は国会にいるのでなかなか地元を回れない。地元の事を勉強しよう、一からやろうと決めてやっていました。もうひとつは、「日本の未来研究所」を立ち上げて、2050年ぐらいの日本をイメージしていました。これは僕のアイデンティティ。今でも現職の国会議員をやりながら、常にかなり先の日本を見ていたいな、という思いがあるので、おととし社団法人にして、講演活動を年に30回くらいやっています。日本はこれから大きく変わる。人口も少なくなっていくし、日本以外の国はどんどん大きくなっていくし、その中でどうやって生きていくか、ということを考えるためのプラトーンをつくれないかな、と思って。まだ組織化まではいっていないけど、それを考えて講演活動や大学での授業をやらせてもらっているうちに、今回選挙に入ってきました。[定期的に越智さんのホームページは拝見させて頂いてました]―嬉しい、ありがとうございます。僕の好きな活動のひとつは、小学生・中学生と一緒に政治の勉強をすること。小学校に授業に行くし、「親子で国会に行こう」という国会見学ツアーを夏休みや春休みにやるんですが、彼ら彼女らは本当に目をキラキラさせながら話を聞いてくれて。1回現場に来て下さると、多分中学校・高校・大学・社会人になったときに、政治に対する見方の距離感が縮まるんじゃないかと期待しているんです。あと、大学生との対話も面白い。真剣に聞いてくれます。[落選中はご家族から提言はあった?]―うちの家族は、私の進路について何も言わないですね。[バッジを着けている普段とだいぶ違うじゃないですか、生活パターンが]―母方の福田の、101歳の祖母が…。[福田総理の奥様]―そうです。祖母は家族みんなに対しては、しっかり言いますね。会う度に、「選挙区を大切にしなきゃだめよ。ご挨拶に行ってらっしゃい」と。祖母のところに来い来いと言いながら、行くと「あなた、こんなところにいていいの?」(笑)。[心配なんですよね、選挙をわかっている方ですから]―祖父も最初の選挙のときは、トラックの荷台に乗ってずっと回ったとか、各地域で座談会をやったとか、ウン十年前の話をしてくれながら、選挙の大切さをいつも言われます。それに比べて両親はあまり言わない。「あなたは自分で考えなさい」と。「大人なんだから」と何も言わないですね、心配してると思いますが。[そして2度目の当選。おめでとうございます]―ありがとうございます![石原宏高さんは最後までわからなかったですが、越智さんはもっと早くに当選が確定された]―…実は、民放さまが8時台に当確を打って下さったんですが。[裏話的には]―NHKさんは(笑)、翌日になって、12時39分だったかな?[嘘!?]―ですので、8時台に、選挙事務所に皆さん詰めて待ってて下さった時に当確が出たので万歳をしかけたんですが、選挙事務所の通例で、NHKの当確までは待とう、と。周りの皆さんはNHKを観てじーっと待っていらっしゃるんですが、私のところには民放の当確を見た方から電話やメールが来て。結局それから4時間半です。[それは辛かった(笑)]―(遅くなった)理由は、世田谷の場合は東京都議会の補欠選挙があって投票が5票だったので、投票所が混雑しちゃって。[選挙システムの問題]―あともうひとつ。開票所の機械が壊れたらしくて(笑)。良かったのは、あまりにも待ってて当確が出た瞬間嬉しかったので、「やったー!」というポーズをしたところ、その写真を某経済系の新聞社が撮って下さって、翌朝の朝刊の三面に有り得ないくらいでかい写真を載せて下さったので、待った甲斐があったな、と(笑)。[そんな裏話が。民放もフライングすると始末書とか色々大変らしい]―2件くらいあったみたいですよ。[そして2度目のバッジを着けられて、今年になってから「ぎーちょうー」っていう…何て言うんですか、あれは?]―あれは、議事進行係と言います。急にちょっと背筋が伸びてきました。[またの名を]―呼び出し太郎(笑)。1年間やるんです。明日も(やります)。[喉を酷使すると明日に影響が]―そんなヤワじゃないです。飲み過ぎるとまずい(笑)。[だってかなり…「ぎーちょうーー!」とやるんですよね]―ちょっと違いますね(笑)。「ぎ」は長くしないで、「ぎちょうー」です。これが結構難しくて。85代なんですが、代々申し送りみたいなのがあって、長さとかトーンとか高さ、色々先輩方から仕込まれています。[明日も「ぎちょうー」は聞ける]―はい。緊張します。

●最近の政治トピックス

[現在は国会対策委員会]―そうですね。[この「みわちゃんねる」も、お正月の馳(浩)さん辺りからずっと国対でつながっている]―そうなんです。馳さんの次、永岡(桂子)さん、高木(つよし)さん、あきもと(司)さん、みのり川(信英)さん、大塚(拓)さん。そして私、第7代ですね。それで、この後誰か紹介しないといけない。国対縛りはやっぱり外れちゃいけないな、と。[それが「みわちゃんねる」のポイント。嬉しいです。国対の、毎日会っている、という結束感があるので]―1期目の時は、この世界(国対)を知らなかった。国対のいわゆる役員、副委員長は2期目以降の方が基本的にやるんですが…びっくりしました。[何が?]―国会会期中、1月から6月までの150日間、平日は毎朝必ず9時10分に、国対の委員長と副委員長、20人くらいいるんですが、全員が集まる。[大変な作業]―本会議があろうとなかろうと。[地方の方々は帰れない]―平日は帰れない。その代わりそこで情報を共有して、国会の全ての会議が順調に開かれるように努力をしていく、という舞台回しの仕事。大変な仕事だと…。参議院のほうは、今は(与党が)過半数ではないので、野党の皆さんにも誠心誠意丁寧に対応することで国会を運営していかなければならない。[気遣い・気配り、政治には重要ですね。闘うだけではなくて]―そうですね、そういう世界なんだな、と。人間と人間のぶつかり合い…というよりも、折り合いをつけていく、というような。[「絶対ノー」だけではなくて、話せばわかる、ということもある。対与党・野党・官もそうですが、対有権者に対しても]―そうですね。誠実に、そういう世界です。で、その国会対策委員会は党の組織なんですが、議員運営委員会というのが衆議院の議会の組織で、私はそこの委員をさせて頂いていて。[議員でもある]―はい。その議員の中の議事進行係なんです。[議員の中から選ばれる]―そう。本会議場で私は唯一マイクが立っている席に座っていて。8列目なんですが、私の後ろにいるのが、本会議を取り仕切る議員運営委員長。私の前には、本会議場の中で野党と色々折衝したりする議場内交渉係。ここ(後ろ)に委員長がいて、呼び出し太郎と(前に)議場内交渉係がいて、この司令塔のもとで本会議場の中を色々と上手く…。[わざとそういう位置になっている]―そうだと思います。そういう仕組みがあって、本会議がすいすいと動いているんだと初めて知りました。[1期目の時は(席が)一番前?2列目?]―2列目です。[いきなり8列目に]―呼び出し太郎だからですね(笑)。[呼び出し太郎の効果すごいですね(笑)。大注目]―でも大変なんです。本当に大変。私が発声する瞬間というのは、静かな場面でしょ?普通喋り出す時は、例えば挨拶だったら「皆さん、こんにちは」から始まるじゃないですか。でも私の喋り出しは、巨大な声で「ぎちょー!」から始まるものですから(笑)、出だしをちゃんとしたトーンで大きな声を出せるかどうか、というのが…[そこで外すと]―大変なことになります。本会議場に入る前は部屋で発声をやって。トイレまで聞こえるらしいですけど(笑)。[そこで万が一つまづいたら、後の安倍政権が悪かったらそこからだ…と言われそう(笑)]―プレッシャーかけてます?[いやいや(笑)、明日頑張って下さい]

●今だから言えるあの日のあの出来事

[ぜひお祖父様やお父様のお話を聞きたい]―政治家の家の裏側をお話ししましょう。[お願いします]―祖父のタバコ事件。[え?福田赳夫さんタバコ吸っていた?]―スモーカーだったんですよ。[昔の政治家はやはり吸わないとやっていけなかった]―はい。福田の家は一軒家で、裏に僕が住んでいたんですが。一軒家と言ってもそんなに大きくなくて。[何区?]―世田谷区の野沢という所。朝の7時になると、うちの居間…15畳くらいの畳の部屋ですが、そこは群馬県人で毎日埋め尽くされるんです。[田中角栄さんと一緒。地元からどんどんやってくるという]―観光バスで来られます、毎朝。角栄様のお宅とはちょっと規模が違うんですが(笑)。バス2台になると、縁側から庭にゴザを敷いて待っておられて。そこに祖父が出てきて、髭を剃りながら話をして。[膝付き合わせて]―で、その方々が30分くらいすると帰られて、東京見学とかに行かれるんです。その頃に、今度は政治家の皆様方がやって来られて。まあ打合せですよね、今だと国対部屋が衆議院の院内にあって、そこで色々情報交換しますけど、それが祖父の家に来てみんなで。[昔ってそう。今は安倍さんの家に朝行くなんてあり得ない]―あり得ないです。申し訳なくて行けない(笑)。[当時は朝からいろんな方がいらしていた]―はい。8時、9時になると祖父は出て行って、家はガラーンとして。今度賑やかになるのは夕方5時ぐらい。主にマスコミの方がいらっしゃるんです。それでマスコミの方が、何時に帰ってくるかわからない祖父を待ちながら…[家の中で待ってる]―そうです。ですから、私も(その頃の)マスコミの方と今でもお付き合いがあって、「(手を握りながら)勝って良かったな、隆雄君」とか「演説良くなったな」とか言って下さる。[親戚みたいなもの]―親戚みたいなものです。昔は派閥の番がいて、変わらず5年、10年やられたわけですから。そして(祖父を待っていた)そのマスコミの方々は、待ちくたびれて何をするかと言うと、お酒を飲むだけにとどまらず、麻雀をやられるんです。で、麻雀の相手をしたのが、これ言っていいのかな…[言って!]―私の祖母なんです。祖母が麻雀の相手をして、8時、9時、10時までずっとやってて。昔は携帯電話がないので、玄関前に車が着いてドアの音がすると、「ヤバイ!」と一瞬にして雀卓を片付けて、何もなかったかのようにマスコミの皆さんは祖父を迎えて、懇談というか、情報交換が始まるんです。[田中角栄さんの、「越山会の女王」の佐藤昭さんも麻雀をやられてて、おやじ(角栄さん)が帰ってくるとやめる、というのがありました。同じですね(笑)]―祖父は、祖母が麻雀やっているのを知らない。で、祖母もヘビースモーカー。ただ、ある晩灰皿にてんこ盛りにタバコを吸って、(それを見て)「今日この時をもって私はタバコを吸わない。今後タバコを吸ったら10万円払う」と。それから一切吸わなくなったんですよ。今まで見たことないです、30年間。多分祖父のタバコを止めさせるためだった。[さすがですね]―祖父は結構ゆるい性格で。最初試みたのは、八畳くらいの応接間があって、そこで記者さんと懇談をするようになったんです。それまで居間でやっていたのがそっちに移ったので、「これは怪しい」と思ったら、そこで記者さんからタバコをもらって(笑)。[止められなかった(笑)]―お茶を出しに行った祖母がそれを見ちゃって、「あんた何やってんの」と。それはそれでおさまったんです。今度は、記者さんからもらったタバコを応接間の引き出しに隠すようになった。[常習犯ですね]―祖母が来ないと思った時にパッと吸って。それがまたバレちゃったんですよ(笑)。[結構意思が…(笑)今のお話は総理時代の?]―いや、これは大臣時代です。で、今度は…夜7時のニュースは、家族揃って神聖な気持ちで観るわけですが、みんなで食卓について食事していても、政治のニュースになると(自分たちに関連している事なので)食事が止まるわけです。で、観てると祖母が「何やってるの!」と怒り出して。当時は委員会の中でタバコが吸えたんですが、(ニュースの中で)祖父がタバコを吸ってて(笑)。それを(祖母が)見つけて、帰ってきたら大変な剣幕で祖父の事を怒っていました。ちょっとほのぼのとした、「今だから言えること」です(笑)。[素晴らしいエピソードですよ(拍手)!]―本邦初公開。祖父と祖母のバトル(笑)。そういう夫婦でしたね。[お祖母様はどれくらいの期間(タバコを)吸われていた?]―私が知っているのは50代…その前はどれくらいか知りませんが、10年、20年は経っていますよね。[10年、20年吸っても100歳超えて元気。タバコもそんなに害はないのかも]―そこはノーコメント(笑)。

●質問コーナー
Q: 「日本の未来研究所」にすごく思い入れがあるということですが、今後日本がこうしたほうがいいという未来のビジョンがありましたら教えて下さい。
A: 当面の話をすると、第一弾は、迷走の3年間から脱却すること。[民主党政権からの脱却]―民主党さんも良かった部分はあると思います。ただ、今回の安倍さんの訪米を見ても、日米関係は民主党政権の時代にかなり厳しいものになったし、他の国との外交も、また経済に対しても(厳しくなった)。リーマンショック後の5年間で国富が1割近くなくなったわけですが、これに対する対処がちゃんとできてこなかったという点では、迷走の3年からの脱却をしなければならない。その先は、自戒の念も込めてですが、バブル崩壊からの失われた20年。これが失われた30年にならないようにしなければならないが、これをどうやって取り戻すか。今、私たちが現場の政治で取り組んでいることの多くが、80年代でやってきたことなんです。消費税を入れようとか、男女雇用機会均等法…女性の社会進出を進めようとか、年金の受給をどうにかして調整していこうとか。20年間失われてしまったので、これを急速に進めていかなければいけない、というのが2つ目。[そこから凍結されてきた?]―80年代は、人口が高齢化して、いずれもしかしたら減少するかもしれない、ということに気づいていて、ヨーロッパ諸国がその前の50,60,70年代に少子高齢化に対応すべく取り組んだことを、80年代に日本も遅ればせながらやろうということで取り組んでいた。それがこの20年間、その事に取り組むのも大切だとわかっていながら、目先の景気対策を一生懸命やってきた。そのお蔭でGDPが500兆で、この20年間リーマンショックまでは保ててきた、というのはひとつの良い点ですが、構造改革はできてこなかった、というのがこの20年の問題。90年代になってからグローバル化が進んで、日本が、世界で大きな国であり続けられることは有り得ない、という時代になりながら、それに対する対処をこの20年間怠ってきてしまった。これが失われた20年を取り戻す、という第2フェーズ。その次のフェーズは、じゃあ日本は過去を取り戻すだけでいいのか、と言ったらそうじゃなくて、やはり日本なりの国の在り方を決めていかなきゃならない。日本がどういう状況になっているのかを予測して、その前提の上で構造しないと。出来ないのを語ってもしょうがないですから。語り尽くされていることですが、「日本の未来研究所」では大前提として、人口減少・高齢化をまずは既定路線としておこう、と。2050年には1億人、2100年には6,000万人前後というのが人口の規模だし、高齢化は、世界のどの国も体験したことがない4割が高齢者になることを前提にしよう、というのがひとつ。もうひとつは、日本は経済大国で90年代前半はGDPが10%台中盤までいったわけですが、今は8%で、2050年には3%ぐらいになるんじゃないか。その先はもっと減っていく、それを前提に考えよう、と。ただこれは数多の先進国が経験してきていることで、例えばフランス、イタリアは日本より人口が少ないですが、国際的なプレゼンツが低いかというと決してそうではないし、文化・政治については、70億人の人類がみんな憧れる存在なわけです。ですから日本もどのように再定義していくか、というのがこれからの取り組み。再定義が出来つつある段階で日本の国力も再構築できるのではないか、と。私たち(日本)の日々の生活、ライフスタイルが実はかなり洗練されているので、それに磨きをかけて(外国の)皆さんに理解してもらって、それを「やりたい」と思ってもらうことで、世界の人たちとの繋がりが増えてくる。例えば、日本に来て日本のライフスタイルを見て、「いいな」と思ったら自分の国でも作ろう、というような。今回クールジャパン推進機構を作ろうと予算の話がありますが、それは街ごと輸出することにつながるでしょうし。そのためにもビジットジャパン…今は800万人くらい外国の方が日本に来ていますが、2020年くらいまでに2500万人~3000万人にしよう、という話があります。それはある意味日本のライフスタイルを見てもらおうという事。(東日本の)震災のときに、被災者の皆様が誰から言われることなく示された謙虚で秩序正しい姿には、世界の方々が本当にびっくりしたし、ああいった文化、ああいった社会を日本は持っているわけです。これは日本の誇るべきもの。それを含めて日本人の存在意義に磨きをかけていくことで、日本は経済的にも生き残っていく、というのがこれからの日本の進むべき道だと思うので。これをどう政策に結びつけていくか。「日本の未来研究所」の越智隆雄と、国会議員としての越智隆雄と、行ったり来たりしながら具体的に政策に結びつけて、今を生きていきたいな、と。そんな思いで…熱く語りました!

●その他

[今、アベノミクスという言葉が先行して非常に景気が良くなりつつある。巷でも皆さんアベノミクスを語られる。そして財務大臣が麻生さんで、交際費の非課税をお話しされてるから、期待感がじわじわ来る。財務大臣としての麻生さんをどう見ている?]―安定感があるな、と。安倍首相も麻生副総理財務大臣も、一度総理大臣を経験されてる方で経験値がある。先程の減税の話ですが、麻生財務大臣が、というよりは、私は安倍政権が、ととらえていて、今回は日本経済、史上最後の挑戦だと(思っています)。1割経済が落ち込んできていて、一方で財政状況も年々借金が重なって、本当に厳しい状況なんですが、そういう中で最後の挑戦。そのためには安倍総理は、今までの慣習や前例に囚われないで、あらゆる手段を駆使して今回の経済政策をやるんだ、と。これをどうにかしなかったらこの国は終わる、という思いでやっておられると思います。交際非課税も600万が800万になり、損金算入も9割から1割になった。[中小企業にとっておいしい話。嬉しいです]―あと、例えば自動車について言うと、自動車取得税が撤廃ですよ。[買わなくちゃ(笑)]―そう思うでしょ?来年から消費税があがっていくわけですね。経済の悪いときに消費税をあげて、増税と減税をセットにした税制中立というものではなくて、今回は増税だけでいくわけです。そういう意味では景気の悪い中、本当に国民の皆さんには大変厳しい、申し訳ない政策なんですが、そういう中で自動車取得税という長年続いた税金も、この機会に撤廃をする。先程、いみじくも言って下さいました。「じゃあ買おうかな」と。そういう気持ちを奮い立たせて頂いて、日本経済を良くしていこう、と(思っています)。税政が決着着きつつあって、金融も3月に目処が立って、財政はこれから予算の審議が始まっていく。最後に残されているのが成長戦略です。3本目の矢、これがつくれるかどうかが勝負。6月に骨太の方針というのを出していくことになっているので、これを頑張っていきたいな、と思っています。[そして7月には参院選の勝利、というシナリオに持っていきたいですね]―6月までにそういったパッケージをちゃんと作らせて頂けてたら、7月は結果が出るし、もしそこまでの努力が足りなかったら、厳しい審判が下されると思いますが…そこで厳しい審判が下されると、またねじれ国会になっちゃうんですよ。[ねじれは国民のためにも良くないと、よくわかります]―そういう意味でも、6月までにちゃんとしたパッケージを準備する。頑張ります。[財政のお話が出ましたが、お年玉、お祖父様からいくらもらった?]―祖父から?お年玉をもらったのって、30年近くも前ですよね?[私はお年玉の袋を全部取ってありますよ、嬉しくて]―本当ですか?お年玉の事は忘れたんですけど、祖父の肩もみをすると100円くれたんですよ。[結構庶民的(笑)]―ただ、それが何ヶ月か続いていくうちに、いとこがみんな寄ってたかって肩もみするようになって。そしたら祖母が、お金をあげるなんておかしい、と。100円中止令が出ました(笑)。