井原 巧
無題
第225回
2019年01月18日 放送

自民党 井原 巧 参議院議員

愛媛県会議員と四国中央市長時代を合わせて、なんと!5回も無投票選挙で当選の経験を持ちます。

市長時代は三セクの社長となり、地元のお茶を使って仕上げる銘菓「霧の森大福」を売り出しました。

銘菓は大ヒットとなり、財政を立て直しました。

「霧の森大福」はお取り寄せお菓子ナンバーワンにもなり、今も大人気の商品です。

私もいただいてみましたが、本当に美味しかったです!

「わかりやすい言葉で伝える」がモットーの井原議員は、来年の選挙の成り行きも注目です。

 

(動画より文字おこし)

自民党(愛媛選挙区) 1期目 2018年 11月 21日 収録時点

[6年が経ちましたね!] ― 年齢と共にでしょうけど、忙しいからあっという間の6年間だったような気がします。[この6年で最大の思い出はなんでしょうか?] ― 何と言っても当選したことが最大でしょうけどね。だけど、安保の関係とか、国家秘密の関係とかあったじゃないですか。私なんかは一回生だから、戦闘隊員とうか。(笑) 国会対策のメンバーだったんですけど、採決する時に、このタイミングで採決するからおまえたちは中に入って、というのがあったんです。私が受け取った役割は委員長さん、鴻池先生だったんですけど、委員長さんの机の上の原稿を抑えられたら読めなくなるから、おまえは一番最初に行って押さえるという役だったんです。[野党の議員さんの原稿を取られないように!] ― 委員長席は真中でしょ、委員長席から見て左側が与党席、右側が野党席ですね。だけど委員長は右側に原稿を置いていたんですよ。(笑) 私としては与党席から総理の前を走りながら、委員長の後ろを走ってテーブルの上に覆いかぶさるしか方法がなかったので、全力で走りました。[大丈夫だったんですか?] ― 押さえました!でも、上から二人、三人、四人乗りましたから。(笑) 結果的に終わった後には額にたんこぶが出来て、ちょっと血が付いていて、あばら骨を痛めてですね。[危険ですね!] ― 危険だったですけど。[一触即発というか] ― 何とかそれでね、採決が出来ましたから良かったです。(笑) [この何年か振り返ると、緊張した場面がありましたよね] ― 女性議員に委員長が囲まれて脱出できなくて審議が一日、一晩出来なかったり。それで私たちも徹夜したりして。それがすごく思い出としてはあります。[必ずその中で、女性の方ではぶたれたとか、触られたとか、いろんな話が出てきますよね] ― わが党の同僚の女の子は、後ろで倒されたと問題にもなりましたし。でも、混乱ですからね、男も女も考えるような状況じゃなかったです。(笑)

若い頃に戻った感覚でしたね。[国会と言えども、かなりそういう武闘派的な事があるんですね] ― 民主主義は多数決だから、考えたらテーブルに着いた時からほぼほぼ決まっているから、方法としてはそれしか最後は無いんでしょうね、抵抗するには。それってテレビで見るとあんまりいい感じはしないですけどね。

「幸せ度数年表」

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[お生まれはどちらですか?] ― 愛媛県、四国の田舎なんですね。[ご地元から選出されているということですね] ― 今年は特にね、豪雨災害があったから。愛媛とか岡山にね、今年は大変だったんですけど。[どんな中高時代だったんですか?野球部と書いてありますけど] ― 父は会社を経営していたんだけど、お袋が家で美容師をやっていたんですよ。当時、住み込みの若い女性の方もいたりしてね。だけど、忙しかった。着付けもやっていたし。だから、お父さんとお母さんが一日中、仕事をしていて、家で店屋物を食べるような生活をしていたんです。お小遣いをもらってご飯を食べに行ったり。三歳ぐらいまでは、近所のおばあちゃんに預けられていましたね。[井原議員のおじい様が衆議員議員で八期ぐらいやられた大ベテランだという風に聞いていますが] ― 祖父は小学校しか出ていないんですよ。私なんかは政治家としての像はあまり記憶がないですけど。祖父の場合は小学校を出て、青年活動をやって。町会議員から県会議員になって衆議院議員になった人なので。大学生の時に東京で一週間ぐらい泊まったんですけど、そういう話の中で、尊敬できるなと思った記憶がありますね。[当時は義務教育と言えども、小学校に行く方が半分ぐらいの時代ですからね。お父様は会社経営ということで、政治には関わっていないんですね] ― 息子の代は誰も政治に関わっていないんです。小学校の頃に祖父が国会中継のテレビに出るじゃないですか。予算委員会で当選が多かったから一番前の理事の席に座っているんです。腕組みをしてコックリ、コックリしているんです。次の日に学校に行くと、お前んとこのおじいちゃん、寝てたろと。小学生はそういうところ、残酷じゃないですか。僕も辛くてね、祖父の所に行ったんですよ。おじいちゃん、寝ないでくれと。巧は子供だからわかってないと。あれは一生懸命、物事を考えとるんだよと。大人になったらわかりました、それが嘘だということがね。(笑) [そういう説得の仕方というのは、さすが政治家ですね] ― まあ、そういう記憶がありますけどね。[そして大学に入学、妻との出会いとありますが] ― 中学、高校と野球を一生懸命にやって、そこで得た経験が今でも生きているかなと思っていますけど。厳しかったんですよ、中学は良かったんですけど、高校は甲子園を目指そうといってやった時だったので、その分、勉強が出来なくなったんです。大学受験は本当に苦労したんです。半年ぐらいしか勉強しなかったから。大学でサークルに入っていて、たまたまそこに来ていた家内と知り合って。[同級生なんですか?] ― 学年はひとつ上。学校は違うんですよ、女子大だったので、短大だったから。それからずっと付き合って。[24歳で政治家の秘書さんになるんですね] ― 大学は経営学をやったんです。政治家に絶対になろうとまでは思っていなかったので、家が土木建築の会社だったから、22歳でもう一回、工学院大学という所に土木の専門学校が新宿にあったんです。そこに二年間行って土木と経営は学んだから、後は人を学びたいと思って。東京で一番、人を学べる所はどこだろう、国会議員の秘書だと思って。本当に目的は人を学ぶことだったんです、最初は。[秘書さんをされていると、いろんなことがあるし、こんなことは絶対に人に言えないなと思うこともあるかもしれないし。(笑)] ― それがひとつの動機で24歳から秘書になったんです。[どうやって秘書になられたのですか?] ― コネです、愛媛の議員さんの秘書に。この当時はおじいさんが生きていたので、おじいさんは二階堂先生とかね、小沢辰夫先生を紹介してきたけど、僕なんかはね、将来は愛媛に帰るんだと思っていたから愛媛の若い国会議員の所で勉強したいという気持ちがあったので。[そういうところがなかなか戦略的でいいですね!] ― そこで関谷先生、当時五十歳そこそこの政治家だったので、そこにお仕えして。[いくらベテランでも年が離れてしまうとね] ― それもだし、大きい事務所だとぞうりを揃えるぐらいで辞めなきゃならないじゃないですか。でも小さい事務所だと即戦力でいろんなことをやらせてもらえると。[そこまで考えたのですか!24歳で?] ― その時はそう考えたんです。いろいろ勉強できるところと考えたんです。運転手から始めました。[当時は都内の道はわからなかったんじゃないんですか?] ― 今はナビがあるからいいですいけど、携帯もないしですね。だから、本当に大変でしたよ。毎晩、夜中の12時ぐらいまで、朝は5時ぐらいから。[乗る人のくせ、後ろの方のくせというのがありますよね] ― そうですね、すごく疲れましたけど、いい経験になりました。[そしてご結婚、31歳で県会議員に。これは初めての選挙だったんですね] ― はい、30歳まで東京で秘書をしていて、地元は人工が小さい38.000の市だったので。市会議員さんが帰ってきて出ろということがあって。27歳の時にお断りしたのかな、その4年後の31歳の時に帰って出たということで。[この時はおじいいさんはご存命だったのですか?] ― いえ、もう亡くなっていたんです。[残念だったですね] ― はい、見せてあげられれば良かったですが。[でも、回っていて常におじい様の話が出たでしょうね] ― 非常に幸せだったのが、父、おじいさんの七光り、八光りだったと思うんですよ。だって知名度もない、帰ってすぐだから。どけど、実は無投票だったんです。初出馬は無投票だったんです。秘書上りだったから、一生懸命に全戸歩くとか勉強しているじゃないですか。だからそんなんはあったんですけど、一回目出た時は無投票だったんです。県会議員は二期目も、三期もオール無投票だったんです。だから、選挙をしないまま、県会議員を引退しているんです。[そうなんですか!] ― 県会議員は一度も選挙をしていないんです。[いわゆる野党の共産党の方が出る組織もなかったのですか?] ― 僕の町は紙工場、製紙が一番大きい町なんですね。だから組合が強いんですよ。[それがどうしてですか?] ― 運が良かったんですね。[一期だったらわかりますけど、二期、三期もとは。裏で何かあったのですか?] ― それはわからないですけど。県会議員の時は選挙していないんですけど、でもね。事前に一生懸命にやるじゃないですか。それが結果的には認められたと思うんですけど。[ここでぐっと落ち込んでいますね。(幸せ度数年表を指して)] - 幸せ度数が落ちた理由はですね、全国的に市町村合併という議論がすごくあってね、私の地域も。そこで政治主導よりも若者が中心となろうと。実は紙産業で隣町と全く同じ形態の町だったんですね。それで合併しようという雰囲気があって。その中で僕もひとつの役割みたいな感じでいたんですね。それで合併しちゃったんですね。そうしたら両方とも70歳ぐらいの市長さんで、両方が出馬表明した。それで対決するようになったんだけど、若手のいろいろな盛り上がりがあって、結果的に一人が辞退して。みんなから県会議員を辞めろと。県会議員を辞めて市長選に出るようになった時に、人生に中で一番悩んだ時がここなんですね。というのは、自分の人生で市長なろうと考えたことはなかったんです。人生設計の中にも。もうひとつは実家が公共事業の請負業者なんです。だから自分の父もいるし弟もいるし、親戚も大きな会社をやっていて。そうすると、みんなに迷惑をかけるでしょ。自分個人ならばなんでもないんだけど、みんなに迷惑がかかるということ。もうひとつは政治をやっていたとしても、あそこの工事はあの会社でやっているのは市長のコネだろうとかね、言われなくていい話をされるでしょ。それって、これは自分にとってすごく苦しいことで。市長だけは自分のライフステージの中になかったんです。悩んで、悩んで。それこそ家出するようなところまでいって。それで最終決断して市長選に出たという。一番苦しかったのはこの時期です。[公共工事はご実家のみなんですか?その辺りは] ― そもそも市内で一社しかないような舗装工事の会社だったんです。ここが出来ないということが出来ない業種であったり、建設会社の方は一番大きな会社だったんで。バブルが崩壊したので売り上げが下がっていましたが、伸びることはないです。市長になってからは、そこを透明度ということだからそこを全部オープンにしたり、採用制度をオープンにしたり。それが逆の意味で言うと、情報公開で日本一を取ったとか。そういう感じになってきたわけです。そういう意味で言うと、それも苦しかったけどいい経験になったのかなと思っていますけど。[この市長選は現職の方と戦ったのですか?その方は引かなかったんですね] ― 現職と一騎打ちで、保守激突で。私にとりましても初選挙だったんです。[四回目で初選挙なんですね。どれぐらい市長をされたのですか?] ― 三期やりましたね。三期目の一年で辞めました。人口が10万弱だったんですけれど、紙の生産量は日本一なんです。有名な会社だったら、大王製紙という会社、ユニチャームとかね。小さい町なんだけど一千億企業が5社ぐらいあるような。どちらかというと、財政的に豊かな町ですかね。合併したものだから、町とか村も一緒になって、その借金をドーンと背負って。最初の3年間は県下で最初に公務員の給与をカットしたりね、単独で。ということで、行革にとにかく明け暮れたのが最初ですね。[合併があるとそういうひずみがありますからね] ― あります。やっぱり住民感情がなかなかひとつにならないし、職員同士も仲が良くないし。[しかも、若い市長だと反発がね] ― 40歳でしたし。[そしてこれは?(テーブルの上の緑の小箱を手に取る)] ― 「霧の森大福」というのですが。[頂いてよろしいんですか?] ― お食べ頂きたいと思います。[これみなさん、すごいんです!全国お取り寄せ御菓子ナンバーワンになったことがあるそうです。今、これを買おうとしたら?] ― ネットではなかなか手に入らないです。お店に足を運んで、ひとり三箱まで。午前中じゃないと売り切れて。これは愛媛の方はみんな知っています。知らない人はいないと思うんです。これを開発したのは他の人だけど、観光施設なんですね。田舎独特の、温泉があって宿泊所があって、大赤字だったんですよ、その施設が、第三セクターで。合併した時に市の物になった訳ですよ。市が赤字を再建しなきゃならない。その時にその商品もあって。まだ人気が出るちょっと前だったんですけど。若い人たちと相談しながら、インターネットとかメール販売の先駆けなんですね。その次はブランド化、全国のデパ地下に一生懸命に手売りしたんです。芸能人の人たちが手にしたら、なかなか手に入らないんですとブログに書くじゃないですか。それで火が付いて爆発的にずっと売れているんです。[いくら美味しいと言っても、ネットに載せたぐらいじゃ売れないですよね] ― テレビでスマップが、これ美味しい!と夜の11時ぐらいですかね。「ぷっすま」で言ったんです。いきなり、一時間に注文が4千箱ですよ。夜中じゅう電話で。そういうのを何回も重ねて。とんねるずの「食わず嫌い」にもこれが出てるし。ライオンのお昼の小堺さんの番組にも出ているし。ずっと、しょっちゅう、これテレビに出るんですよ。よく地産地消という言葉があるでしょ。言葉が違うぞと言うんですよ。地産まで合っているんだけど、地産で地元の人に買わせたって中でしか回らないでしょ。だから地産他消だと、田舎で作った物を都会の人に売ると。この発想でやろうぜ、で始めて。基本的に一番人気があるのは関西です。関西はたまにデパ地下で売るとこれにザーッと行列ができます。生産は限定していますけど、一個も残らず売れますからね。この利益が他の施設の赤字を全部埋めて、全体で6千万、7千万の利益で。従業員が僕が市長になった時は二十数人で、今は八十人位に。おかげで今年もずっと黒字です。[何が黒字ですか?] ― 会社全体が黒字です。第三セクターだけど。[市が潤うのですか?] ― 市が潤うし、観光客もいっぱい来るでしょう。だからすごく知名度が高いです。[「がっちりマンデー」にも出られたのですよね] ― 経営者で出させて頂きました。総務省からも表彰されました。第三セクターですごく頑張っている会社ということで。[本当に思い入れのあるお菓子ですね] ― 今なんかはね、国道の道路沿いには無いんだけど、道の駅にまでなっているんです。そういうような施設なので、ぜひみなさんも来て頂いて。(笑) [これを召し上がるんですか?] ― はい、私もよく食べますよ。これはひとつの特色としては、特殊な抹茶を地元で無農薬で栽培した物を全量買って作っているので、お茶農家の人も助かるんです。収益が出たら、その利益は還元するんです。お茶の買い上げ価格を値上げしたりしてローリングして。市でやっているからそんなに利益を出す必要がないから。そういう風なことでやっています。[「霧の森大福」はわが子のような物ですね] ― はい、役員もしていますから。[頂いちゃって、すみません。有難うございます。そして、いよいよ国政にということですね] ― 国政はまだね、入って5年ちょっとですから。今は下働きというか、幹事長を助ける役をやっていますけど。[国政と地方行政というのは違いますか?] ― 市長の時の方が自分がリーダーシップを取ってやりたいことが出来るじゃないですか。「霧の森大福」もそうだし。テレビでやっている書道パフォーマンスと言ってね、大きな紙に高校生が筆で書くやつ、あれ僕が発案者なんですよ。名前も僕が付けたんです。書道パフォーマンスという競技名を付けてね。そうやってやりたいことを出来るじゃないですか。子育て支援だったらね、僕の町はオギャーと生まれたら一年間、どこに行ってもおむつ無料にしているんですよ。たたでもらえる。そんなことは市長の時にやれたんですね。昔の江戸時代で言うとね、市長は代官様か、お殿様みたいなところがあって。だけどお殿様も東京に呼ばれることがあって。国会というと大きなピラミッドで、上に安倍総理がいらっしゃって、大老が麻生太郎副大臣か二階さんかわからないけれど、若年寄とかずっといるわけですよ。僕らは一番下の謁見は出来るから旗本ぐらいでしょ。これをやりたいとひとりで思ってもなかなか、大きなピラミッドって動かないじゃないですか。たまたま自分の上司に吉良上野介みたいな人がいたらいじめられたりね。(笑) だから参議院と言うか国会の難しさは人の輪だと思うんですね。[個人的なパフォーマンスだとうまくいかないと。確かにどうですね] ― どの世界でもそうですけど。会社なんかだったら社長がワンマンでグッとやったら出来ないこともないけど。民主主義だから、ひとりじゃなかなか出来ないですよね。[だからこそ、政党というのもしっかりして欲しいですね] ― はい、そうですね。

 

●最近の政治トピックス

 

[委員会はどちらに所属されているのですか?] ― 経済産業委員会です。[四国中央市の実績を買われてということなんでしょうね] ― 僕が最初関心があったのは、地方の事だから、総務省、総務委員会なんですね。そこと自分は教育が好きだったんですね、特に教育。文部科学が好きだったんですけど。一昨年、経済産業省の大臣政務官に就任させて頂いて、中小企業対策とかをやっていたので経済産業委員会に所属して、筆頭理事をさせて頂いています。[今の話題はどういうことですか?] ― 大きな流れで言うと、ひとつは地域の活力の差ですよね。主に製造業、今、ITとか産業構造が変わってきているじゃないですか。それに地方が追い付いていないのもあると。それと地方に中小企業とか小規模事業者があるじゃないですか。その格差を底上げして、活力を持たせるような中小企業政策、これもひとつだと思うんですね。もうひとつはグローバルな展開で見ると世耕経済産業大臣は外務大臣以上に海外に行ってますけど、今EUとの経済連携とか。今、アメリカは非常に保護貿易主義みたいなところがあって、中国といろいろもめている。その中にあって日本はどうしていくかとか。TPPイレブンの話とか、そういう世界経済というところも今後の日本の立ち位置として、重要なところに

なるのかなと思います。[多岐にわたっていますね] ― 経済は柱になるし、それがないと税収がないし、国家が社会保障すら難しくなるので。安倍総理が言っているように、アベノミクスはすごく大事だし、経済が第一と言うのはその通りだと思いますね。[最近、アベノミクスは聞かれなくなってしまいましたね] ― なんか淋しいですよね。だけどね、やっぱり大事ですよ。税収がないと、経済がないと、働く所がないと。数字的には雇用も充実していて。今、入管法のところで外国人の雇用を検討していますが、それぐらい人手不足ですよね。[この赤坂辺りを歩いていても外国人が非常に多いですよね。観光立国ですからね] ― インバウンドでね、たくさん日本に来られているのに加えて、職種によっては本当に人がいないから、日本人そのものが選択の岐路に立っているんじゃないでしょうか。[どうして人がいないんでしょうかね] ― 若手が職を選ぶということもあるんでしょうが、1億2千万人の時の経済が生き残っているんですよね。そこに人の手当てが足りないくらいになっている。女性にも社会参画しやすい環境を作ろうというのもそのひとつだし、定年の延長をしようというのも、そのひとつの方法なんだけど。それだけでも職種によっては人が集まらなくなっているから、それをどうするかということですよね。[今は外国人の方が入ってくれないと回らないですよね] ― マンパワーの分野は、介護とかは間違いなくそうしょうでしょうね。[コンセンサスがなかなか取れないですからね、そこをどうするかですよね。いろんな問題が出てきますからね] ― 教育から社会保障から医療から、いろいろ出て来るので。日本は大きな選択の岐路に立っているのは間違いないと思いますね。[井原議員が国政に出てから、そして次の選挙にもきっと掲げるだろう政策はどんなことですか?] ― 地方の活性化から多岐にわたるけど、大きな意味で言うと僕自身は政治への関心だと思うんですね。[みなさんに政治に関心を持って欲しい] ― はい。というのはね、自分の幸せを実現するにあたって、国民負担率という言葉を良く聞くじゃないですか。日本の場合は42パーセントぐらいね。決して高くはないんですね。フランスは60か70パーセント。ドイツは52パーセントぐらいなんですけど。簡単に言えば、一生懸命100万円稼いできて、自分の手元には58万円残ってこれで家族の幸せを考える。42万円は政治の世界にゆだねている訳ですよね。これを変に使われたら幸せになれないんです。病気になって救急車を呼びたいと思っても、救急車が来ない町だったら不幸だし。あるいは災害の時に水路が出来ていなくて、災害に遭う町だったら不幸だし。だけどこれは自分で出来ないことなので。政治と個人で作る幸せとがマッチング出来てこそ、本当はより良い生活になるから、政治家に厳しい目線というか、関心を持ってもらったら結果的には良い政治が出来るにかなという風に私は思います。[そんなに無関心な人が多いですか?] ― やっぱり無関心な人が多いんじゃないんですか。実は政治はすべてじゃないですか。すべてだけどトピックにガーンときて、世論が出来ちゃうじゃないですか。それも仕方ないことなんだけど、バランスも重要で。誰だって増税って嬉しくないし、社会保障で年金が下がるのだって嬉しくないし。じゃあどうしよう、というところをみんなで関心を持って知恵を絞れば、いい知恵が出て来るのではないかと思うんですね。[朝起きてから寝るまで、全部政治ですからね、細かく考えれば考えるほど] ― 避けて通れないですよね。学校に行ってもそうだし、保育園に行ってもそうですからね。[そのために、その喚起をうながすために、ご自分はまた出馬されて、多くの人が政治に関心を持って下さるようにということですね] ― 出来るだけ、私は分かり易く、専門用語を使わないように心掛けています。[なるほどね。100万円で42万円、政府に渡すというのは分かり易いですね。(笑)] ― 一人42万円預けたら、きっと気になるだろうと思うんです。[すごく気になります。(笑)] ― それを無関心でいられる人はいないぞと。だから関心を持って、ちゃんとしているか見るのは、すごく大事だと思います。[それを掲げて、次も出馬されるという] ― はい、次も頑張っていきたいと思います。[細かいこともいっぱいね、言わなくてはいけないこともあるんでしょうけど。ライバルが出るということはないんですか?] ― それはまだどうなるか、わからないですね。私自身もどうなるか、わからないですから。(笑) 私は県会議員から市長に本当になりないということではなかったんです。祖父の遺言というか教えでもありますけど、一生懸命やっていれば自分の進路は神様が連れて行ってくれる。だから自分で欲を持ってこっちと思ったらたいてい失敗するので。日々、一生懸命していればいいかなと、実は思っています。[そうすれば、自分の行く道に行くのではないかと] ― 誠実にやるというか。[一生懸命に働けばお金が付いてくるみたいな。(笑)] ― 一生懸命にやったら、神様が連れて行ってくれる、欲を持たないことです、はい。(笑) [ちょっと早いですけど、選挙、頑張って下さい] ― はい。(笑)

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

市長の時の事でもいいですか。市にお金がなくて、行財政改革ですごく迫られた時に、成人式になると新成人に記念品を渡すじゃないですか。あるいは写真を撮って渡したり。そのお金も無かったんですよ。悩んでね。わが町には二社大きな会社、ユニチャームさんとエリエールの大王製紙さんがあって。よし、ここをスポンサーに出来ないかなと思って。まず片っ方の会社に、もしもし、あっちの会社はしてくれるんですけど、どうでしょうかと訪ねて行って。え、向こうがするなら俺もするよと。でも本当は頼んでないんですね。次の会社に行って、向こうがすると言っているんだからと。成人式の男性と女性の記念品を毎年、交代交代に出してくれることになって、そうやって市のお金を使わないで経費ゼロになったり。あるいはさっきお話したように、オギャーっと赤ちゃんが生まれるでしょ、お母さん、母子手帳もらう。その時に紙の町の応援券というのを渡して、それを持って行けばユニチャームか大王製紙のおむつなら無料で持って帰れる。それをする時でも両者の社長の所に行って、実は向こうが協力してくれているんだけどこっちはどうですかと言って。本当は頼んでなかったんですけど、両方にうまく言ってそういうサービスを実現させたという。(笑) [嘘も方便で、いい話ですよね] ― そういうことが裏話としてはありますけど、今となっては両方とも喜んでくれて。国政でもそうだと思うけど、政治の世界というのは人の信頼、することが良いことだったらね、みんな協力してくれるから。裏があってもその思いが純粋で前向きだったら物事はうまくいくなあと、そんなふうにずっと思っていますけどね。[無投票で受かって、それは県会議員の時でしたっけ?] ― 市長もそう。一回目だけ選挙して、二期目三期目、無投票だったんです。[そうだったんですか?!] ― 六回の内、一回だけ選挙。[五回も無投票だったんですか!初めてですよ、何百人とお話を伺った政治家の中で!] ― 運が良かったんです。同じ人口の市が合併して十万都市になって、必ず交互から出るような感じなんですけど、僕の時は運が良くて。合併して苦しい所ほど僕はいっぱい行ったんですよ、田舎の方に。それが結果的には無投票になったと思うんですよね。[無投票って、お金がかからなくていいですよね] ― でも、告示までは一生懸命に頑張って。日々ね、座談会をずっとやっていたんです。合併して四つの役所があったんです。月に一回、全部の役所のロビーで食事をしたんです。ロビーに机を置いて。[平場で受付みたいな所で?] ― 本当にロビーです。玄関を入った所で。市報に載せて、この日は市長は何時から何時までここで仕事をしているから、誰でもなんでも相談に来て下さいというのを9年間、続けたんです。[いろんな人が来るでしょう?] ― 変な人も来ました。[何も努力しないで、行政に文句を言う方も正直言って多いですから] ― 胸ぐらをつかまれたり、唾を吐きかけたりする人もいたけど。逆に、俺のところまで聞こえていなかったなということ、障がい児のお母さんが来られたり。それこそリストカットして精神的に苦しんでいる女の子が来たり。全部に会って必ず対応する、ノンアポイントオッケーで九年間やったんです、毎月。それは今でも自分の財産ですかね。意外とおもしろいのは、ロビーでやっているからみんなが聞いているわけですよ。最初の不安はね、やくざが来るんじゃないかとか、自分の息子の就職を頼みに来るんじゃないかとか。でも周りに人がいたら、そんな人は来ません。本当に普通の政策提言の人が圧倒的です。だから本当にやって良かったと思います。[口で言うのは簡単ですけど、なかなか出来る事じゃないです] ― それが無投票の原因だったかなと思いますけどね。[井原議員のご自分の体調が良くないと、そういう人とはなかなか会えないですよね] ― でもやっぱりね、現場の声と言うのはそういうところで聞くべきだなと。実はそれが議員になってすごく教訓として生きていますね。[無投票二回で、どういう議会態勢だったんですか?] ― 議会は共産党は野党だったですけど、あとは与党だったですね。でも結構厳しいこともやりましたから。一年間で国民健康保険料を二割アップしたんですよ。住民から半端ない批判ですよ。介護保険料は100パーセントアップ、二倍にしたんですよ。そういう時もあったんです。そういう時は袋叩きにあったけど、誠心誠意、説明会をして次の年に黒字化が出来て、実は7パーセント下げたんです。本当に見える化した訳ですよ。[ここまで達成したらここまで還元できますよと] ― そう、そういうことで、結果的には乗り切ったなと思いますけど。

[これで終わるんですけど、今日はいかかでしたか?] ― 楽しく、自分が思ったことをしゃべらせて頂いて。政治もお仕事もみんな一緒ですから。僕は「信は力なり」という言葉が好きなんですよ。とにかく一生懸命にやると。(笑) [一生懸命にやれば必ず結果はついてくる] ― 能力が足りなくても、誰かが助けてくれる、(笑) 人が助けてくれる。そう思って。[五回、無投票当選という方はなかなかいないですよ。たぶん、永田町でおひとりだと思います] ― 運が良かったんですよ。たぶん、県会議員がデビューから引退まで無投票だったとゆうのはめずらしと思いますけど。(笑) [その後の市長さんも] ― 市長選も一回目はドーンとぶつかりましたけど、二回目三回目は無投票だったから。それを辞めて参議員に出るのは、本当に苦しかった。それも実は出馬要請を受けてだったから。市長会に会長もしていたし。[だから、すごく悩まれて] ― だから、一生懸命に頑張ります。