重徳 和彦
重徳NEWバスト
第157回
2015年06月10日 放送

維新の党 重徳 和彦 衆議院議員

東大ラクビー部つながりで、公明党の新妻秀規参議員からのご紹介です。

卒業後は自治省(総務省)に入省し、地方赴任を経験。新潟県庁にいたときに新潟中越地震に遭い、幼い命を救う経験。

愛知県知事選に出馬し落選。大きな挫折を経験。維新の党で衆議院議員現在2期目。

国会における維新の党の役割などを話してくれました。

(動画より文字おこし)

維新の党 愛知12区 2期目(2015年6月10日収録時点)

 

[ついに政権交代がこの番組で行われまして、公明党さんが7人続いたんですがついに維新の党ということで] ― なるほど、公明党単独政権から。(笑) [今年はずっと公明党だと信じていたんですが新妻議員とラグビーつながりで] ― 大学で丸々4年間一緒にプレイをしていました。[東大ラグビー部って強いんですか?] ― 野球よりは僕らの頃はラグビー強かったです。僕らの頃は慶応大学に勝ちましたんでね。今はだいぶ弱くなっちゃいましたけど。慶応がその年は一番弱かったんです。僕らが強かったんじゃなくて、慶応が異常に弱い年があったんです。そこを逃さず。(笑) [それも勝負ですからね、運の強さですからね] ― その代が新妻参議院議員と僕の代だったんですね。[同じグラウンドにいて、今バッチを付けて永田町で会うと思ってました?] ― まったく思わないですね。僕は国家公務員、官僚という道を歩みましたので。わりと官僚出身の議員さん達も多いので、社会人になる時にその時に皆さんから見ると違和感があったんですね、同級生から見ると、「おまえが役人かよ」と。そうゆう感じはありました。新妻君が議員という方がもっと違和感あったと思いますよ。[声がセクシーというか、運動部という感じがするんですけど、潰れているんですか。選挙活動でですか] ― だんだんがらがら声になってくるんですよ。目指せ田中角栄なんて。(笑)

 

●幸せ度数年表

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第157回重徳和彦衆議員年表

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[1970年生まれ。どちらでお生まれですか] ― 愛知県の豊田市という所で。[今のご地元とは違うんですか] ― 隣町ですけど。愛知12区岡崎市です。トヨタ自動車の社宅で生まれたんですよ。父がトヨタの社員で。今は世界のトヨタですけれど、1960年代まだまだで。[日産とかあっちの方が勢いがあった気がしますね] ― まだまだ発展途上のトヨタ自動車。[同級生にトヨタの人が多いんですか] ― 多かったですね。子供の頃、会社といえばトヨタのことだと思っていました。[東大を出た人は大学は東大のみで早稲田は専門学校なんですよね] ― いやいや(笑) 子供のころですからね。「おまえのお父ちゃんも会社か。家も会社だ」特殊な世界でしたね。[LAと書いてありますけど、どうしたんですか] ― トヨタ自動車の親父の転勤でロサンゼルスですね。[かっこいいですね。お父様は技術者だったんですか] ― 普通の事務屋だったんです。英語も全然出来ないんですけど、なんで家のオヤジがアメリカに行かされることになったのかよくわからないくらいでしたが、僕にとってはハッピーな3年間でしたね、西海岸。[高校生の頃?] ― いえ、これだいぶデフォルメされて、3歳から7歳です。

[英語はネイティブなんですか] ― それは後で話しますけど、留学もさせてもらったんですが、使う機会がないとなかなか英語もね。[それで野球で落ち込んでいますが] ― 子供の頃運動神経が悪くってですね、走るのも遅いし飛んでもたいして飛べないし全然だめだったんですよ。野球も好きだったんですけれど、どうもヘタッピーで補欠でそのままずっと中学時代を送ったと。野球は芽が出なかったですね。玉拾いからスコアラーから、ベンチ入りはしてるんですけど、スコアを付けてるだけでしたね。だからスパイク履かないんです。ベンチ入りして9人が選手でしょ、補欠が6人、合わせて15人がスパイク履いてユニホーム着てベンチに。僕は白い運動靴を履いてスコアをつけ役で。補欠にも入れなかった。悔しかったですね。[悔しさをばねにラグビーをやられたと。ラグビーはいつから] ― ラグビーは高校からです。ちょっとここ平らになっているじゃないですか。7年間続けたんです。[東大は浪人しないで入ったんですか] ― お陰様で。(笑) [どうして、3年間泥まみれになって東大に入れるんですか] ― わかりませんけど、どっちかというと一夜漬け派なんですよ。ずーっと勉強していてもなかなか直ぐ飽きちゃうんですけれど、ラグビーをずーっとやってて、うあ、やべーとなると力が出る、そんな感じですね。だいたい国会でも80回位質問に立っていますけど、毎回徹夜近くやるんですね。[私もある所の市会議員だったんですけど、前の日は徹夜でしたね。こうも言いたいああも言いたい、直している内に朝になっちゃうんですよね] ― 一夜漬け派ですね。あんまりだらだらと勉強しなかったでしょ。[そうはいいつつも勉強されてたんですよね。進学校の高校ですから、ちょこちょこはやられていたんですよね] ― やっぱ勉強、宿題やらされますからね。だから勉強しないでも受かりましたよという、天才じゃないってゆうことですね。逆にやっぱりこうがーっと頑張って、頑張って、わりと言っていて恥ずかしいですけど努力家で頑張ってはいるんです。でも頑張っても野球では芽が出ないですね。[高校生の時に頑張ろうという意識、勉強にたいするモチベーションというのは何なんですか] ― 今現在に比べればやることが限られいるじゃないですか。家の父親が「和彦、やるならば一生懸命やれ」とそれかな。[お父さん、お母さんに褒められたいという気持ちもあったでしょ] ― 家の親はあまり褒めてくれないんですね。今でもそうなんですけれど。選挙で当選にしても、別にそんなに喜ばないんですよ。「あんたまた迷惑ばっかりかけて」みたいな。あまり褒めない親でしたね。もうちょっと褒めて欲しかったし、友達が来てもお菓子は出さないとか。庭の草取りを僕の友達も手伝いなさいとか。そういう親でしたね。僕がよそに行くとお菓子を出してくれるんですけど、家に来る友達が草取りさせられるという。[佐野のおばあちゃんがお菓子屋さんだったから、家に来ると食べ放題でしたから、何だってあるんですから。みんな来てましたね] [そして4年間で東大を卒業するんですが、国一を受けるから、官僚になるからと、一年留年されるわけですね。そして当時の自治省今の総務省に入るわけですね。総務省の方、結構来てるんですよ。まず務台さん、舞立さん。あと東大ラグビー部では無いかもしれませんが、鬼木さんとか。ラグビー結構多いんですよね] ― ラグビー人脈だけで政権取れますよ。(笑) [森喜朗さん筆頭に] ― そうですね。(笑) [自治省からニューヨークに派遣されたということですよね] ― これは留学をさせて頂きました。皆さま方の血税で。[ここで語学で苦労されたんですか] ― 留学を2年間コロンビア大学という所に行かせて頂いたんですけど、宇多田ヒカルの先輩だとか勝手に言っているんですけど。全然学部は違うんですけど。一番苦労したのは、アメリカ人ってジョークを言うじゃないですか。ジョークが一番難しいんですよ。授業でも人気の先生はめちゃくちゃ面白いんですね。授業半分、冗談半分、ずっと笑いが絶えないような講義は一番付いていけないですね。笑いって難しいと思いません?日本でもお笑いに付いていけないことありますよね。それで、聞けないでしょ。今何言ったのとか。みんな笑っているのに乗り遅れて、今何言ったのと聞けない。ましてや聞いてもわかんないみたいな風になると一番辛いですね。[何年間留学していたんですか] ― 二年間です。[二年間でバッチリですか] ― 二年間の終りごろには英語力もついたような気がするんですが、それから20年経ってますんで。なかなか。(笑) [でも留学なので、むこうで外交官として仕事するという感じではないので別にマスターしなくともいいということなんですか] ― その時点で国益を損ねるということは無いんですよね。[一生懸命やるというのがポリシーですから、きっと頑張ってらっしゃったのは間違いないですね] ― アメリカは世界中から留学生が来ますんで、アメリカ人以上に南米からの留学生、メキシコ人とか夜な夜な踊るんですね。しかもパーティーを日本だったら6時とかから始まるんですけど、向こうは10時から始まる。10時スタートの3時までとか。ラテンのノリで。[日本人だったら寝てますよね] ― 彼らは昼間に寝てるとかね。[シエスタしてる] ― シエスタの習慣の延長戦かもしれませんけど、凄く楽しかったです。ハッピー、幸せ度は高い。[ここちょっと落ちてますけど] ― 落ちても6割ぐらいですから、普通になったんですね。[そして、マグロの会とおやじの会ってなんですか] ― これはマグロ祭りですね。自治省、総務省から転勤で三カ所行っているんです。青森県、山形県、広島県の県庁に出向したので。[務台俊介さんと一緒ですね] ― あ、そう務台さんも。務台さん僕の直属の上司だったことがあるんです。総務省消防庁防災課というところで。防災課長、務台さん。僕が課長補佐で。[上司としてはどうですか] ― えぐかったですね。[私の中で務台さんの評価は高いんですよ。務台さん大好きなんですよ] ― ちょっと趣味がわかってきました。(笑) マグロ祭りは何かというと、僕が青森県に行っていた時に青森県に二つ半島があるんですよね。下北半島、まさかり半島と言われる斧みたいな形をした半島がありますけれど、そこに大間という町があるんですよ。大間のマグロ。それで当時、青森県庁に赴任をしてそこから車で2時間くらいかかるんですけど、その大間の町に行けばきっと、マグロがたらふく食えるに違いないと思ってかみさんと一緒に行ったんですけど。[すでにそこで結婚されていたんですか] ― 申し遅れました。ニューヨークに行く直前に結婚をいたしまして、その上で皆さんの血税で新婚旅行までさせて頂いたという。(笑) [どこで知り合ったんですか] ― 学生時代ですね。[東大ですか?] ― いえ、東大じゃないんですけれど。共通の友達の紹介ですね。[もてたでしょうね。東大ラガーマン。もてた?違う、今ももてる。(笑)] ― そんなことないです。(笑) 一緒に下北半島、本州最北端に行ったらたらふくマグロが食べれると思ったら、マグロはうちの町には置いてねえ。っていうんですよ。[どこにあるんですか?] ― 東京です。[やっぱりね。美味しいものは赤坂にあるんですよ] ― 築地にあるんですよ。よくご存じで。もう一本釣り。映画にもなっている、命がけで一本釣りをしたそのマグロ、100キロ、200キロが地元では二束三文なんですよ。それが築地に持っていくと200キロで2000万円で売れたことがあるんですよね。[寿司ざんまいが買ってくれるんでしょ] ― そんな寿司や大間にはない訳ですよ。だから、釣った魚は全部築地へ出荷するのが当時の常識だった。だけど、そりゃおかしいよね。と思った訳です。大間の若い町興しグループがいて、島康子さんというめちゃめちゃ元気な人がいて、町をとにかく元気にするんだと言って、津軽海峡渡って漁船が来たら「よく来たの~」とか言って旗を振って。(大きな旗を振る仕草)「私の青空」というNHKの連ドラがあったんですよ。それにちなんで青空組という若者グループを作って、大漁旗を振って「大間へようこそ~」ってやっていたんですね。そういうグループと一緒になって、やっぱり大間に大間のマグロを持ってこようということで、年に一回、10月マグロが釣れる時期なんですが、大間のマグロ祭りというのを始めた。[それは役人としてプランからやったんですか] ― よくぞ聞いて下さいました。仕事と全然関係なくやっていたんです。公務じゃなく、アフターファイブ、土日祝日を使って大間の街に行って。僕の一番やりたいことは町興しなんですね。それでちょっとテンション上がるでしょ。マグロ祭りで。(幸せ度数年表のグラフを指さす) 2000年に仕掛けをして、2000年、第一回マグロ祭り。2014年で、14回。2015年に15回目のマグロ祭りが行われるでしょう。[そういう時に呼んでくれるんですか] ― 呼んでくれないですね。(笑) でも、僕が有り難くって、今国会で地方創生特別委員会ってあるでしょ。ああいうところで紹介するわけです。[それは生きた事例ですね] ― これが町興しだということで、今年15回目を迎えるマグロ祭り。今やですね、1万人以上の人が来て、車の半分以上は県外ナンバーだそうです。東北の各県から東京からも集まるんじゃないかな。本州最北端まで来ちゃうわけですよ。食を求めて。[大間のマグロが大間で食べられるのが普通だと思いますよ。それが流通の関係でしょうがないんですね] ― 地域活性化の基本で、意外と地元の人の常識は外から見ると、あ、もたいないという時が多いんですよ。よく、よそ者、若者、馬鹿者がいないと地域活性化は出来ないと。よそ者から見てどうだっていう評価が本当の町の評価なんですね。[そして、おやじの会 ] ― 広島でもやってて、東京でもやってて、地元、岡崎でもやっているんですけど。平成17年18年の頃、広島県庁に3年間出向で行っていたんです。当時広島市内で小さい女の子が外国人の変質者に殺害されてしまうと、悲しい事件があったんです。僕らは県の職員公舎に住んでいたんですけれど、その仲間に防犯パトロールを兼ねて、町興しも含めておやじの会を立ち上げて、おやじの力で守ろうと。登りを作ってタスキをかけて5人10人で練り歩くという選挙運動みたいなことを、選挙戦術でいうと桃太郎ですね。そんなことを広島でやっていたんです。広島で防犯パトロールは早朝にやっていました。僕ら公務員で朝7時頃からスタートするんですけど、まだ子供たちは一人も通学していないというそういう時間帯だったんですが。[やっている、ということが抑止力になりますからね] ― それは大事なところです。[ちょっと聞いたんですけど、新潟地震で子供を助けたという、その話をしていただけますか。みなさんわからないと思うので] ― そうですね。さっきの務台俊介さんの部下だった僕なんですけど、新潟県中越地震が、2004年10月に発生したわけですね。テレビでも有名な場面ですけど、がけ崩れが起こってまして、その中にどうも地元のお母さんとお姉ちゃんと、助けられた皆川優太君三人が車ごと埋もれているという情報が、県警のヘリコプターが上空から見ていたんですよ。監視してた。ちょうど車が上を向いた形で土砂崩れに埋まっていて、ナンバープレートが上空から確認できたんですね。そのナンバーは皆川さんのお宅の行方不明の出されてるお母さんを含む3人に違いないと。そして死亡が確認された訳ではないから、誰かが助けに行かなきゃいけない。正直、発生から三日も経っていましたから、これはちょっとなかなか望めないんじゃないかと。いう話もあったんですが、死亡が確認できていない限り助けに行かなければいけないというのが消防士の使命なんですね。しかも、がけ崩れで、余震ですね、上の方から石が転がって来るかもしれない、二次災害がレスキュー隊に対して及んでくるかもしれない。そういうところにレスキュー隊員を入れるかどうか。僕がレスキュー隊員じゃなくて連絡調整役が僕だったわけですね。結論からいくと、東京消防庁からハイパーレスキュー隊を呼んで、ハイパーレスキュー隊が助けに入って4日目に2歳の男の子を救出したということなんですよ。当時2歳で僕の長男と同じ年なんで、今中学2年生ですから。[あの崖のシーンね、とツイッターでも来てますよ] ― 本当にあれは忘れられないですね。今、本当に不幸な境遇にあった、だってお母さんも亡くなって、お姉ちゃんも亡くなって。でもその優太君というのは今、身体大きくてですね、当時から家の息子と同じ年なので明らかに立派な身体だったんですよ。4日間どうやって生き延びたかわからないけど、今は中2で170センチ超えて柔道やっていてですね、市内大会でも優勝するような凄い強い子で、将来何になりたいかと言ったら、人の命を助ける仕事に就きたいと。感動しますよね。[優太君のことは気にかけてらっしゃる訳ですね] ― ニュースにもよくなりますし、気にかけています。ちょうど去年の秋が10年です。不幸を乗り越えて頑張っている子を助けられて良かったと思います。[ここで落選とありますが、何に落選したんですか] ― 愛知県知事選挙です。[お相手は?] ― 大村秀章知事です。[どれぐらいの大差で] ― まー、えらいことでしたよ。悪夢のような。(笑) [あの時大村ブームでしたものね] ― 大村さんと河村たかし市長がセット、プラス、名古屋市議会の解散がかっかていたんです。名古屋の減税がかかっていたんです。市民税減税とか市議会議員の給料を半分にするとか。今でも半分なんですよ。本来1600万円のところが800万しか。その住民投票、リコール解散のトリプル投票だったんです。[どうしてその時に出られたんですか] ― 当時自民党の推薦だったんです。[えー!!自民党が出す人いないから?] ― 当時は民主党政権で愛知県も民主王国と言われ続けたそういう状況の中で ― [よく出ましたね。自民党に貸しがある訳ですから何かやってもらった方がいいんじゃないんですか] ― あえてこういうオープンでは言いませんが、やっぱりね、いろいろ人間関係は当然ありますので。[総務省を辞めて出馬された訳ですから、すごい決断ですよ。お子さん何人いらっしゃるんですか] ― 3人います。[3人かかえて大変ですよね] ― 本当ですね。よく辞めましたよね。辞めるまでは何とも思っていなかったんですけれど、辞めてみんなから言われるんですよ。[辞めて衆議院の初当選まで何年ぐらいかかるんですか。] ― 2年位かかりましたね。[2年位は無収入だったんですか] ― 何とか食いつなぐために支援して下さる方は有り難いことにいらっしゃいましたけど。政治をやるために辞めたので、なかなか志が遂げられるような方向性というのはずっと見つからなかったですね。そうこうする内に東日本大震災で、ちょっとここ上がっているのはボランティア活動、支援活動を一生懸命やっていたんですよ。自分が落選したからって落ち込んでいてはだめで、俺にはやることがあるんだ、やんなきゃいけないことがあるじゃないかってことでちょっととり戻したんですけれど。やっぱり知事選挙で落選すると、4年後また知事選挙出るかっていう。[4年後また出る気はなかったんですか] ― 選挙がデカすぎて。エリア的に町の首長だったらあれですけど、知事選挙は大きすぎて想像も出来ないですね。[首長は4年で変えるという訳でないし、2期3期も県民は見ますからね。よっぽどポカしない限り変わらないですね] ― それ位、僕は何も考えずに役所を辞めた訳ですね。[慎重に生きてきた方がポーンとよくやりましたね] ― 面白いことに、役所にいる間は一度も言われたことが無かったんですけれど、役所辞めて選挙に出るじゃないですか。そうすると自民党の幹部の皆さんが「重徳君は総務省では事務次官候補ナンバーワンだったです」(笑) 急に言われる訳ですよ。いやあ、そうなら辞めなきゃよかった。(笑) [そのフレーズよく聞きますよね。至る所で。それ常套句なんですね。重徳さんは本当かもしれないけど] ― 検証不可能な宣伝文句ですからね。実はそうだったのかみたいな。(笑) [それぐらいプライドをかけてお仕事してきたでしょうからそう思いますよね] ― 一生懸命働いてはいましたけれど。それはまあ選挙ですから。[至る所で聞きますよね。(笑) そして初当選は2012年ですね。その時はどちらの党なんですか] ― [日本維新の会ですね。どうして自民党から出てここで維新なんですか。その変遷を教えて頂きたいんですけど] ― カメラの前で言える事と言えないことといろいろあるんですけど。[お願いします。どんどん言って下さい。誰も聞いていませんから(笑)] ― 自民党の推薦で出させて頂いていましたけれども、もちろん自民党の皆さんに応援して頂いて。その時から、自民党が今までのままじゃだめだと。もっと改革派自民党にならなきゃといけないと、その旗振りを僕がやるんだと言いながら、逆に言うと、今までの自民党を肯定するようなことは言いませんよ、というのが僕が知事選に出る時の条件だったんです。出ないか?と言われた時に、自民党ヨイショはしませんよと言って出た訳なんです。諸事情あって選挙区がなかなか自民党からは見当たらなくて出れなかったということももちろんあるんですが。それにしても、当時の日本維新の会というのは保守系の改革路線だった訳なんです。その路線というのは私にとって全く違和感のない道でありまして、昔でいうと、自民党が派閥でずいぶん意見が違ったじゃないですか。そういうくらい、根っこは自民党だけど改革路線で行くんだというのが維新と一致したというのがあります。[2012年から3年間いろんな後悔とか、後悔と言ったら申し訳ないんですけど、本当にこの通りで良かったのかとか、おれは保守本流として自民党を引っぱっていく中核の一人なんじゃないかと、寝られない日もあるんじゃないんですか] ― 今はそんなことないですけれども。[この間、大阪都構想が否決されたりとか。揺れがひどいじゃないですか。橋下徹さんというカリスマがいた党ですから。その方がいらっしゃらなくなって、松野さんになったり。柿沢未途さんときっと合うと思いますが] ― 同い年ですしね。[そういう党にいて心配じゃないですか] ― 今までね、初当選以来、追い風だったためしがない。(笑) そんな感じです。この間入院されて心配になっちゃいましたが石原慎太郎さんが橋下さんとお二人で、なんかぶつかっていて。石原さんの御身体も心配ですけど。当時は橋下さんと石原さんと二人、本当に大丈夫か?と心配されて。橋下さんの慰安婦発言もありましたし、基本的に今まで碌なことがないんですよ。[当選前が一番良かったです維新は。2012年の選挙の前が一番輝いていたのかもしれませんね。申し訳ないですけど。関西と東京の温度差もありましたからね。今は橋下さんが辞めるということですからどんどん下がる一方かもしれませんけれど] ― しかし、全国政党を一大阪市長がマネージするといのはもともと大変なことだけど、橋下さんじゃなきゃと思うし。橋下さんの改革路線は受け継いだDNAの党であり続けたいと思いますしね。[今何人いらっしゃるんですか] ― 今50人位。そういう改革路線というものをパシッと進めていきたい。今自民党はどうでしょう。幅のある政党ではありますけれど、今の自民党の路線がいいと僕は全然思わないので。維新の党というのはいいとこ行っていといると僕は思っています。カリスマの発信力がかる橋下さんがいたからこそ発信できた部分もあるんで、今はちょっとこういったんしっかりと腰を据えて、傷つきながら、傷つきながら、戦いながら今維新の党にみんないますから、そんな軽率に、よくマスコミは分裂するとか、大阪派だ、何とか派だとかあってバラバラだと言われますけど、そんなこと全然ないですけどね。みんなわかっていますもん。[維新は今までは杉田水脈さん、中丸さんとか、過去来てくださって。みなさん同じで一本筋の通った方で凄いなという感じはあるんですけれど、残念ですよね。そういう方が国会にいないというのは] ― そうですね。それも分裂をしてしまった痛みなんですよね。政党は何を訴えるかということも大事なんですけど、党としてぎゅっとまとまっているかというのも大事な所です。[石原さん入った時はちょっと違うなあという感じだったんですかね] ― だいぶ違いましたね。(笑) 右左でいうと、橋下さんもよく言っているんですけど、極端に右、極端に左じゃなくて、ど真ん中行こうよと。ど真ん中の改革路線だという感覚なんです。だけど、いわゆる右ですよね。核武装すべしとか、自主憲法制定とか言われちゃうと、ちょっとですね、石原さん個人の思いはいいんですけど、石原さんが党を代表して物を言ってしまうと。[自分たちの有権者と合わない、と。石原さんは三島由紀夫と対談するくらいの方ですから。私の中では人間国宝ですから。あんな方いないですから、長生きしてほしいです] ― すっとご意見番でいて頂きたいと思います。[暴走老人してほしいです]

 

  • 最近の政治トピックス

 

[今日は自民と維新が修正協議、派遣法改正ということで、自民党が出した提案に維新もOKするということで出ていましたけど] ― 維新はそもそも、是々非々と言われて、どんな法案でも全部悪いという法案はないんです。全部いいということもあんまりないんです。

常識的に話していると、この部分変えた方がいいんじゃないのというのをおり合っていくというのが本当の政治だと思うんです。日本の場合は政府が提案する法案を○か×かという感じがしますけれど、本来は政府が出した案を与党も含めてぐちゃぐちゃいじった方がいいんじゃないかと、僕はもともと思っているんですね。とにかく反対だという意見も政治家にはいるんですけど、元々前の前の国会に出してきたものは物が悪かったけど、その都度出しなおす度に改善はされているんです。僕らは反対の方に行っています。修正協議というのはそれとは別の法案なんです。同一労働、同一賃金という法案を維新と野党共同で提案していたんですね。派遣労働者と正社員が同じ仕事をしているのに格差がある、これはおかしいだろうと。ここを是正するための法案を用意していたんです。それを自民党がちょっと修正の上、のんでもいいよというのが修正協議です。派遣法については維新の党は反対する方向です。本当に問題の多い法案であることに違いない。反対はするんですけど、採決までは同じ場に座ることはいいんじゃないか、そんなかんじです。民主党は採決も認めない、欠席するという方向になると思うんですけど。そういう状態なんですね。[だからこそ維新の党の役割は重要ですよね。内容を詰めるということをやって下さっているということですよね] ― 中身について詰める、それからむやみにもう議論もしないとか審議拒否とかはしないが維新の方向性です。もう審議もしないとかヤジを飛ばすとかあんなことばっかりやるのが国会だと最近の政治不信が蔓延している中で、席には着こうよと。改めるべきは改めようよと。それでもおりあいが付かなかったら反対するけど。[しがらみがないという感じがしますね] ― 絶対に反対しろとかどこからも言われませんので。[しがらみがないからいいって訳じゃないですけどね。しがらみって人間関係ですからね] ― しがらみいうのは、支持母体というのはあるのにこしたことないですよ。[そうじゃないとバッチを付けられませんものね。よく受かっていますよね。自民党に勝っているわけですから。薄氷を踏む思いでやっているんでしょうね] ― 毎回、死ぬかと思います。周りからも、お前今度はだめだろうと。言われれば言われるほどね。でも、落選のばねというのは大きいですよ。二度と落ちるか!という。[あんなやなものないですよね。病気の次にいやですよね。落選って] 僕が初当選以来、言い続けているのが、実は増子化なんですね。[少子化の反対だ!] ― あんまり難しい言葉じゃないんですけど。少子化対策なんて言っていると、なんか寂しいじゃないですか。空家対策とか、ダメダメなものを何とかしようというよりも、子どもが増えていく対策を作ろうじゃないかと。末広がりの日本を創ろうじゃないかと。言葉も大事ですんでね。これは予算委員会の時にお示ししたパネルなんです。子供の数が増えなきゃいろんな問題が出てくる。国内の需要が伸びないということも根本的には、人口が減りゃ若い人がへりゃ物なんか買わないわけですよ。とりわけ一番僕が言っているのが、人が足りないんだったら外国人労働者を受け入れればいいじゃないかと。そういう議論もない訳じゃないんです。だけど大事なことは日本とは成熟国家であり、文化大国だと思うんですよ。日本津々浦々、お祭りとかそこら中にあるじゃないですか、どんな小さな過疎地でも神社もあるし。そういうものを守っていけるのは日本人じゃなきゃだめだろうと。だから日本人の人口を維持しないといけないという思いなんですね。たとえばですよ、もうちょっと身近な例を言うと、ラジオ体操って昔夏休み、毎日やってましたでしょ。スタンプ押して貰ってね。最終日にはお菓子かなんか貰ってね。いうのが、今廃れているんですよね。やってない。やっているとこでも一週間とか二週間とか。僕らラジオ体操というのは子供の頃毎日やってたよねって、話が通じるけど、今の子供が大人になったらこの一つの文化が無くなる訳です。共有出来る思い出がなくなる訳です。[私は八王子ですし、こちらは愛知ですけどそれでも共通なんですものね。すごい日本は横社会なんですね] ― いいところに気がつきましたね。(笑) ひとつひとつが日本人のアイデンティティーだと思うんです。子供の数が減ってくると、子ども会もなくなって今言ったようなことになっちゃうんです。[子供会は運営が、親が一生懸命やらないとダメな話ですよね] ― PTAとか子供会とか、義務ではないので。[大人になっても子供会の思い出はいい思い出ばかりですよね] ― 子供の頃ソフトボールやってましたよね。[私はポートボール] ― 八王子は多岐にわたるんですね。[みんなヤンキーなんですよ(笑)] ― (笑) そうですか。そういうことも含めて。[どうしたら増子化になるかということですよね] ― 日本人が子供を増やしたいと思う、子どもが一人でいいわと言っている人に二人、三人と気持ちを持っているんですよね。でも経済的にも余裕的にも。全体的なムードを変えていくためには言葉の威力も大事だと言っているので増子化と言っているんですが。税制とか財政的な手当ても。民主党の時に子供手当というのが、一律26.000円でしたけど。それじゃちょっと財政的にも厳しいし、ひとつの理念としてわからないじゃないけど、一人目、二人目が薄くても三人目、四人目増えれば増えるほど手厚くなっていくような手当の制度を作っていくべきじゃないかと。今は増えていかない。バスなんかも一人目は無料、二人目は有料。それは逆だろと。三人、四人連れているお父さん、お母さんこそ優遇していくべきだと。税制でも家族の一世帯の人数が多いほど税が安くなる仕組みもフランスなんかでは導入されているわけです。そういうことをもっと激しくやるべきだと思うんです。もっと激しく、わかり易く。これが増子化だ!と。そういうメッセージがないんですよね。[私達が小さい頃って人口が膨れ上がって困るとずっとニュースで聞いてきたんで。今は逆三角形になっているわけだから大変だということで。日本はこれ以上人口が増えたらどうしようさんざん言われていましたけど。難しいですね。調整というのがね] ― 日本は全部急なんですよね。50年前から物凄い勢いで人口が増えて、これから50年もの凄い勢いで人口が減っていく。急なスピードで。こんな極端な国はないですね。[この間NHKでやっていましたけど、高度成長期の時に人口ボーナスと言ってたまたま働き盛りの人が多かったから、それと合致して日本が成長したという。本当にピンポイントだったという。日本はラッキーだったんですね] ― 人口の増減というのが明らかに経済に影響を与えていますから。人口ボーナスの逆は人口オーナスと言うらしいです。人口が減っていくことによって経済的なデメリットがあると。というのは極端なんです。高度経済成長の逆、急に世の中全体の活力が下降していくということになりかねませんので。ほっとくとなっちゃうんで。少しでも出生率を上げていきましょうということで。綜合的な政策なんで、お金出せばということではないので。一例として言っただけなんですけどね。

 

  • 今だから言えるあの日のあの出来事

 

僕ね、20代の頃、よく酒を飲んでいたんですよ。大学の頃からですけど。物凄い飲まされて、その勢いで社会人になってからも飲んでたんですね。[何を飲んでいたんですか] ― 最初の頃はビールはあんまり飲まなかったんですけど、だんだんビール好きになってきたんですね。今は反省して、あまり飲まないようにして。ここの所あまり飲んでないんですけど。20代の頃はよく飲んでましたね。家の女房と遠距離恋愛していてですね。[奥様はどちらに] ― 埼玉県に。僕は山形県に転勤で行っていたんですね。家の女房が、その時は彼女がわざわざ山形県まで遊びに来てくれた朝に大幅に遅刻したうえに、げろげろの状態で。その日はスキーを一緒にやろうねと言っていたんだけど、その日は一日介抱させてしまったというようなこともあってですね、当時からなかなか頭の上がらない関係だったんですけど。選挙をやるようになっていよいよ、すいませんとそんな日々が。[お子さんは全員男の子なんですか] ― そうなんですよ。これまた三人男でしょ。えらいことですよ。家のかみさんには迷惑ばっかり、結婚前からそんなよけいな迷惑をかけて。品行方正に子育ても頑張ることを誓いまして。[委員会とかでお話されているところがニュースに映ったりすると、いろいろ言われたりするんですか] ― それ以上に子供たちがきゃっきゃ、きゃっきゃ言っているんですよ。パパ出てたね、とか言って。僕の子供だからかもしれませんけど、中学生でもとても無邪気で、多感な頃と思いきや、なんか無邪気なんですよね。パパ、テレビ出てたね。もっとああ言えば良かったのに、とか。[教育パパなんですか] ― 僕が子供たちに?いや、もうちょっとなんとかしてよと。これも叱られネタなんで。[お酒の失敗は役人になってからないんですか] ― 今もそうだと思いますど、霞が関は夜中までよく働くんですよね。[どうしてなんですか] ― 国会答弁が一番いけない。[猪木さんのユーフォーはいますかなんて質問もありますもんね。どこの所管にしなきゃいけないかとかね] ― そうするとやってられなくなりますよ。でも、猪木さん、素晴らしい方ですよ。本当に尊敬します。ああいう大きな人間、身体はもちろんですけれど、本当に人間として大きいなあと猪木さんのことは思っていますが。役所の時は、もうやってられない訳ですよ。で、上司が帰ると飲もうぜと、今職場で飲まないかもしれないけど。[今、総務省は綺麗ですもんね] ― 昔の人事院ビルと言うのが平成7.8年位まであったんですけど。すごい戦前の内務省ビルですからね。あそこではアフターファイブになると、いかとするめを焼き始めたりとか。室内で。そんなこともありましたけど。[そういうこともやらされていたんですか] ― 入って最初の仕事はするめを焼くこと。(笑) お、重徳くん、ビールとつまみとか言って。[スポーツ選手だったから、そういうの得意でしょうからね。上下関係は] ― 忠実です。体育会ですから。言われたらひとつも断ることなく、はいって。[今もそうなんですか] ― 今も体育会精神というのは残っていますね。そういうのがないとね。若い人たちも。何かないとね。信じるもの、尊敬するもの、怖いものがあって人間と言うのは謙虚に一生懸命生きるんじゃないかなと思ってますけどね。[パパは言うことが違いますね。人の親はね。そうじゃなくても優秀なんでしょうけれども] ― 飲んで局長の椅子で寝てたら、局長が出勤してきて、おはようございますみたいな感じで。失敗ということではないですね。なんかそんな日もあったなあという感じですね。

 

Q; 先程の増子化のところでですね、日本人が増えるのはいいことなんですけれど、なかなか難しい部分もあると思うんですけど、移民政策についてはあと言えば、ある一定の条件をつけて移民を受け入れるとか、ある程度いろんな形で人口増の方策、あと年金とか今破たんしかけているんですけれど、子どもが親を看るような形のインセンティブを与えるような政策とか、そのようなのはいかがでしょうか。

 

A;よく言われるのが、高度人材は受け入れよう、これはよく言われることだと思うんですよね。これは当たり前のことで、いわゆる単純労働者も含む大量の労働者を外国から受け入れようということだと思うんですけど。よく考えると人手不足もひとつの問題だけれども、介護の人が足りないから日本語が全然わからない、しかもおじいちゃん、おばあちゃんが英語をしゃべれる訳がないとなると、よっぽど優秀な外国人じゃないとできないということになっちゃうので、その市場のニーズと供給される側の労働者の質みたいなものをよくよく見ないと。別に治安が悪くなるなんてよく言われますけど、もとから悪い外国人を想定する必要はないんだけれど、仕事に適合しない人たちが多いと、家族もいるし子どもたちの教育もあるし。日本社会が外国人を受け入れないという状況を招いてしまうことには細心の注意を払わなきゃいけないと思います。だって可哀そうですよ。子供たち阻害され始めたら、そんなんだったら母国にいた方が良かったと思います。子供たちとかね、弱い立場の人には政治というのは、本当に優しくしなくちゃいけないと思っています。それから、同居を勧めるようなことだと思うんですけど、これも難しいんですよね、嫁姑の問題でいろいろあるんですけれど、さっき言ったように子どもの面倒を核家族で両親共働きで面倒をみようというのはどこかに無理があるんですよね。経済的なインセンティブだけしゃないかもしれないけど、三世代同居とか、そういうところに対して手厚くするというのは子育ての負担も軽減されることになると思うし、介護も良くなると思うので、同居とか近くに住むとか定義が難しいんですけどね。同じ町内ならいいのかスープの冷めない距離なのか、若干計測は難しいんですが。ここは僕は地方分権論者なので国が全国一律に決めるのもひとつですが、どんどん分権してですね、それ位のルールは自治体で独自に決めてやっていけるようなそんな統治機構改革を含めてやっていくべきじゃないかなと思っていますけどね。[おばあちゃんがいたりとかおじいちゃんがいたりとか、みんなで子どもをみるのが当然だよと自民党がずっと言っていたことがいけなかったんじゃないですけね。そんなの家を出て都心に住むのがいけないみたいに言われたじゃないですか、昔] ― あんまり逆戻りみたいなことって実際には出来ませんのでね。意外とそれって古き良きそんな時代もあったなあって。あと政治家自身が自分自身が家庭を投げ出してる訳だから。[今の政治家は違うでしょうけど、昔の政治家は。よく二世議員さんが来て、接点がなかったとか、全然会っていないとかね] ― ああ、そうでしょうね。この間安倍総理も言っていました。親は家にいませんでしたからねと何かの答弁の時に言われてましたけど。まあそうだろうなあ。絶対僕だって、息子が大きくなったら言われますよ。親父は全然いなかったって。[たぶん、いいパパだと思うので、ご飯とか作ったりされてるらしいので、昔の政治家と違うんですよね] ― いい意味で新世代のいい風潮を作っていきたいと、思っています。[それでも、時間がないんですよね] ― 物理的に東京にいますので時間はないんですけれど、政治家は言えるほどの分際かと。ちょっと謙虚でいなきゃいけないと思います。[でも、進めることは進めいかなければいけないですからね。自分のことを思っていたら、誰も何も言えないですから] ― まあそれはそうですけれど。どこかで胸が痛むみたいな感じを持っていないとちょっと傲慢な感じがしちゃうかと思います。