野田 国義
野田議員バスト
第217回
2018年05月03日 放送

民進党 野田 国義 参議院議員

日本有数のお茶どころ八女市の市長を4期つとめ上げました。
初出馬の時は34歳という全国最年少市長だったことから「八女のクリントン」などと呼ばれました。
学生時代から、木曜クラブ(かつての自民党田中派)で砂防会館などに出入りしているうちに、
政治に目覚め、政治家を志すようになったと言います。
当時、梶山静六氏の「政治家は51%でいいんだ」という言葉に感銘をうけました。
市長当時から、市民の満足度を常に基準として政策も行動もして来たと言います。
たまたまこの収録日は、佐川氏の証人喚問の日でしたが、
「地方行政で長年培ってきた情報公開などの観点からも、由々しき事態」として追求していきたいと語りました。

県議になられた奥様とは「家でも政治の話ばかり」となげき?ます。

 

(動画より文字起こし)

民進党(福岡)1期目 2018年 5月 3日 収録時点

[今日は前国税庁長官の佐川氏の証人喚問の日ですね。どうですか?今はまだ途中ですけれども]― 午前中、見てきましたけれども。[刑事訴追で答えないというのは、野党としては予定通りという感じですか?]― 肝心なところは答えないというのがねえ。午後からそれを踏まえて、衆議院でどう突っ込んでいくかですね。[この番組にちょうど一年ぐらい前に枝野さんが出て下さって、森友問題、加計問題などはロッキード事件や佐川急便事件と同じに長期にやっていかなければいけない事件だと。今はもしかしたら選挙で終わっちゃうんじゃないかというところだけど、これは絶対にこの後、復活させて国民のために戦いたいとこの番組で宣言されて。その通りになったかなと思うんですけど][さあ、野田国義さんは市長さんをずっとやられていたんですよね]― 4期16年間。[どちらのでしょうか?]― 福岡県八女市です。[お茶じゃなくてお水ですみません!(笑)]― お土産を持って来ました。八女茶です。日本一のお茶です。さらに美人になって下さい。[ありがとうございます!星野グリーンティー、百一夜を頂きました。ありがとうございます!]― 僕の実家もお茶農家なんですよ。弟が今、お茶を作っているんですよね。専業農家で。なかなか皆さんがお茶を飲んで下さらないので。[お茶離れで?]―ご家庭に急須がなくなって。何とかしなくちゃと思っています。[外国人の方、お茶が大好きですけれど]― 少しは輸出が増えていますけれど。日本人がお茶を飲まない、米を食べない。日本の心を取り戻す運動をしっかりしていかなくちゃならないです。

 

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[福岡県広川町に生まれる。これは八女ではないんですね]― 隣なんです。八女郡広川町です。隣の町の市長になったということです。[学生時代は東京に]― そうですね。何で政治の世界に入ったかということなんですけど、砂防会館がそこにありますよね。そこに木曜クラブというのがありました。派閥の会が。そこに出入りするようになって。大学でサークルを立ち上げて、政治研究会なんですけれど。そこから選挙のお手伝いとか、木曜クラブの先生に講演に来て頂くとか。そういう活動をし始めたのがきっかけです。[当時、どんな国会議員がいらしたんですか?]― 梶山清六先生ですね。梶山先生が4期、中堅どころで。一番残っている言葉は「政治家というのはね、51パーセントの人間でいいんだと。100パーセントの人間からも意見を聞かなくちゃいけない。そしてまた、0パーセントに近い人もいる。ちょうど真ん中がいいんだと。真ん中よりも1パーセント上がいいんだ。51パーセントの人間が政治をやったらいいんだと。」痛烈にこの言葉が残っていますね。学生時代に素直に受け入れて。[今は国会議員たるもの、聖人君子を求められる訳じゃないですか。辛いものがありますよね。砂防会館、木曜クラブが一番元気だった時は、政治家も泥臭くてという時期でしたよね]― ええ、数は力でね。[そういうのを目の当たりにしてきたということですよね]― もう何年前ですか、30年前。[学生さんとしてはカルチャーショックだったんじゃないんですか?]― 40年前ですね。(笑)それから秘書に。[どなたの秘書ですか?]― 古賀誠先生の秘書を。しっかりと学ばせて頂いて、裏表をね。[古賀誠橋というのがあるんですか?]― 八女にありますね。[秘書さんをやられて、直接ではないにせよ、戦ったということですね]― 市長になる時、袂を分かったという感じですね。市長になった時、34歳で。若すぎるということで、最年少市長に結果的にはなったんだけど。[稔子さんと結婚ということで。稔子さんは民進党選出の福岡県議会議員ということですね]― 高校の同級生なんですよ。[そうなんですか!]― 結婚してくれ、結婚してくれというもので、仕方なく結婚しました。[そういうことを言えるのがいいですね。(笑)]― 今は反対だと言われますけど、当時はそうだったんですよ。[いつから奥様は県議になられたんですか?]― まだ3年です。統一地方選挙の3年前です。[奥様がバッチを付けてらっしゃると共通の話が出来ていいですね]― 政治の話ばかりです、家で。[30歳の時に結婚されているんですね。この時は秘書さんだったんですね]― 誠さんの秘書でした。仲人は誠さん。[さっきの話に戻りますが、34歳、史上最年少市長で話題になったということですね]― この中に34歳の方もいらっしゃるんじゃないんですか?皆さんも30歳になったら、故郷に帰って市長になりましょう!頑張って下さい。(笑)[ガンの手術と書いてあるんですが、ほんとですか?]― 一期目が終わって、二期目当選したんですね。二期目は無投票だったんですよ、お陰さまでね。それで、さあ頑張るぞと思っていたら健康診断で引かかっちゃいまして。[どちらのガンだったのですか?]― 胃ガンでした。39歳の時、ちょうど20年前なんですけれど。当時は福岡の八女市長だったから、言ったのは妻と副市長、二人だけに言って。こそーっと福岡から上京して虎ノ門病院で手術を。[今だったら、胃ガンは治る確率が非常に高いですけれど、20年前の胃ガンといったら、それだけで市長交代という噂が出ますからね。やはりピロリ菌がいたんですか?]― いたみたい。[胃を切除されたんですか?]― もちろん、三分の二か全摘かで。お陰様で幽閉門の所だったから上を残すことが出来て、少しは助かりました。[自覚症状はなかったんですか?]― 自覚症状がないのがガンですからね。みなさん、健康診断をお願いします。(笑)[胃カメラを飲んだのですか?]― 初めて胃カメラを飲んだんですよ。まだ死とか考えたことがなかったから、カメラを見ていきましょうと目の前に画像を見ながら、デコボコな細胞が出てきましてね。さすがに震えましたね。終わったあと、「お気づきみたいですけど、90パーセント、これはガンですね」と。[何年経ちましたか?]― あれから20年です。[良かったですね!]― 他のガンが危ないんでしっかり検診しないといけないですね。[そして市長を四期されたということですね] ― 16年です。衆議院に出るために4カ月残して辞めました。正確に言うと、15年と8カ月。〔市長時代を振り返って印象に残っていることは?〕― 初当選の時、職員が目上ばかりでしょ。34歳で市長になって、職員の平均年齢が42.3歳でしょうからね。そういう面では苦労したし、議会との対立がなかなか厳しいものが。でも市民の支援は高かったというかね、改革、チェンジということで当選しましたんで。[市民の大きな付託がないと出来ないです]― 議会はおじいちゃんとか、おやじよりも年上の方ばっかりでしたからね。ゼネレーションギャップというか、苦労しましたね。物の考え方というか、私がチェンジだから改革案ばかり出すものだからね。[付いていけないということで。後悔とかはありませんか?]― ありませんね。今、問題になっている情報公開、これを徹底的にやりましたんでんね。当時、情報公開度では全国2番に据えて頂いて。今は国も含めて後退しているよね。国の法律も地方から動かしたんですよね。地方が情報公開条令をどんどん作って。国が一番遅れていて。[今日の証人喚問は文書改ざんですからね。市長さんだって職員にやられたらわからないじゃないですか]― 基本的にそういうことはアウトですからね。地方でもね。そういうのが発覚したら地方の方がもっと問題になってたかもしれないよ。、身近だから。[そして衆議院に出るということで。ずっと衆議院に出たいと思ってらしたんですか?]― 中選挙区の時だったらね、もっと早いタイミングだったかもしれませんが、小選挙区になってましたからね。この時、民主党からお誘いが。政権交代もありまして盛り上がった時期で。すぐ解散だろうと思っていたら延ばされちゃってね。[10カ月でしたね。いつ解散か、いつか解散かと、マスコミの方も煽ってね。あの手この手で降ろそうとしていた時期でしたよね。そして当選したんですが次の選挙で落選ということですよね。初めての落選経験]ということですが、ずっと走っていらしたので精神的にちょっとゆっくり出来たんじゃないんですか?]― ゆっくり出来たのはここのガン手術で3週間ほど、ここで数か月。でも参議院に出ようと思って動き始めたから。[でも凄いですよね、衆議院で落選されたけど、参議院で復活されて]― タイミング的に合ったものですから、お陰様で。(深々とお辞儀を)2009年の時に民主党の仲間がね、たくさん当選して来て。いろいろインタビューされたと思うけど。聞いたところによると143人ぐらい民主党はいたんだっけ。戻ってこれているのは30人ぐらいかなと言ってましたね。[四分の一になってしまったんですね。そんな中でも今、バッチを付けているというのは、本当に凄いことだと思います]― いえいえ、運が良かっただけです。[半分以上、ご地元で活動されている訳ですから、古賀誠さんともお会いするでしょうね]― 最近、仲がいいですよ。(笑)[でも、そんなもんですよね。そこでいがみ合っても]― お互いに年をとったし。(笑)[古賀先生はおいくつなんですか?]― 18歳違いますので、77.8歳じゃないんですか?[古賀派があったくらいですから、宏池会で]― あそこまで行かれるとは、びっくりしますよね。我々、初当選の頃からよく知っている訳ですから。

 

●最近の政治トピックス

 

[野田議員は参議院議員になられて、何を一番力を入れてやられているのでしょうか]― 森友、加計、行政の在り方のところが。我々が地方で情報公開をはじめ、やった改革が何だったのかと。基本とする国が逆戻りして、情報を隠蔽とか破棄するとか、考えらえないことが起こっている。[それは安倍政権の支持の高さによる驕りというのがきてるんですけね] ― そうでしょうね。どうしても人間というのは勘違いするから。私も自分自身に言い聞かせているのは「初心忘れるべからず」。「初心忘れるべからず」にはいろいろ意味はあるけど、情報公開をしていく、国民に説明責任を果たしていく、信念を持ってやり通すことが大切ですよね。自分に都合のいいように変えていくことがおかしいし。もう一つね、さっき妻の話が出ましたけど、僕も首長時代ね、妻のあり方というのに非常に苦労した一人なんですよ。妻も実を言うとね、安倍さんと同じ病気になっちゃったの。潰瘍性大腸炎。それも、一期目の4年目。半年、入院しましてね。まだ子供も小さいでしょう。幼稚園と小学校1.2年生だったかな。だから保育園に送っていって市役所に行くというようなことをやってましたけど。政治家の家庭は家族が一番大変なの。そしてどれくらい妻が関与していいのか。だから僕はなるべく関与させないように、やっぱり公私は分けなくちゃいけないから。積極的に参加して来るのはいいんだけど、忖度をはじめいろんな事件が起こる可能性はありますよね。[安倍昭恵さんの場合は森友学園問題の前から噂があったんですか?]― いろいろありました。気さくにどこでも出かけて行って、それもいいんだけど、秘書官が当時5人いたんだっけ。[一応、税金ですからね]― どこかに行く時は私費で払いなさいとか、地方は厳しいですよ。妻と一緒に行く時なんかね。安倍政権はちょっとやり過ぎでしょう。過ぎたるは及ばざるがごとしでね。[でも、支持率が高い。この数年間、野党は辛かったでしょうね] ― 政権を取った時だけですね。あの選挙の時だけ。あれから1.2カ月後はずっと右肩下がりできてるから、厳しい状況ばかりです。[委員会ではどんな活動をされていますか?]― 委員会で国土交通委員長をさせてもらっていますから、地方の在り方を。やっぱり無駄な公共工事はダメだと思うんですよ。何でもいけいけでやっちゃう部分があるんですね。しかし、費用対効果をちゃんとやった中で将来を見据えて、もちろんランニングコストも見据えてやっていかないとね。そのあたりの事が大切だなあと。何でもやってしまえ、じゃなくて。道路、橋、トンネルの老朽化の問題、上下水道とか。それだけでも財政はたまりませんよね。それからアベノミクスと言っているけど、地方までは全然行ってないし。[どうですか?八女の方は]― いやいや、厳しいばかりでね。[野党の議員でありながらも、委員長になられてということで。でも多数決で負けてしまうという、忸怩たる思いが日々があると思うんですけど]― どげんかせんといかん!という感じですよね。[いろんな法案で採決、否決で違う考えをやっていかなければいけないという感じですか?]― 7割8割は賛成しているんだから。(笑)[そうなんですよね。この番組、ずっと民進党の方が来て下さっているんですけど、7割8割は賛成しているとおっしゃって下さるんですけど、そこはマスコミが映さないですから。今日みたいな証人喚問ですと、やはり対立構造になりますかから。そっちの方が分かりやすいですからね、きついですよね] ― でもね、健全な野党がないと、日本は絶対に健全に発展しませんから。そう思いますよ。僕が首長やっていた時、僕は議会対策を大変厳しくやられたんだけど。[どういう風に厳しかったのですか?]― 例えば、こういう条令が本当にいいのかとか。男女共同参画条令を出した時、今問題になっているLGBT,あの問題を条例に入れて、先進的にやったんだけれども。やっと今は認められているけれども、条令を制定したんですよ。そうしたら全国からバッシングを受けて。僕は保守だと思っているんだけど、バッシングを全国から受けましたね。[行政の世界は百人、百通りですからね、考えがね。それを基準に合わすというのはね。梶山清六さんの話じゃないけれども、51パーセントぐらいにとどめておいた方がいいのかなというのが良くわかりますね]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

今、お話したように政治家の秘書をやって、市長をやって、今、議員やっているということなんで、ある意味で裏表を40年間、経験してきました。議員秘書はどちらかと言うと裏の仕事、市長はある意味では表。[全部、見てきたということですね、表も裏も]― そういう意味で、やっぱり政治というのはクリーンじゃなくちゃいけないと思うんですね。これがまた最近、一強になるとおかしくなってくる。あまりにも力が付いてくるとね、今、忖度ということが言われておりますけれど。利権政治という観点からしてもおかしいと思うんですね。僕が首長の時、予算の編成権を持っているのが首長だから、どう使うかということを思っていながら、クリーンにやっていかなくちゃいけないということで。ちょっと裏なんかも見てきたもんですから。[でも人間は忖度したくなりますよね。自分に良くしてくれる人には良くしたいというのは、人間の性ですからね。そこを戒めなくちゃいけないのが政治家ということなんですけどね]― しかしどうしても、政治にはお金がいるということで。[でも当時からすると、あまりお金がかからなくなったんじゃにんですか? SNSの普及等で]― 選挙なんかでも、億かかっていたのが数千万で出来る、一桁は違うのかと。[そんなにかけた人は、逆に引いちゃいますよね]― まだ、使っているところは使っていると思います。[民進党にはいらっしゃらないんじゃないですか?]― そうですね、民進党にはね。[自民党にまだそんな方がいらっしゃるんでしょうか?]― いらっしゃるんじゃないんですか。線香を配ったとかあったじゃないですか。そういうことをやらないと支持を引き付けられないということで、やってらっしゃるんでしょうね。[なんか、あげたくなっちゃうんでしょうね]― 所詮そういった、バックマージンとか、政治の世界では言いますけれども、税金じゃないですか、ある意味では。私は市長の16年間、クリーンにやってきたんですけれども。[いっぱい誘惑があったんじゃないんですか?]― ありましたね。付き返した時もありますよ。もちろん、もちろん。[持って来ちゃう]― 後で暴露されたら、事件ですから。特に首長はね、直接やられますから。[市長選の時はお金がかかったんですか?]― 最初はね、大変でしたね、どうしてもね。[野田国義という名前を憶えてもらいところですからね。でも一回、首長になると]― 毎日が選挙運動ですからね、首長は特にね。[当時はポスターがいろんな所に飾れたんですよ。今は公職選挙法変わったから]― 電柱にバチバチ貼ってましたね。[どこでもいいから、貼ったが勝ちで。それがお金がいる、付き合いとかいろいろことで。貼るのにお金はいらないんですけど、その前にお付き合いにお金がいるということがありましたよね]― まだまだ、やってらっしゃる方がいるんじゃないんですか。特に田舎はもらって当たり前と。[今日来て下さっている方は二十代が多いと思うので、感覚が違いますからね。おじいちゃん、おばあちゃんの世代の感覚ですから、全くかけ離れたことが普通に起きていたということですね]― 公共工事があれば、そこからバックマージンというのが当たり前と言われましたよね、昔は。[民主党政権の時、公共工事が極端に減ったと言われているじゃないですか。それが確実に増えたということで、世の中が潤っていると言う方もいらっしゃるんですが。それには無駄な工事というのがあるんでしょうか?]― いわゆる景気対策の名のもとにやる部分ってあると思うんですね。その中に本当にやらなくちゃいけないのか?という事業もたくさんあるんですよ。一つ一つを見れば。結局は地元の方が政治家に頼んだことによって、政治家も断れなくて役所につないで、圧力をかけて作らせるとかね。そういうところが非常に多いんで。

[今、生々しい順序でしたよね。そうやって行われるんですね][奥様の選挙は大変ですか?] ― いえいえ、定数2ですから。田舎で八女市を中心に550平方キロメートル位が妻の選挙区です。[奥様が街頭演説をされる時、こんな考えを持っていたのかと思われたりするんじゃないんですか?]― いやー、妻が挨拶する時が一番冷汗が出ますよね。少しは慣れてきましたけどね。お互いそうなんでしょうけどね。しかし、妻が政治家になるなんて考えたこともなかったからね。[どうして出ることになったのですか?]― 次の候補者が見つからなくてね。だったら妻を出すしかないと。とにかく一議席を確保しろと。[野田議員が出るように言ったのですか?]― そうそう。その時はね、頭下げて、出て下さいと。音楽が好きでね、音楽講師をやっていたんだけど、私が市長選に出る時に辞めさせましてね。ピアノ講師をやってたんだけど。[どうして辞めさせたのですか?] ― 当時、一人で選挙をやるなんて考えられないじゃないですか。やっぱり夫婦そろって選挙運動はやるもんだと。40年前、学生時代からあそこの砂防会館のあの辺に行ってると、そんな感じじゃないですか。[今だったら、馳浩さんの奥様なんかは10年以上、地元に入ってないとか。それは特別な例で普通は違うんですよね]― 普通は何で奥さんが帰って来ないんだ!となりますよね。[大変な世界ですよね。でも、皆さんに期待されているので頑張って頂きたいと思います]