金子 めぐみ
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第87回
2013年09月04日 放送

自民党 金子 めぐみ 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 新潟4区 1期目

2007年の新潟市議選の節はお世話になりました。(佐野が応援演説に駆けつけた)
中川先生からお声がかかって大変光栄でした。(新人)119人、同期でこのタイミングで当選してきたというのは一つの運命、同志だと思っている。我々119人がやる事というのは日本をとにかく取り戻すという戦いで夫々全国から集まってきているので安倍総理のもと、一年生といえども国会議員であるのに変わりはないのでしっかり取り組んでいきたいと思う。○○チルドレン、○○ガールズという呼び名があった時代と変わって、今回、自分が言うのも変だが、夫々経歴もしっかりしていたり専門性が高い人たちが多いので
とても刺激を受けている。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第87回金子恵美

現・政令都市新潟市だが新潟県で一番面積の小さい月潟村で生まれた。父が月潟村村長を6期24年間させて頂いて私が3歳の時に初当選してずっと村長だったので父というより村長という存在。「学校の行事に来る」は「挨拶に来る」というイメージだった。政治家としては先輩、師で私は一生超えられないと思っている。行政執行部として役所の人にどう掛け合ったら聞いてもらえるか、逆にそちら側の立場だったので、そういう意味では良いアドバイスをもらっている。(私の)色々な活動というのもマスコミか新聞で知って、何かと「この発言は間違えている」とか連絡がくるので心配してみてくれている。親という気持ちもそうだし政治家の先輩として常に気になっているのではないかと思う。
高校までは新潟で、1996年、早稲田大学第一文学部に入学。3歳の頃から(父は)政治家だったのでその背中を見て育っていたので、いつかはという気持ちはずっとあったが、文学部だったのは、月潟村唯一の「角兵衛獅子」という美空ひばりさんの越後獅子の歌のモデルになった伝統芸能、古典芸能で3歳から舞台に立っていて早稲田の文学部では演劇に力を入れていたから。田中真紀子さんは商学部だったのでサークルとして演劇をやっていて、私は授業自体が古典芸能を学ぶ演劇専修だった。大学卒業後は(TBS系列)新潟放送に入り編成局配属になった。テレビCMというCMを割り付ける仕事をしていた。顎関節症(顎変形症ともいう)という顎の噛み合わせが悪くシッカリと噛み合わせる事ができなくて頭が痛くなったり肩が凝るとか眩暈がするとかを発症して、大学の時も少しあったが、仕事をして慣れない社会人として色々なプレッシャーなどあったと思うが、立っていられないなど仕事ができない状況になって手術をする、と。壮絶な手術で歯と歯の上顎と下顎を固定して口の中を切って顎を一度はずして良い噛み合わせにする。人工的に削るので骨折した状況にする。良い噛み合わせにしたらそれをまた固定しなくてはならないギブスのよう。膨れるし固定している間は口が開けられないので筆談だったり、歯の隙間から入る食べ物―ご飯をペースト状にすると障子の糊みたいになるが、それをダラダラ垂らしながら摂った。1年以上の療養生活になった。仕事は辞めた。それだけ治すのに時間がかかるので、集中して治すか10年かけて通院するかと言われたが20代前半のこの貴重な時を10年治療にあたるというのは私自身はどちらかを選択すると言ったら集中して1年チョッとで治したいという事で会社を辞めて治療に専念した。
2003年、25歳でミス日本関東代表。新潟は関東に組み入れられ、関東甲信越という事で許して頂こうかと思った。その前は着物の女王だった。手術が終わって母が応募していた。社会復帰ができないのではないか、手術をして病院にずうっと居て自宅で療養していて社会と断絶していたので何かキッカケを作ろうと思ったと思う。矯正している状況で大会に出たので、それは嫌だったが母が応募していたので「行きなさい」と言われた。
ミス日本の時に知り合いになった方の紹介で、韓国に渡って韓国語を話しながら仕事ができる人を探していた。顔もどちらかと言うと韓国系という事もあると思うが。拉致問題というのは新潟では特別な思いがあり人ごとではないので、まさに小泉元首相が訪朝されていた頃、韓国に行って言葉を勉強して覚えておけば後々拉致問題の解決の時に何かしら関わりができるのではないかと思い、言葉を午前中勉強して午後から仕事をしていた。レポーターやスポニチさんに韓国の暮らし―韓国の方々の文化とか生活事情とかをコラムに書いていた。韓国に行っていた時に「幸せ度数年表」が何故こんなに落ち込んでいるかというと、丁度小泉元首相が靖国に参拝をしたという事や竹島問題が非常にあちらでは盛り上がっていて、竹島は韓国で独島だが、そういう領土問題―それはずっとあるが、反日感情が特に強いかたが私のスポニチのコラムを誤訳も含めてネットに載せたら総攻撃を受け、ネット上で2万人の追放署名をされたり、一部のかたと思うが。韓国は今でもお付き合いをしているかたやお世話になったかたがいるが、そこではそういう事は無く、少し反日感情の強いかたが暴動とかネット上での言葉の暴力をするという一面もあり、待ち伏せされたりなど身の危険もあってもう少し仕事をしたかったが帰国せざるを得なかった。その時の経験は本当に辛かったと今でこそ思う。自分自身はそういうつもりではなく日本人の立場でコラムを書いているだけにも拘わらず意図しない方向にもっていかれるというのは韓国の教育と日本の教育、夫々の国民の違いをもう少し理解していれば良かったのかなという自分自身の反省も含め、帰国してからは、韓国の方々は今でもこういう教育を受けている現状もあるので韓国の方々の心情を理解して交流していかなくては表向きの交流だけではダメだという事を講演していた。
2007年、29歳で新潟市議当選。ゆくゆくはという思いがありタイミングを見計らって考えていた時に(韓国からの)帰国も大きなキッカケで、韓国の教育、日本の教育に大きな差があるという事で、政治の中で何とかしなければならないと思った。丁度講演活動をしていた中でタイミング良くと言っては何だが2007年に新潟市が政令市になり、その2年前に合併していたが、市町村合併すると大きな中に自治体が組み込まれ小さい所の声はなかなか届かなくなるという、いわゆる弊害が起こりうると予想できたが、やはりそういう状況になっていたので、父親が引退をすると表明をした時に「自分はここしかない」と
私が出て、父の村でやってきた事を大きな市にはなるが、住んでいる人の生活はそんなに変わらないので、遠くならないよう声を届ける代弁者として市議に立たせて欲しいと周りの方々に言ったが大ブーイングだった。殆ど皆が反対で、押し切って出た。結果的にトップ当選だったが3議席を10人で争っていた。現職が5人もいたがその方がスライドして入るだろうと皆が予想していた。10人いて1人だけ女性で20代という事もあって泡沫候補で(それなのに(佐野に)応援に来て頂いて申し訳ないです)直前まで地元の新聞では「何番ですか?」と二日前に聞いたら「8番くらい」と微妙な順位を言われて3位どころか半分にも入ってないのかと思ったが、蓋を開けたらお陰さまでトップ当選だった。
それから32歳で県議に当選。(市議の)任期を全うしていないというのが批判の対象で批判づくし。市議2年目の時に県議1人区で心筋梗塞で亡くなった方がいて、その時は違うかたが補欠選挙に出られその新しい県議の元で市議として活動していたが、翌年市議3年目の同じ6月に同じ心筋梗塞でその新県議が亡くなり2年続けて新潟市南区の県議にご不幸があって、それを受けて後継という事で自分が出た。県議をやっている時に地元の県連のかたから声がかかった、というのは自民党が野党だったからで自民党が与党だったら私が支部長、公認候補になる事はなかった。野党時代、このままでは日本がどうにかなってしまうから自民党を何とか立て直すという意味で自民党の新潟県連も公募で支部長を変えようというキッカケで県議の先輩である県連会長から「考えてくれないか」と話があったが、任期を全うしていない自分は「それだけは無理です」と実は言っていたが最後の最後に同じ様に新潟の為に働くのであれば市議、県議、国会議員も一緒だから「とにかくやれ」という事で後押しを頂いた。県議同士の同僚だからこそ難しい問題もあった。選挙戦はきつかった。対立候補も存じ上げているが、三期当選されていて四期目のチャレンジだったので地盤もしっかりされている事と年齢もそれ程変わらない女性同士で、地元でも強いので有名だった。さらに悪条件が重なり、元自民党県連会長をされ国会議員だったかたが維新の会で出られ、あと共産党さんもいらしたので民主党対自民党の一騎打ちではなく、そこに当時勢いのあった維新の会さんが出られた事で厳しく、構図としては苦しかった。新潟は6選挙区あり、最も取れなかった自民党がずうっと苦杯をなめてきたのが4区だった。4区を任せられたが出身の月潟村は2区だったが4区の方々が自民党党員をはじめ支持者の方々が本当によく助けてくださり最後の最後まで劣勢だと思うがあと一歩肩に届きそうで届かないという戦いだった。結果開けてみたら1万4千の差がついた。

●最近の政治トピックス

先ほども話したが、やはり拉致問題という事。あまりにも時間が経ち過ぎたが待ったなしだと思っている。拉致問題特別委員会に入っている。これを何としても一刻も早くという事で北朝鮮を相手にどうやっていくのかという事だが、北朝鮮側が動かざるを得ない、拉致問題について北朝鮮側も何かしなければという状況に追い込むしかもうないのではないか。対話と圧力というが、もうその段階ではないのではと思う。当時官房副長官だった安倍総理があの時の経験を活かして是非もう一度訪朝して頂き、何とか解決にもっていきたい。古屋担当大臣が新潟で拉致現場を一緒に歩いてくださったが、その活動は本気度の表れだと思っているので、政府あげて何としても解決に導いてほしいし導かなければいけないと思う。あとは福祉関係をずっと市議、県議の間も委員会がそういった分野だったので今、国民会議からあがってきた報告書を受けて、これから社会保障、制度改革というのが国民の皆さんの関心が高いのではないかと思う。その中でも医療制度、公的年金、介護保険と子育てが今回入ったというのは非常に意味があると思っているので、自分自身まだ子供を産んでいないし結婚もしていないが、同世代の子育て世代の皆さんに子育て、子供たちの政策といったら良いか、幼児教育等にもっと日を当てたいと思うので今回国民会議のその4本柱の中でも「子育て支援」「少子化対策」に関心を持って見ている。今回、国会が始まったら厚生労働委員なので自分自身も発言すべき事をしていきたいと思う。常につけているブルーリボンのバッジと(腕の)シリコンバンドは拉致問題のものだが、国会議員になってから「それ何ですか?」と知らない人がいた。新潟では市議会、県議会の皆さんがつけているが「そうかそこまで浸透していないのか、これだけ言われていても…」と思った。署名活動で個人的に関わって書いてくれる人はいるが、多くはそうではない方々も全国的にみたらいらっしゃるのかと。新潟だから人ごとではないと常に思って、拉致現場は実は祖母の家の近くで(子供の頃から)「ここでね、」とずっと聞かされてきた。そういう意識があるのは新潟だからかも知れないが、やはり国民全体で考えなくてはいけないという事と、これは主権の侵害であり人権の侵害であるという日本国民の事を皆で考えるという事は当たり前の事ではないかと思っているので、一方で皆さんに関心を高めて頂きたいと思う。(新潟内部だけではなく)国政でも(与野党とも一致している)と思うが積極的に行動に出るというところまでには到っていない。安倍総理は特別な思いを持ってやってくださっていると思う。当時、小泉首相と共に行ったという事はやはり大きいと思う。家族会の方々も安倍総理がそういう気持ちを持っているので信頼されていると聞いている。古屋担当大臣も自分が最後の大臣になるんだと、解決して終わらせたいと意気込んでいる。決して安倍総理は片時も忘れてないと思う。ただもう時間が無いので思いがあっても行動に移さなくてはいけない。申し訳ない気持ちが多い。(問題は)山積で、社会保障もそうだが全て横断的に、教育も含め日本は何かどこかタガが外れてしまった様な昨今だと思っている。これ一つ解決すればどうにかなるという事ではなく、あまりにも色々な事が多く問題が山積しているので、その意味で総理もやる事がいっぱいあるので決して手を抜いている訳ではないが色々な事をやらなければいけないというのが今の日本の現状かと思う。少なくとも永田町、国会議員の中でこの拉致問題に積極的に動かない人はいない様に私はしなければいけないと思うし、いけないと信じている。北朝鮮には私は具体的なルートはないが国としてしっかり行動を起こす事だと思う。国政に来て関われるが、地方議員では実際にそこに入るという事はない。そういう意味では韓国も北朝鮮もそうだがロシアのエネルギー関係でも新潟は窓口でそういう立地にあるのでこれから東アジアの方は新潟を一つの窓口としてという事であれば関わらせて頂けるのではないかと秘かに期待している。

●今だから言えるあの日のあの出来事
韓国の事。スポニチのコラムに書いた内容はあくまで一日本の女性が見たそのままを書いたつもりでいる。それは韓国の方を批判するつもりでは決して無かったが、その時にあるアメリカ人のかたに言われたのが「(スポニチの)コラムを書かなければ何ていう事はなかった」と言われその時はどういう意味か分からなかったが、つまり「日本人が書いたコラムだから」という事で、韓国のチョッとした面白い話、街中に転がっている「クスッ」と笑ってしまう様なエピソードを書いてみたものの、誤訳をされるのもそうだが、何故誤訳されるのかというと、日本人が韓国に対してバカにしたと韓国の方々が受け止めてしまう。日本、韓国、北朝鮮、中国の関係性が韓国のかたにとっては「親は中国であり、兄弟(同胞)は北朝鮮であり、日本は弟だ」という意識をもっていらっしゃる。韓国は儒教の国なので「目上の人を敬わなくてはならない、決して目上の人に悪い事を言ってはいけない」という事でみると、日本と韓国の関係性が韓国の人にしてみると弟の(下である)日本が韓国を面白おかしく言う事は許されないという風になってしまったという事でそちらの方向にもっていかれてしまった。「今だから言えるあの日の~」は、決して私自身はそんなつもりはなく、あくまで日本人かも知れないが一外国人として私が感じたその時の韓国の街並みだったり国民の考え方というものを書いたつもりだという事。2004年から2005年にかけての事。日本で韓国ブームが段々その後上がってきたが、近くて遠い国といわれた韓国が本当に近くなってきたと言われたのが2005年の日韓友好年の時期だったが、日本では日韓友好年だったが海を渡った韓国は友好年という事は表向きはあったかも知れないがやはり根底には韓国のかたの日本に対する深い思いというのが決して変わらない。今も変わらないと思う。「ミス日本」が実は関わっていて「日本」という言葉が、私の肩書がネット上に出た。何故「ミス日本」「ミス日本」かと思ったら、「ミスコリア」は韓国ではすごく権威があり、韓国の代表の様な事だそうで、そうすると「ミス日本」は日本女性の代表がこう言っている、と思われてしまう。辛い思いをしたが、一面であって決して韓国での人と人との付き合いではもしかしたら日本人が忘れかけている様な、家族をとても大切にする国なので家族愛とか、人を大切にする思いやりなどはあると思う。側面では教育が大きく関わって韓国国民の皆さんの今持っている感情に反映していると思う。実は今朝のラジオでも話したが、つい最近(韓国に)行ったかたで、10年前位も韓国に行ったかたが、私がある処で講演をした時に後から来られて「金子さんが行っていた約10年前の韓国よりも今の方がより関係は深刻で悪化した」と。それ(領土問題など)をまた今の政府、大統領も利用するところもあると思うが、それが国家間であるのは仕方ないが民間レベルがそれだけ深刻になっているのは非常に憂しき事態。やはりこれは国家が何とか動かなくてはいけないと思った。(関係が)良くないみたい。旅行している分にはそんなに感じないかも知れないが、どうか。一番辛い時に助けてくださった韓国のかたとは今も連絡をとっているし、そのかたが日本に来られる時は観光先を案内しているのでそういう個々の繋がりはまだあるので決してそういう悪い事ばかりではなかった。あの時の訪韓もそうだし今もそう。良くも悪くも韓国で行われている教育を受けて、例えば領土の問題や国に対する思いを篤く強く持っているのが韓国人であったとしたら、翻って日本は今の教育で良いのかと私は思っている。教育の中でまず、竹島もそうだが竹島さえ教えていない教育の現場で良いのかと。自分の国の領土、国土を守るという事が歴史を分からないと自分のルーツが分からない、自分のルーツを辿って来るとそこに愛着が芽生えると思うがルーツを知らないからこそ今の若い人たちが日本という国に生まれて良かった、日本というのは世界の中でも本当に誇れる国だという事を公言できないと思うので、教育の中身を変えなくてはと思う。今の日本人が色々な問題があると言っても教育を建て直して、それは将来、中長期的に見る事であって今それがどうなるかという事では勿論ないが「今変えなくてはならない、今、今」と言ってきたのが政治の問題だと思うが今こそ本当に日本人を、日本の文化、歴史、伝統をしっかり重んじられる日本人を作るのは教育を変えなくてはいけないと思っている。

●質問コーナー

Q:新潟の用地買収について。
A:丁度県議の時、万代小学校という小学校跡地というのもあって、それから自民党県連の裏の土地が話にあがったが、実はこちらに伺う直前にその事で新潟から電話があり、どういう考えかという問い合わせだったが、私は反対をして県議の時に県議のかたに「自分たちの日本の国土を守るという事で政治家が大きな責任を果たしていかなくてはいけないのでは」と言ったが、その時は民有地がどうとか、口を出すと営業妨害がどうとかよく分からない話になったが、国土売却を規制するという法整備、条例というのは国としてもっと厳しくするべきではないかと思っているので、現状を私もリサーチしなくてはと思っているが、話があがってないので進捗もしていないのか、または水面下で動いているのか注視しなくてはならないと思った。
Q:日本人が名義貸しをしてお金は中国からという水源の買収をどう食い止めるか。
A:奪われたくないのは水。ここを狙ってきていると思う。山もそう。段々と日本地図の
中で中国の土地になってきているのが増えている。ここ数年狙われているというのは聞いているので領土だけでなく、まさに国土も当然守るのは政治だと思うのでしっかりとそこに関わっていきたいと思う。
Q:従軍慰安婦などの歴史問題などで韓国のロビイストたちが海外で活動している事に対し政府自民党ではどういう声があがっているか。
A:私はまさに同じ事をなんで動かないのか日本は、と思っていて、例えばアメリカや諸外国に対してロビー活動が韓国中国は長けていると言ったら良いか、それは国策でやっている事なので、日本も日本の立場でしっかり戦略を練って韓国あるいは中国が主張する事に対して「そうではない」という事を諸外国に発信しなくてはいけないが、それが無い。弱いと私も思っている。では自民党ではどういう話があるのかと言うと私自身が入っていないだけかも知れないが、そういう話があるとは情報を得ていない。もう少し私自身外交部会などに行って確認したいと思うが、ロビー活動で段々事実化されているというのが残念だと言うか、前までそうではなかったアメリカの方々が完全に中国に目を向けているとか韓国の言っている事をそのまま飲み込んでいるというか、そういう時は毅然と日本の主張をして「そうではない、日本はこうだ」というのを発信しなくてはいけないと思っている。
Q:どうして志帥会なんですか?武闘派と呼ばれている。
A:武闘派なんですか(笑)?今は二階さんが会長で(この間はお寺で合宿して)大変良いお勤めをさせて頂いた。高野山で。
何故かというと河村建夫先生に市議会議員の時から目をかけてくださったと言うかたまたま新潟選出の参議院議員の中原八一さんの出陣式で当時市議の私が神社の処で司会をしていて「うるさい女は誰だ」ときっと思って、そこでずっとそういうご縁があり先生のところにお世話になる事にした。国土強靭化を中心にしているのが我が志帥会だと自負している。市議会議員の時、震災とか水害とか新潟県は自然災害の多発県で、今日も地震竜巻もあり、何が起きるか分からない昨今の中で、自然災害は仕方が無いが、その時にできる限りの災害の被害の大きさを食い止める減災対策というのはやはり政治がするべきだし、命を守るのは一番の仕事、使命だと思うのでその為には国土強靭化という政策は何としても進めていかなくてはいけないと思っているので二階派では一生懸命頑張ってみたいと思う。これだけ自然災害が重なって毎年毎年考えられない様な事態が起きているが、それにしっかり、100%でなくても
少しでも対応して対策を打たなくてはいけないと思うので、これは大きな政治の使命。

●その他
メイクをしたまま寝るのが一番悪いと言われているのに、どうしてあそこでもうひと頑張りできないのかと。朝気づく。朝4時位に「あ、またやっちゃった」と思いもう時すでに遅しでそこで洗っている。母に「メイク落とす事だけはしなさい」と言われる。疲れてしまいもうひと踏ん張りできない。洗えばいいのでしょうが、どこかで新潟県人は肌が強いと勝手な思い込みがある。姉二人いるが姉二人もそんな感じ。普通毎日メイクを落とさないで寝ていたらブツブツできると言われるが姉二人も大丈夫なので新潟県人は大丈夫だという間違った情報ですかねこれは(笑)。
(結婚は)したいがどうか。先ほど少子化対策を言ってしまった以上はやはり身をもって少子化対策しなくてはダメですね。地元でも最近7割位が(結婚)した方が良いと言っている。最初の頃は「政治だけやりなさい」と言っていたが、7割位の人が「次の選挙までに何かしら…」と。やはり子供が欲しい、結婚というよりは。女性として生まれた以上。
(番組出演して)楽しかった。中川先生からお話があった時に「私にもやっときた(笑)」、
(佐野に)本当にお世話になったので、こういう形で再会できてお礼もやっとできて、本当に有難うございました。(ミス日本事務局の)和田先生にも衆議院議員に当選してからメールだったか頂いてこの前お会いした。自民党という訳ではないがミス日本から政治家を、とういうお話は色々な処から聞く。ミス日本出身者で女性議員を増やそうという事なのでしょうか。ミス日本は心美人なので。