門 博文
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第88回
2013年09月11日 放送

自民党 門 博文 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 (和歌山1区)比例近畿ブロック 1期目

88回目で縁起がいい。
1965年(昭和40年)オリンピックが終わった後の年に生まれた。初めてこの目で7年後まで待っていたら見られる。アベノミクスというのがちまたで言われているが、起爆剤というかもう一つ何かピリッとスパイスが振られたみたいな感じなのが東京オリンピックの決定だと思う。巡りが良くなってきている証拠だと思う。もうすぐ(安倍さんの)神社ができるみたい?(笑)(汚染水問題は)開催地として決まったから、これからきちんと余計に世界の注目が集まるところなので遅まきながらと言われているが、東電ではなく
国が直接責任を持ってやるという事を今きちんと明確にしていっているので国民の皆さんに不安を与えるのではなくて安心を与えられる様に政治の方も正面から取り組んでいかないといけないと思う。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第88回門博文

1965年8月18日(←八十八で米の日)、和歌山県生まれ。生まれ育った所と立候補した所と区は違う。その時は浮き沈みを感じていたと思うが今から振り返ってみたら、人生、まあ良かったと。父は和歌山県議会の議員をしている。自分が小学校4年生の時に(そういう家系ではなかったが)突如議員に立候補して当選させて頂いて、それが昭和50年だったのでかれこれ40年近く県議をやっている。そういう家庭にいたので、そういうのが嫌で嫌で仕方なかった。父は落選経験が無かったがそんな中で育っていた。(父の後を継ぐ)という話は田舎なので無きにしも非ずだった。正直言って一つの家の中で地域の事を決めるのはおかしいと思っていたので継ぐ継がないという事には全く興味を無くしていた。
和歌山大学を出て松下興産に入社。松下幸之助さんは和歌山生まれで、子供の頃から「和歌山の出身で偉くなった人は誰か」と言ったら松下幸之助さんで、何となく憧れもあった。その会社が、自分はホテルや観光事業をやっていたが、そういう分野に進出し始めた頃で、そういう遊びやレジャーを自分の仕事にしていきたいと思った。和歌山もバブルで、関西国際空港を作ると言っていた頃で押せ押せの時。↘この会社が投資した金額が大きかったり借り入れ金が大きくなってきて色々な条件が重なって自分たちが中堅より少し上の管理職になっていた頃に事業を整理しなくてはいけないという事で、一生懸命仕事をしていた会社が不幸な事になって債権者の皆さんにお詫びに行ったり怒られたりという経験をして、「↘」の様に書いたがこれも今から考えたら辛い思い出は後から美化される。ご迷惑をかけた人たちには申し訳ないが、強いて言えばこういう事だが良い経験。ゴルフ会員券が返せないという様な事でお詫びをしたが、本当に良い経験。事業が整理されていくが前の会社の旧観光事業がやっていたホテルとかゴルフとかの部門が切り出されて新しい会社になって新しいスポンサーで再生していこうという時に(松下さんの資本とは関係なくなって)たまたま残っていた社員の中で誰か新しい社長にという事で就任させて頂いた(2006年40歳)。これも良い経験をさせて頂いた。業種は一緒。この辺りで言うと
埼玉の浦和に大きなホテルを持っていたり神戸にゴルフ場もあったりする。埼玉の浦和
ロイヤルパインズはベッカムの嫁が泊まったり、埼玉スタジアムで試合があるのでサッカーのナショナルチームによくご利用頂いている。他は有名な人が泊まっていたというのは守秘義務があるので言えないが、ナショナルチームが泊まっていたというのは胸を張って言える。社長を丁度5年やっていた。会社は今も大丈夫。サラリーマンで社長をさせてもらっていたので5年で辞めた。45歳位で会社を辞めて選挙に挑戦しようかという事になって、公募を和歌山でもやるという事になって、公募で選定されるまでは会社を辞めなくても良いと言われたがめでたく選定され会社を辞めた。何故政治に?というのもあるが40歳でサラリーマンの社長を5年間させてもらったので、この先人生を考えたらこのままいく筈はないと思って、サラリーマンなのでオーナーではないので次に何か新しい転換をしなくてはならないと思っていた時にたまたま政治という一つの選択肢があった。自民党がまだあまり良くなかった頃、公募は十数名の中から選ばれた。面接したのは和歌山選出の国会議員など。父に言ったら「やめておけ」と言われるので内緒で受けた。そういう意味では無謀な事をした。世耕内閣官房副長官も面接をした一人。(世耕さんと民主党林久美子さんのご結婚)おめでとうございます。恋愛の延長線上の結婚なのでお幸せになって頂きたい。↗2012年衆議院選挙で当選(民主党のかたに300票差。比例復活)。自民党にとっては追い風の選挙ではあったが、自分が生まれ育った場所ではないので小中高校の同級生が一人もいないところなのでこちらにハンディキャップがあった。選挙期間は1年半位あった。皆さんのお陰で300票位のところまで肉薄できた。(相手の民主党岸本周平衆議院議員もNHKの飯田香織アナウンサーと結婚していた)和歌山は寿ブーム。人生70歳、80歳までいくのでやはり連れ合いというのがいないとこれから季節も寒くなってきたので人肌の温かみを感じて寝る時も必要なのではと思うと連れ合い、パートナーがいた方が良いと思う。これでまた人口が一人でも増えたら。
名刺のデザインは、建物の内装などをやっている先輩のかたが缶ビール2本飲んでいる間にできた。議員会館は2階。自分は二階派に所属させて頂いているが、初当選した時に色々希望を聞いて頂いて議員会館は何階位が良いかなど質問があり「何階が良いか」と先輩のある議員に聞いたら「そんなの決まっているだろ、第二の二と書いておけ」と言われた(笑)。(二階派なのは)随分昔からお世話になっていて結婚する時も仲人して頂いたり学生の頃ずっと父の同僚議員だった頃から。(二階先生)仏頂面ですか?そんな事はない(笑)優しい。派閥も和気あいあいとしている。派閥で高野山に修行に行って昨日まで沖縄に三日間。高野山は誰とはなしに世界遺産でもあるし、うちの派閥は北海道とか東日本のかたも結構いらっしゃって、高野山は聞いた事はあるが行った事は無いというのが殆どだったので、この機会に和歌山の議員もいるから行きましょうという事になった。新入生と呼ばれる119人の中にいるが、新入社員が119名入社して来たら会社の新人社員研修はだいたい5班か6班に分ける。119人十把一からげで教育なんかできる筈はないと思っていて派閥は任意なものになっているがA,B,C,D組というのがあってソフトボール大会やら弁論大会をやってお互い切磋琢磨して成長していくのが組織の理想だと思っている。昔の派閥の、悪い事を言われているドロドロしている事は何なのかよく分からないが自分たちは快適にさせて頂いている。派閥は、良くない事良くない面もあったのだと思う。

●最近の政治トピックス

やはり先ほどのオリンピック。当日の朝たまたま4時過ぎに目が覚めてテレビにかじりついていた。政治トピックスというか日本の全体的な今のトピックス。東京という場所で開催と決まったが首都なので日本中心でやる訳だがよく誘致活動の時にオールジャパンでと言われていたが、やはり開催そのものも開催する事によって得られる経済的効果もオールジャパンで享受出来る様にしたいと思うし、誰が考えてもオリンピックは年がら年中やるわけではないし7月だったら7月の一時期、2週間とかその位の期間やるわけだからそこへアプローチする7年の間で日本の経済がオリンピックというキーワードでどうなっていくのか、オリンピックで出来上がったインフラとかそういう経済が盛り上がった事をオリンピックが終わった後、5年ないし10年継続していけるように今度は政治が仕向けていける様に、政策として。例えば外国人の訪日観光客を増やそうという事が一つの政治政策のテーマになっているし、自分も観光の仕事をやってきたからその事について協議もするし携わりたいと思っている。やはりオリンピックというキーワードで開催している当時はそうだが以前にも「あのオリンピックのある日本に行こう」等そういう意味でうまくキーワードとかオリンピックのイベンシャルを使って外国人の旅行客をより多く日本に入れていきたい。今年悲願の1千万人が達成されると言っているが、その次には2千万人3千万人と言っているからそういうプロモーションもやっていかなくてはならない。もう一つは高速道路や新幹線とか色々なインフラを整備していこうと言うのだが、今までは日本人のために整備する事が主だがこれからは外国からの旅行者が来てくれて交流が始まるので新幹線作るにしても「田舎のこんな所に新幹線引いても誰も乗らない」と言うのではなく日本へ来た外国人を乗せて観光資源を掘り起こしていくのも含めてそういうインフラ整備もオリンピックに合わせてやっていきたい、やっていくべきだと思う。お金は色々な話になると思うが、財政的に大きな赤字を抱えているという事は否めない事だが、乱暴な言い方だが千兆円の借金=債務があると言われるが、色々な事を節約していって「果たして返せますか?」という事に対して誰も答えをしていなくて、もっと経済を回していったりとか大きなダイナミズムの中でその借金を返していかなくてはいけないので今は何か縮こまって蛍光灯3つ消したら千兆円借金返せるとか公務員の数をこれだけ削減したら、やらないより削減はやった方が良いが、それで千兆円返せるかというところになると全然議論がそちらの方にいかない。だからそういう経済の動きを作った上でその債務の残高も減らしていくし新しい投資をしていく財源を作っていかなくてはいけない。その為には海外からのお客さんが来たら海外からお金を運んできてくれるから、ひと昔ふた昔前に日本が外貨獲得と言った事をもう一回今更ながら大きな声で大きな文字で国の政策の一つにしていかなくてはいけないと思う。和歌山県も関西国際空港があり、これは日本で唯一の24時間の空港で夜中も飛ぶ。そんなインフラができてもう丸19年が経って20年目に入ろうとしているが、19年前にはアジアの国もそんなにここまで経済的に豊かになっていなかったと思うが、19年、20年経って今はアジアが経済的に各国勃興してきているから、その人たちのパワーというのをお金だけではなく引力という意味でもドンドン来てもらって活性化する。その一つの拠点が関西国際空港だとすれば和歌山もものすごく可能性がある地域になる、高野山もあるし。これからはビジネスもそうだが観光で来られる外国人に経済的効果を我々がサービス、物を提供してメリットをこちらに受け入れさせてもらう。東京はそういう意味では随分と外国のかたとの交流というのはあるがまだまだ地方では広がっていない。日本人は言葉の問題は―自分も偉そうな事は言えない―英語が喋れる訳ではないが、皆不器用だが、日本人のマインドは「オモテナシ」ではないが、作法はあまり分からなかったり言葉遣いはあまり丁寧ではなかったりしてもお客さんをもてなそうとかお客さんに喜んでもらおうという気持ちはどこの国に比べても負けない位ハイレベルなものを持っていると思うのであとは表現の仕方だけだと思う。自分は昭和40年生まれで、初めて見るオリンピックは7年後と言ったが、昭和40年生まれから平成25年生まれまでは当たり前だがオリンピックを知らない世代がいて、グラフにあった様にバブルが終わりかけ位に学生から社会人になった様な年なので勝ったとか景気が良かったのを体験していない世代がゴッソリそこにいて、その人たちにとっての初めてのオリンピックだからそれは元気になる材料に是非するべきだと思う。

●今だから言えるあの日のあの出来事

この番組のタイトル「会いに行ける~」の、今でもそれは思っているが、仕事を会社でやっていた時もよく会社の人たちに言ったが、誰かに会いたいと思う事はとても大事な事で誰かに会いたいというモチベーションを仕事に転換していこうと。自分も人生の中で会いたい人がいて、それは中学校の時に松山千春さんに会いたいと思っていた。会う為に何をするかという事を中学生ながらに考える訳だが、手紙を書いてみるとか、コンサートに来た時に楽屋の前で待っているとか、チョッとコネを使って楽屋に入れてもらう方法はないか等、それが仕事でのプロモーションに通じる事でそれをモチベーションに持っているとどんな事でもやっていける、と。それで松山千春と会えたし選挙も応援に来てくれた。「念じれば叶う」ではなく念じて動かなければ叶わない。実際に手紙を書いたりした。会いたいと思う気持ちを色々な工夫をして実行して実現できたという感動があり、そういう事は成功体験でコピーしていったら他の事もわりとうまく行く事があった。1個だけではなく、ファンレターを書いて、誰か知り合いはいないか探してみるとか…それだけ会いたかった。醜いアヒルの子みたいに初めて見たものが親鳥に思えたという中学生の時の事。そういう事を自分が一緒に仕事をしてきた仲間にも言ってきて、皆夫々が成功した時もあるし、失敗というか結果的に巡り会えなかったとしてもそこまで行ったプロセスの中に色々な経験とか満足がある。毎年自分も年が変わると「今年会いたい10人」を書く。今年はまだ叶えてないから言わない。今日はその一人に会えた(笑)。大した事ないと言ったら怒られる、何とかしたいという欲求にトライしていく。Want(したい)と思う事、小さな事でもいいと思うが、見つけて解決、見つけて実現していくという繰り返しをやっていると日本全体もオリンピックもそうだが、「オリンピックを誘致したい」とまず思ってやって今回は成功した。(会いたい人リスト)毎年5割位実現して、持ち越しする人もいるし転換する人もいる。永田町にはあまりいなかった。

●質問コーナー

Q:日本が観光立国になるためにオリンピック以外にも色々な政策が必要かと思うが何かアイデアはあるか。
A:それはあちこちで申し上げるが「一人称で観光を考えてください」と皆さんにお願いしている。観光観光と言って今だにホテルで働いている人とか旅館、鉄道、タクシーとかの人たちだけで私たちには関係ない、と言うのがまだ残念ながら現実だと思う。「皆さんの仕事を一人称で観光で考えてください」とあちこちでお願いしていて、例えば農家の人に「観光を考えてください」と言うとどうにか色々なアイデアは出て来るがそういうのを全部の産業で一人称で、鉄工所でも製鉄所でも良いから、この間は
自衛隊の基地にまで行ってそんな事を言ったが、どんな産業でもどんな商売でも観光というフレーズで一回ものを考えてもらうと必ず答えは一つか二つ出て来て、全国で集積したらすごい産業になると思う。結果的に観光産業かどうかは別。工場の中で観光部門の売り上げが上がるとか、これが大事で外国人訪日観光客の事を言えば、今観光庁のかたにもお願いしているが、新聞社に頼んでください、と。新聞の一面のところに天気予報が出ているがそこに一行(新聞社にボランティアで一行スペースを提供してもらって)昨日日本に外国人は何人入国したかというインジケーターを書いてくれと。そうでないと日本人は外国人が毎日何人来ているかというイマジネーションすら無い。NHKのニュースで日経平均と円、為替をやっている時にインジケーターとして今日、昨日は外国人が何人これだけ入ってくれた、と昨日との比較を出す。いよいよ日本も外国人を受け入れていくというフェイズに変わってきていると分かると思う。そんな事をやって総観光産業に転換していけたらと思う。中国、韓国の事でも反日、抗日感情が強い国であればある程余計に来てもらって自分たちがイマジネーションしていた日本と、来てみた日本は全然違って思っていたより随分良かったという印象をこの国は必ず与えられる筈だから出来るだけ沢山の人に来てもらって「こっちで思っていたより全然良かった」と来た人が戻って日本の良さを伝えてもらうと段々良い環境に戻していけると思うしそれをやらない限りは反感だけ持っていてお互い交流しないとその感情は本を読んだりしても解けない。会って握手しておかないと喧嘩もできない。知らない人とどうやって喧嘩をするのか。

Q: 7年後に向けて一人ひとりが取り組むと良いという事は?
A: 今日書いた年表ではないが、歌のタイトルではないが、未来予想図を書いてもらって、その時自分がいくつであって、7年しかないからピッチはかけると思うのでそういうところに自分の映像をトレースして考えると、「語学をやらなきゃいけない」とか「自分はその会社に入ってそういうビジネスをしていそうだから遡るとその会社に入る為にこうしたいとか、その会社に入った前提で言ったらこういう所へ行こうと思う」という設計図、未来予想図を書くとこちらからお仕着せで言われるよりは何か答えは見つけられると思う。皆さんの方が自分たちが育って来た頃より情報はいくつもあるから、その膝の上のパソコンは我々の年代では持っていなかったし携帯電話も無かった。ただ知識と知恵は違うから知識から知恵にどう転換していくかという事だけ気にしていると成功する可能性はドンドン上がっていくと思う。

Q: 7年後は落ちる事はない様に国や自民党として考えている事はあるか。
A: 7年という物差しの向こう側はまだ定義されていないと思うが、今言われたのはとても大事な事で、戦争が終わって68年経っているが戦争が終わった頃の事は我々も知らないが、多分辛かったし貧しかったしお腹も減っていたり色々なバネがそこに働いて我々の祖父母、父母たちがガムシャラにやってくれて高度経済成長にきて68年経って日本はまだその惰性の中にしか来ていないと思う。今度我々の世代も皆さんの世代もそうだが30年後どうやって日本がアジアで、世界でサバイブしていく作戦があるかというと、ありそうで無い。安倍政権が安定政権と言われるのであれば党派を超えて我々の世代で30年後、50年後の日本で「こうなっている」というのを国際戦略みたいなものを作っていかなければいけないと思う。残念ながら7年後のポストオリンピックの第一次日本国際戦略、第一次段階などをやって資源が無い人口が減っている国だから余程国として経済政策を考えていかないとサバイブしていけないと思う。(サービス業なども)まだまだやっていけると思う。

●その他

本当に色々な人がいる。今までの自民党は多分世襲の人ばかりとか霞が関の官僚あがりとか政治家秘書をやっていたかたとか、わりと出処が硬直していたかも知れないが、今回この119人は随分バリエーションがある、年齢も含めて。