阪口 直人
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第56回
2012年11月21日 放送

日本維新の会 阪口 直人 衆議院議員

(動画より文字おこし)

日本維新の会(近畿ブロック)1期目  (2012年11月21日収録時点)

[昨日はヤフーニュースを賑わせたみたいですよね]―みたいですね。[昨日民主党を離党されて…]―(今月)19日に離党して、正式には今日の午後に(日本維新の会の)公認を頂きました。[おめでとうございます。石原さんの新党ということですよね]―そうですね、橋下さん、石原さん、ですね。[上がちゃんとしていると、いい会社に入ったな、って感じ?]―これからいい会社にしていく、という感じですね。小さな政党ですから、私も重要な役割を担っていかなければいけないと思っています。[公認とるの大変だった?]―大変でした。審査自体が厳しいかどうかはともかく、私も民主党に10年以上お世話になって、民主党には大変恩義を感じているし、民主党だから国会議員候補になって議員にもなれた、と。私は海外の紛争地域でずっとボランティア活動をしていた、という経歴ですから、地盤も看板もない中で、公募に受かって国会議員になったので。私としては民主党で全うしたい、という思いはものすごく強くあったので、その葛藤が一番厳しかった。[なぜ、日本維新の会に?]―政策ベースで決めました。維新に行って、国と地方の統治の仕組み、これを変えたい。これを変えないと日本は沈んでいってしまう、という思いを、民主党議員として3年間永田町にいる中で、強く感じました。新しい政治をする、ということで民主党も頑張ったんです。例えば無駄遣いをなくしていく、予算の分配を、一言で言えば「コンクリートから人へ」ということで頑張りました。ただ、もう統治の有り方自体を変えないといけない、制度を変えないといけない。そうしないと、いくら頑張っても少子高齢化、国の借金がたくさんある中でやっていけないんじゃないか、そういう思いで。[増税の時に離党はしなかった]―あの時は留まりました。政治家は誰も税金を上げたいと思う人なんていないと思います。ただ私は、やはり未来のことを考えたら必要だろう、という思いで、消費税増税には苦渋の賛成をしました。[きっと風当たりは強かったんでしょうね]―強かったですね、今はもっと強いですけど。[日本維新の会に入ってから地元入りはまだ?]―いえ、当日の夜に記者会見を和歌山でしましたし、その後できる限りお世話になった方々の所に挨拶に行ったり。賛否両論、「良かったよ」と言って下さる方もいますが、民主党ということでお世話になっていた方々もたくさんいるので、「どういう事だ」とお叱りもたくさん…。

●幸せ度数年表

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阪口直人

[“前”衆議院議員に出て頂いたの初めて。必ずバッジを着けている人でしたから]―そうでしょうね。どんな時でも、オンリーワンというのは嬉しいですね(笑)。[1963年生まれ]―今、49歳です。[生まれは大阪。どんな所?]―生まれは豊中市。大阪の中ではかなり山の手のほうではないかと。[大阪弁出ないですね]―大阪弁というか、私、和歌山ですから和歌山弁を普段地元では使っています。ただ標準語のほうが舌の回転が、これでも少し早いんです(笑)。[和歌山弁のほうがゆっくり?]―ゆっくりになりますね。有権者のおじいちゃん、おばあちゃんと話をしますから。そのペースで喋る癖がついている。なので標準語のほうが限られた時間の中でたくさん話せるかな、と。[早稲田大学入学。大学時代はどんな生活を?]―あまり勉強はせず、空手をやっていて。あとは読書。勉強はしないんだけど、本は好きで。[キャノンに入社]―いわゆる海外営業をやっていました。主に中国での輸出です。キャノンのコピー機を国内でわざわざバラバラにして、それを中国で組み立てる。[なんでそんなことを?]―情報機器ですから、中国政府にとってあまりたくさん入ってくるのは都合が良くない。一回バラバラにして組み立てると、現地で雇用が生まれるのでメリットはある、と。[壊して作る?]―バラバラにすると言っても、破壊して、というわけではなくて(笑)。いくつかのパーツに分けて、それを現地で組み立てる、という事ですから。[不思議なことをやっているんですね]―少しでも関税を安くするためです。中国は将来の10億以上の市場ということもあるので、そこは商売を度外視して、中国市場に対する足がかりをつくる、そういう役割でした。[サラリーマンは何年?]―5年弱ですね。私は人の役に立ちたいな、という思いをずっと持っていました。特に紛争や貧困で苦しんでいる方々の力になれないものかと。29歳の時に、カンボジアで、国連が史上初めて一国の代わりとして行政や統治を行う、国連カンボジア暫定統治機構というものを展開していたんですが、これに行きたい、と思って会社を辞めて。当時のカンボジアは今のイラクやアフガニスタンのような状況でしたが、国連のボランティアとしてカンボジアの奥地で平和構築活動を行っていました。[国連からいくらかのお金は出るんですか?]―確か700ドルくらいは頂いていたと。当時のレートで10万円いかなかったくらいです。私がいた所は山岳少数民族の村で、電気も水道もなく、現地の方々の家に同居して活動していたので、そんなにお金はかからないんです。[そこで何をするんですか?]―アンタック(国連カンボジア暫定統治機構)の最終的な目的は、選挙をしてカンボジアの憲法を作って、議会を機能させることだったので。大事なプロセスとしての選挙を実施するための現地の責任者でした。[どれくらいカンボジアに住んでた?]―その時は1年。その後モザンビークやボスニアの紛争地域で同じような活動をずっとしていたし、またカンボジアに戻って活動もしました。カンボジアではたくさんの援助関係者の方が仕事をしていましたが、とりあえずアンタックは、1991年の10月から1993年の…10月だったかな、準備期間もあるのでトータルで2年くらいだったと思いますが、展開が終わったらいったん解散をするんです。そして次はまた充分じゃない所を国連やNGOが支える、と。そういった活動に、またそのまま参加して。30代の大半をそういった紛争地域で過ごしました。[ご結婚は?]―その時はしていなくて、国会議員になってからです。[名古屋大学(大学院)に入られた]―博士課程に入って、自分が現場で活動してきたことを理論化したいな、と。博士論文を書いて、大学の先生になって行動する学者を目指そうと思っていたんですが、そこでまさに行動する学者から国会議員になった首藤信彦衆議院議員に出会ってしまって。[何と首藤さんの秘書をやられていた]―私よりもずっと専門性の高い方ですが、同じような活動をしていて、そこから国会議員になった方が「ぜひ秘書になってくれ」と。試験を受けて合格したので、3年間首藤先生の政策秘書をしながら、首藤先生が設立した平和構築NGOの事務局長として。ですから、国会の秘書としての活動とNGOの活動と、ついでに言うと博士論文も書いていたので3足のわらじを履きながら活動していました。[選挙に2回出られて落選。2003年と2005年の選挙]―正確に言うと3回でして。2003年、2005年は神奈川区17区で衆議院選挙、2007年は和歌山選挙区で参議院選挙に立候補して。[苦労されているんですね(笑)]―今のところ、1勝3敗と(笑)。自分の選択ですから苦労とは思っていませんけども…。私は地盤があるわけではない、特に有名なわけでもないしお金があるわけでもないので、そういう人間が国会議員になろうと思ったら本当に草の根活動をしなければいけないし。あまり自分にとって当選しやすい選挙区なんて与えられないですしね。[阪口さんから見ると、安倍晋三さんなんて同じ人間とは思えないでしょ。血筋がいいし好きなことを言える]―まあ私も好きなことは言っていると思いますが(笑)。もともと選挙を考えた時に、立候補すれば通るような立場の方と、私などはもう本当に色んな知恵と身体と情熱でやっていかないと国会議員を続けることはできないので、そこは全然違うと思いますね。

●最近の政治トピックス

[選挙戦に入っていますが、やはり上がしっかりしているから戦いやすい?]―例えば橋下代表代行のメッセージなどは非常にわかりやすい、非常に明快、人の心を掴む言葉の力を持っていると思います。橋下さんの言葉はストンとくる…「そうだそうだ」と思わず言いたくなるようなものを持っている。これは私が民主党にいた時から感じていました。[阪口さんの本家本元は首藤さん。やはり残念がったのでは?]―首藤先生にも報告して意見も色々聞きましたが、「まあ頑張れ」ということでした。色んな「頑張れ」以外の激励も下さいましたが、要約すると「頑張れ」と(笑)。政治力というのは色々あると思うんですね。例えば血筋も政治力のひとつの基盤かもしれない、お金もそうかもしれない。ただ、やはり我々はいかに現場(有権者)の声をしっかりと受け止めて政策にしていくか、市政に反映させていくか、そこが全てだと思います。[入党直後ですが、日本維新の会と民主党の違いは?]―まだ充分に比較する材料は持っていませんが、民主党は改革をする政党だということでスタートして、実際に我々は改革を訴えて有権者の方々から国会に送って頂いた。実際、改革をやろうという思いで取り組んできたと思います。ただ、最初に言いましたが、やはり政策じゃなくて制度自体を変えないと…。[制度って、何の制度ですか?]―一言で言うと、国と地方の枠組み。[政策を語る前の話]―乱暴に言うとそういうことになるかもしれません。[それは、維新の会が大きくなって国民が味方につかないと成し得ない改革]―そうですね。例えば消費税を地方税化する、これなどは政策というよりは国の仕組みを変えることにつながる改革だと思います。今47都道府県ありますが、和歌山県のような所はなかなか単独では勝負するのが厳しいと思うんです。ところが関西のある程度広域のブロックの中で、和歌山らしさをしっかりと保ちながら勝負をする…わかりやすい例として、中国が経済的に発展しているひとつの大きな理由は、簡単に言うと中国の中にシンガポールや香港をたくさんつくっているから。要するに、財源や権限をその地域に与えて、貿易も含む様々な政策を経済ブロック単位でやる、と。地域の経済圏を関西、東北、九州と作っていって、特徴に応じた政策をやっていく、輸出などもどんどんやっていく、お互いに競争する。そうすることで私は日本の活力が戻ってくるきっかけが作れると思うんですね。[それを成し得るには霞が関の改革?]―そういうことです。[それはきっと正しいんですよね]―私は正しいと思います。[正しいから潰される]―官僚は政策のプロだと思うから、官僚の力はうまく使わなくてはいけない。でも、官僚には大きな制度改革はできません。そこは政治家がやって、政策の部分は官僚の力も必要、民間の力も必要、現場にいらっしゃる方々の声を拾っていくことも必要で、そのコーディネートを政治家がやる、と。私は、維新の改革はそういうことだと思っています。

●今だから言えるあの日のあの出来事

私がカンボジアで活動をしていた時に、中田厚仁さんという方がいて、同じ国連ボランティアとして活動していたんです。私は、山岳少数民族がたくさんいるナタナキリ州で選挙をするための準備活動を、彼も同じような活動をコンポントム州でやっていました。ところが、1993年の4月8日に彼は銃撃を受けて、射殺をされてしまった。これは当時大変大きなニュースになって。私は、あの事件は日本人の心にものすごく大きな影響を与えた事件だと思っています。それまでは日本人として国際社会に貢献する、特に貧しい国や紛争があった国で苦しんでいる方々を助けるという思いは、一部の人は持っていたかもしれないけれども、日本人の中にそういう思いが共有されるというレベルまではいっていなかったと思う。国際協力、あるいは平和活動を心からやりたい、という思いが、日本人の価値観の中に大きく芽生えたきっかけだったと思うんです。私は彼とルームメイトで、私はたまたま生き残って…。世の中の役に立ちたい。私にとってもそういった原点があるので、何とか国会議員として仕事をして、日本にも貢献したいし、地球益、人類益にも貢献できる仕事をしたいと思っています。

●今後の政治に対する意気込み

日本維新の会にいって何をやりたいか、ということは先程お話しました。これは大変な戦いになると思います。政治家というのは既得権を破壊して新たな価値を確立する、それが一番大きな仕事で、そのための制度改革。そうすると色々な妨害や様々な圧力があると思うんです。でも、やはり戦って勝っていかなきゃいけない。そういう決意で頑張っていきたいと思います。

●質問コーナー

Q: 阪口先生の成長戦略についてお聞かせ下さい。

A: 今の日本の経済は、右肩上がりで強くなっていく、という事は大変に難しい状況だと思います。日本は資源を安く買って良質な労働力を使って、物を安く、且つ良いものを作っていく、ということで経済大国になりました。しかし、今その役割をアジアの国々に奪われている。なかなか競争するのは難しいと思います。では、どうすればいいのか。私は、これから日本はシステムで勝負する、そして価値で勝負することだと思います。例えば海外に港湾施設をつくる、上下水道をつくる、高速鉄道をつくる、廃棄物の処理施設をつくる、そういったものをIT技術を駆使してパッケージで展開する、と。要するに日本の技術とシステム力を生かしたスマートコミュニティを、アジアの国々の成長戦略の核になる部分に展開していく。そういう、システムで勝負をするということに賭けていかないといけないと思うんですね。で、システムで売るとなると、やはり政治家が交渉することが必要。例えば中国などは軍事力を背景にした圧力をかける、という交渉をするかもしれない。でも日本はそれはできないし、中国に比べたらコストも高いかもしれません。私は、人材の育成や環境技術をパッケージにする、トータルでの民主化支援を行っていく、更に法整備支援をしていく。そういうソフトパワーの部分を同時にパッケージにしてシステム展開と併せてやっていけば勝てると思っているんです。もちろん物を売ることも頑張っていかなければいけない。しかしどうしても今、日本企業は苦戦しています。そこを打開するにはパッケージで展開をする、システムで展開をしたところに日本製品を導入する。そういった新しい戦略が必要だと思っています。もうひとつは国内の経済政策。これはやはり内需を拡大していくことに尽きると思います。今、世界中で安いコストを求めてすごい競争がおこっています。これからはトータルの健康産業、そして人づくりに投資をして、それを成長産業にしていく。そういった形で国内で経済を活性化して、同時に世界との競争にも勝てる日本をつくっていく。そういうことだと思います。

Q: [「鳩山元首相が出馬しないみたいですが、どう思われますか?」というツイートが来ていますが]

A: 誤解を恐れずに言えば、大賛成です(笑)。(拍手)いや、誤解しないで下さいね。鳩山さんが総理を辞めた日に、実は鳩山さんに提案をしたんです。「総理を辞めたんですから、鳩山平和財団を作って、世界の紛争を解決しながら平和構築に関するサポートをして下さい」と申し上げて、後日企画書も持って行ったんです。私は鳩山さんの経歴だとか人柄だとか、まあ、財力だとか、英語も大変堪能ですし、何と言っても元総理。交渉役としては大きな力があると思います。交渉は単独でできませんから、綿密な準備をして、なかなか政府ができない部分を鳩山さんのような方に頑張って頂く、と。私がそういう提案をしたら、「じゃあ阪口さん、議員を辞めて事務局長になって下さい」って(笑)。[話が進んでるじゃないですか(笑)]―いえいえ(笑)。まあ鳩山さんらしいな、と思いましたが。今回引退をされるということですから、私は、平和への貢献、鳩山さんらしい役割を果たしていただきたいと思います。[人を楽しまそうとか、幸せにしてあげよう、という気持ちが強い方ですよね]―サービス精神が素晴らしいです。私も、自分で言った言葉を言葉だけにしてはいけないと思って、鳩山さんに話をした時に、「日本のアハティサーリ、日本のカーターを目指してください」と。アハティサーリさんは元フィンランドの大統領で、「クライシス・マネジメント・イニシアチブ」というNGOを立ち上げて、様々な紛争地域の仲介役として大きな成果をあげてノーベル平和賞もとっている方なんです。元大統領、という肩書はやはり交渉役としては大変強いんですね。カーター大統領も、「カーターセンター」という財団を作って、例えば北朝鮮問題やイラクの問題などに仲介役として活躍されている。実はアハティサーリさんに日本の国会に来て頂いて、鳩山さんと一時間くらい会談をしてもらったりもしたんです。[それでもやっぱり財団は駄目だった?(笑)]―いや、政治家を辞めてこれからだと思う。あの時の会談を思い出していると思います(笑)。