馳 浩
ac16
第58回
2013年01月16日 放送

自民党 馳 浩 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党 参議院議員 1期

衆議院議員(石川第1区)5期目(2013年1月16日収録時点)

―どうも、「闘う愛の伝道師」、馳浩です(笑)。[お会いしたかった]―私も佐野さんにお会いしたかった。なかなか誘ってくれないから(笑)。[この間の選挙から、ちょうど1ヶ月]―早いですよね。今、予算委員会筆頭理事で、今後の国会の日程を考えないといけないな、と思っていて。まだ1ヶ月、もう1ヶ月…どう考えたらいいのか、(選挙のことは)遠い昔のことのような感じがします。[政権与党だし、動いているからでしょうね。野党時代もありましたが]―野党のほうが慣れている、というか(笑)。3年間、国会対策で予算委員会を担当していて、ずっと色んなシナリオを書いてきたわけです。大臣の資質を攻撃しようかとか、外交問題とか。野党という立場で政権をどう料理しようか、と頭に染みついているから、与党の今、どうしようか…って。

●幸せ度数年表

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馳浩

[1961年に生まれた。何と8歳の時に養子へ]―養子なんです。富山の実家から金沢の親戚へ。父親同士が従兄弟同士。跡取りがいないということで養子に入ったんですよ。実家には男3人がいて、私は末っ子だったから。昔はよくこういうことがあったんです。[本当のお母様は馳さんにそっくり。同じ顔だそうです]―娘もそっくりでね(笑)。娘のおりんも、スタイルは女房そっくりなんだけど、顔はおばあちゃんそっくりだから、ちょっと残念かな、って(笑)。[身長高いんですよね]―167㎝かな。2mくらいになるんじゃないか、と心配しているんだけど。[大学は専修大学]―そうです、母校の星稜高校の教員となり、ちょうど教員になった年にロス・オリンピックに出た、と。[何の種目?]―レスリングの、グレコローマンスタイル90キロ級。[プロレスラーより、教師のほうが先だった]―そう、教員になりたかったんですよ。で、オリンピックに出て、夢だったプロレスラーになれるかなあ、と思って、大学の先輩の長州力さんにお願いをして入れてもらったんです。[教師の時は、松井(秀喜)さんは?]―入れ違いで。もとダイエーにいた湯上谷君という、通の人が好きなプロ野球選手ですが、彼は教えていました。まあ、教員生活は2年間だけですから。[その後プロレス界に入られて。何年ぐらい?]―急にプロレスの話?だんだん目つきが怪しくなりますよ(笑)。[黄色いパンツを穿いていた]―最初は黒だった。何で黄色になったかって話知ってる?喋ったことなかった?[一度もないです]―1990年、日本でデビューして3年目くらいかな、試合中に後藤達俊選手のバックドロップを受け損なって、試合が終わった後に倒れて。脳内出血だったんです。その後心肺停止になって。運良く警察官やドクターがいたので、会場では一命を取りとめて救急車で運ばれたんですが、意識がなくなる時に見たのがノーザンライト(オーロラ)。僕が海外修行していたカナダのカルガリーあたりで、ノーザンライトが見えるんです。その色と重なって…。復帰する時にお医者さんには、「もう2度としてはいけない」と止められたんですが、会社にも了解をもらって、自己責任ということで。その時に、もう二度とプロレスができないかもしれないから好きにやろう、という事で、ノーザンライトの色であり、母校の星稜高校のスクールカラーの黄色にしたんです。[ひとつではなく、色々な意味があるんですね]―俺理屈っぽいから、意味づけをするのが好きなの(笑)。[プロレスは何年間?]―実は20年間やってるんです。2006年に引退試合。[東スポの一面に載っていました]―だって俺が引退するのに、翌日の東スポの一面は、「森喜朗、プロレスラーに襲撃される」。俺じゃなくて、何で森先生が一面!?[(笑)。森さんがやられそうになって…]―翌日大変だったんです。「お前が仕掛けたんだろう! お前が黒幕だろう!」って言うから、土下座して謝りました(笑)。[プロレスは最近までやっていた]―プロレスだけやっていたのは1995年まで。[バッジをつけながら引退試合をやられた]―そうです、引退試合はもっと後なんですが、この1995年に参議院選に出て当選させて頂いて、途中鞍替えをして衆議院議員を務めさせて頂いています。[参院選、走って遊説してた] ―1日50キロ走りました。[やはり森さんに誘われた?]―私が出る6年前の1989年は、例の消費税選挙で、「山が動いた」時だった。その6年後の改選期ですから自民党にとってはちょっと厳しい状況で。候補者が少なくて声をかけて頂いたのが森先生。ダメもとで出たんです。古文・漢文・書道の教員でしたが、高校の授業は受験のための授業が多かった。子供たちの成績が上がるのは嬉しいんだけど、本当の古典文学のエッセンスを伝えたい、という意欲もあったので、国会議員になったら、教員の養成や研修についてもっと良くできるんじゃないかな、と希望があった。[衆議院に鞍替えされて何期目?]―衆議院では5回目。参議院の1回も入れると、永田町的に言えば6.5回。[やはり皆さん、衆議院を目指す]―僕は参議院の方が好きだった。素人だったから、せっかく国会議員になったし6年間のスパンで自分なりに何かやりたいと思って、議員立法に関わって努力してきました。議員立法をやるには、選挙のことを考えていたら浮き足立っちゃってできない。参議院にいたお陰で、先輩議員にもご指導頂いて色んな議員立法に携わることができて、国会議員のやり甲斐を感じましたね。[でも衆議院に行ったというのは]―選挙区事情です。竹下派の七奉行と言われた奥田敬和先生が自民党を離党して、私の選挙区にいらしたんですが、急に亡くなった。その時は間に合わなくて、自民党の公認候補をだせなかったんです。で、息子さんの奥田建さんが当選されて。でも、やはり自由民主党としてきちんと公認候補を出さなくてはいけない、という事で、次に私が鞍替えして…たまたまその時、自民党石川県連の会長をやっていたので、責任を取らなきゃいけない、と衆議院に出たんです。…真面目に語っちゃったよ(笑)。

●質問コーナー

Q:最初に政治家になろうと考えたときに目指したことは何だったんですか?

A:北朝鮮との国交正常化は絶対にやり遂げたいと思いました。あとは学校の教員だったので、学習指導要領の改定の中で本当に子供達に身につけてもらわなければいけない、今で言う「生きる力」、例えばボランティア活動であったりコミュニケーション能力、言語能力はしっかり身につけて欲しいと思う。それをアプローチできるのが国会議員じゃないかな、と思いました。[国交正常化と言いつつ「スポーツ平和党」に入らなかったのがすごい]―いい所に気が付きましたね(笑)。僕が生まれたのが、田舎の田舎の田舎の農家の三男坊。長男の様子も見ていましたが、この過疎地域でも農業、あるいは土地を守っていかなきゃいけない、という感性は染みついていたんです。過疎地域を守り、中小・零細企業を守るのが自民党だと染みついていた。富山県の松村謙三先生という、中国との国交正常化に努力したり、過疎地域であるがゆえに必要だったダムの建設にご尽力下さった先生が自由民主党で頑張っておられたので、自民党に対する憧れと、国会議員としてやるならば自民党、という気持ちはありました。

●最近の政治トピックス

[与党として復活されて、ちょっと違和感が?]―政権交代する3年前までは、逆に14~5年与党だった。野党になって議席も頂いて、心の中で「よし!」と思って自分で資料を集めて自分で勉強して。お陰様でこの3年間で、本会議の質問も国会質問も全部自分で原稿を書けるようになりました。以前は、与党の一員としてたどたどしく大臣のヨイショ質問をしたり。[それも重要(笑)]―それも大事だと思いますけど、自分で調べて文章を書いて、質問のシナリオを練ったり。これはすごく勉強になって、「国会議員は毎日地道に勉強して、国会活動をしなければいけないな」と、原点を改めて振り返ったような気がしていて。この3年間をふまえての与党復帰というのは、一番大きい「政治トピックス」ですね。[前政権の時は田中真紀子さんのやりとりが異常に注目された]―法律に基づいて大学設置審議会があって、設置大学とお互いに歩調を合わせながらやってきている、という事を知っているので、大臣の気持ちはわかるんだけどやってはいけないことをやったので、それについて正さなければいけないし。大人げなかったんですが大臣には苦言を申し上げた、という事です。そもそもは簡単な話なんです。短大がなくなって、それが四大に衣替えした、というのが現実で、大学が増えているわけでも何でもない。大臣のおっしゃった大事な部分、「高等教育機関として、教育と研究の最高学府として、世界のどこに出しても恥ずかしくない内容なのか」という部分、ここなんですよ。[「恥ずかしい」内容だった?]―恥ずかしい、と私は思っています。大学評価機構という組織があるんです。大学の設置者自身が、学力もないのに簡単に卒業させちゃだめ。そこが大学が甘えているところだと思うし、その問題意識は持っているんです。ただ、それはそういったところで議論をして決めればいいのであって、新設大学がルール通りに諮問して答申されたものをちゃぶ台返ししていい、という話じゃない。[今、政権が代わってどうなる?]―4回目の検討会が開かれています。それを受けて下村大臣は中教審(中央教育審議会)に正式に諮問をすると思う。田中大臣は「レベルを上げようじゃないか、国際競争力をつけようじゃないか、競争力のある大学に財政投資をしっかりしようじゃないか」という考えですから、これはやはり専門家である中教審において議論して頂いて、答申を得て大学改革を進めるべきだと思うし、統廃合のためには、経営がうまくいっていない実績のない大学は退場してもらうしかないと思います。

●今だから言えるあの日のあの出来事

[(ツイッターが)来てますよ。得意技のジャイアントスイングをかけたい議員さんはいますか?]―ジャイアントスイングをかけてくれ、っていう議員はいっぱいいるんですよ(笑)。一番喜んでくれるのが…野田佳彦さんかな(爆笑)。[プロレスファン?]―一度参議院での審議中に、たまたま地元の金沢で武藤敬司と飲む機会があって、「野田さん最近弱っているから、サイン書いて激励してくれよ」と言ったら、「耐えて勝つ」って書いてくれて。それを委員会の審議が始まる前に野田総理に渡したら、すんごい嬉しそうな顔してました。(野田総理は)武藤敬司とジャンボ鶴田のファンらしい。本当にプロレスが好きなんですね。魔界倶楽部のことまで知っているんだから(笑)。だからジャイアントスイングは野田さんにかけてあげようかな、って。[首相の座を失ってから注目されていないから、喜びますよ]―今、僕が民主党の責任ある立場だったら、この通常国会において野田さんにどんどん質問してもらう。あとは岡田さんとか玄葉さんとか。つまり、答弁に立っていた財務大臣経験者、総理経験者、外務大臣経験者が予算委員会に出てきて質問すれば、関心を集める。スター同士のやりとりですから。それをやらないと、民主党は維新の会にまた食われちゃいますよ。[馳さんのプロレス・ショー感覚いいですね]―今何が起こっているのか、観客にわかりやすく伝えて初めて永田町の役割がある。[今、敵と味方が入れ替わったから]―そう、だから面白い。いかにわかりやすく面白く、中身のある見せ方をするか。予算委員会の一問一答で、野田さんが2時間くらい枠を取って丁寧にひとつづつ、「財政健全化大丈夫ですか?」、「補正予算の財源どうするんですか?」、「日本銀行に対してちょっとやり過ぎじゃないですか?」という質問をしたら、わかりやすいと思うんだけど。[今こそ出るべき]―私はそう思うんですよ。スターがいるんですから、民主党には。

●質問コーナー

Q: 大阪の教師の暴力による自殺、大津の中学生の自殺、いじめ問題など、学校教育の中でなかなか改善できないでいますが、教育改革の方針があったら教えて下さい。

A: 2つのアプローチをしたいと思います。ひとつは教職員の立場。教職員は、大学で養成をされる、都道府県の教員採用試験を受ける、育成の研修を受ける、人事・懲戒で色んな評価がされる、という4段階があると思っているんです。この4段階を通じて、まず基本的に教育法規、教育に関する法律をちゃんと勉強しなさいよ、ということは言いたい。何故かと言うと、安全配慮義務があって、学校教育法においては体罰をしてはいけないんです。[どこからが体罰?]―セクハラ・パワハラ・アカハラ、立場を利用して相手が心理的・肉体的に負担に感じることをするのは体罰。一般社会において「駄目でしょ」ということは学校の中でも絶対やっちゃいけない。懲らしめる、という意味で「立ってなさい」、これは教育的指導として許されると思うんです。大声をあげる、これはある程度は有り得ると思いますが、繰り返すとなると…先生が大声をあげるだけで子供達は委縮しますから、全く教育的効果はない。学校教育法上、体罰や抑圧するようなことは駄目なんです。これは守るべき。プラス、指導するノウハウ、教授法と言いますが、これをもっと具体的に養成段階や研修段階において学ぶべきだと思います。もうひとつは、保護者からのアプローチ。わかりやすく一言で言うと、「学校を密室にしてはいけません」。教師が図に乗りますから。大学を出たばかりで「先生、先生」と言われて、図に乗るんですよ。一般社会に出したら恥ずかしい奴いっぱいいますよ。学校を密室にしないためにも、保護者としての対応をすべき。同時に保護者も、保護者だからといって何でも許されるわけではない。マナーを守るべきです。

●質問コーナー

Q: 最近奥さんにプレゼントしたのはいつ頃ですか?

A: 1月5日が誕生日だったので、プレゼントをしました。5日は地元の挨拶回りで家に帰ることができなかったので、金沢のデパートで買った、ハンカチだったかな、スカーフだったかな…それを6日に(笑)。[結婚して何年?]―今年で20年じゃないかな。今までは1月5日には必ず、夜一緒に食事に行ってたんだけど、今年は選挙が終わったばかりで地元回りをしていたので簡単に。

Q: 嫁は何て呼ぶんですか?だんなのことを。

A: 馳ピー。(大爆笑) プロレスラーの時から私は馳ピーと呼ばれてました。[馳さんは高見恭子さんのことを何て?]―高見さん。恭子ちゃんとは言わないですね。知り合った頃からそう呼んでいるので、結婚してもそう呼び合ってる。お互いの仕事に一切関わらない、というのが夫婦のルールなんです。だからうちの女房は、ここ13年くらい金沢に一歩も入ってない。私も女房の仕事に迷惑をかけたくないので、一切関わっていません。ただ、やっぱり選挙区の地元に行くと、「何で女房が応援に来ないんだ」とか、「女房が来ないから、馳は愛人がいるんじゃないか」とか「離婚したんじゃないか」とか、選挙の度に言われる(笑)。

Q: 現在、プロレスラーを目指してアニマル浜口さんのジムへ通っている17歳の男の子とルームシェアをしているのですが、彼が楽しそうにプロレスの話をしても、僕はあまりよく知らなくて。プロレスの事と、馳さんの人生の楽しみとか、やり甲斐を感じる時は何か教えて下さい。

A: 答えはひとつです。僕の書いた本で、「君はまだプロレスを知らない」、PHP出版。(大爆笑)アマゾンで探して読んで下さい(笑)。