高木 つよし
ac15
第60回
2013年01月30日 放送

自民党 高木 つよし 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党(福井第3区)5期目(2013年1月30日収録時点)

[記念すべき60回ということで]―たまたまですけどね(笑)。お招きいただきありがとうございます。[昨日から国会が始まりました]―自民党の議運(議員運営委員会)の筆頭理事ですからね。2週間ほど前からずっと東京にいて走り回って、与党・野党・事務方と打合せをして昨日を迎えましたから、私にしてみると、逆に始まってひとつ区切りがついた、と。むしろ始まるまでのほうが仕事が…。[議員運営委員会というと、議会の前の段階の下打合せみたいな?]―それはどちらかというと国対(国会対策委員会)で。私は国対の筆頭副委員長を兼ねているんですが、裏準備をやるんですね。そして表に出た時にはあたかも何もなかったかのように、スムーズに動いている、と。議運は議運でまた、野党の代表の皆さんとずっと準備を進めてきて。今回多くなりましたね、自民党。そのメンバーにどの委員会に入っていただくか、理事を誰にやってもらうか、など決めたり。そんなことで昨日を迎えました。

●幸せ度数年表

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第60回高木つよし

 

お陰様で結構幸せな人生を(笑)。食べるものに困ったこともありませんし、友達にも家族にもスタッフにも恵まれていますので、(年表に)あまりでこぼこがないんですよ。[1956年1月16日生まれ]―ついこの間57歳になりました。一番小さな小学校から、一番大きな中学校に入学したんですが、大きな小学校から来た子たちが威張るじゃないですか。[永田町にもある]―いやいや、それはまた…(笑)。最後には生徒会長をやるんですけど、入った頃はそういう子達に圧倒されて、ちょっとつまらない、というかね。[どんなご家庭だった?]―4人姉弟で姉が三人。4番目で長男なんです。[待望の男の子だった]―それはまあ、そうだと思う(苦笑)。高校も、サッカー部のキャプテンをしていたし、充実して面白かった。[大学は青山学院]―そうです。この時上京して、卒業してから家業があるので帰って。[家業は?]―建材関係の、小さな会社。父のあとを継いで20年ほど社長をやりました。この頃JCをやっていましたね。[日本青年会議所ですね]―1996年に北信越という、新潟・長野・富山・石川・福井5県の会長をやりました。JCではお金も時間も散々使って。よくやりましたよ。外国にもよく行ったし。そういう役回りだったんですけど、1年のうちにインド・ネパール・インドネシア・モンゴル・ベトナム。出来たてのJCが世界中にあるんです。そのJCを更に充実したものにするセミナーをやりにいく、という、そういう1年もありました。[その前に結婚がありますね。お見合い?]―いや、恋愛結婚で。[青山学院時代に知り合った]―いや、違います。家業を継いでる時に。そして子供が生まれて。上の子供2人が小さい時は楽しかったですね、よく遊んでいましたからね。それでまあ当選するんですけど、逆に当選してから、ちょっとこう、沈みかげん?(笑)。幸福度はあんまり幸せじゃないですよね。[2000年の初当選の前に一度落選されてる]―でもその時はそれほど落ち込むこともなく、また次に頑張ればいいんだ、と。落選している間、3年8ヶ月ありましたけれど、地元を歩いて色んな人に会ったりして。お陰様で2000年から2013年まで5回連続当選させて頂きましたけど、やっぱりこれができたのは、1996年の落選した3年8ヶ月があったからかな、と思いますね。[ここが少し落ち込んでいるのは、自民党が野党になったから?]―そう、野党です、これ。[野党時代、ついこの間までありました]―ええ、で、与党に返り咲いたじゃないですか。「与党ってやっぱり大変だよな、責任あるよな」と思ったのは初めてですよ。ずっと与党をやっていたのにもかかわらず、その頃は思わなかったんです。だから野党になった。本当だったらずっと気づいていないといけなかったのに、やっぱり気づいていなかったんだな、ということに気づきました。[素晴らしい「気づき」があった]―そう、だから無駄な3年3ヶ月じゃなかったと思うし、本当の事をいうと、自民党がこんなに早く返り咲けるとも思っていなかった。「自民党がいい」というわけではない、「比較的いい」と。民主党さんがああいうことになって、それによって政権に復帰できただけで、国民の期待に応えられる政党になったかというと、まだまだ足りないところはあるかもしれません。

●最近の政治トピックス

私の選挙区は福井3区で。[敦賀?]―はい、敦賀です。今は残念ながら、原子力発電の問題が…。敦賀2号の真下に活断層の可能性とか、大飯3号4号の稼働の時も大変でしたし、「もんじゅ」もあるし、今本当に大変な地、故郷なんです。福島で起こったことは、それは重い事です。だけど福島でああなったからといって、日本中大飯3・4号以外の発電所を全部止めている、というのは、これはいかがなものかな、と。電力というのは、安全に発電をする、安定供給ができないといけない、コストの問題、環境性能が良くなきゃいけない。その4つをクリアできる発電が望ましいんです。原子力規制委員会が、今新しい安全基準を作成していますが、それを早く作って廃炉以外の50の発電所の安全を早く確認して、安全なものを稼働していく、安全じゃないものは動かさない、という結論を早く出さなきゃいかん、そういう思いで仕事をしております。[住民の皆さんはどういう意識?]―住民の皆さんは、長い間安全を確保しながら連続供給してきた誇りがあります。関西電力エリアの半分は福井県からいった電気で、大阪も神戸も京都も、姫路も和歌山も大津も使っていた。発電所はひとつの、わが地方にとっての大きな雇用の受け皿ですから、止まってしまう、あるいはなくなってしまうと、発電所で仕事をしている人、関連企業、もっと言えば文房具屋さんや飲み屋さんまで影響は大きいです。もちろん、風力だとか太陽光だとかの新しい再生可能エネルギーは、どんどん開発して実用化しなければいけませんが、まだやっぱり安定供給が…。この間発表されましたが、貿易赤字が6兆9千億になりました。去年か一昨年か、福島の原発が止まって3兆円余計に油を買っているんです。油を買うから電気代が高くなる、そうすると工場がやってられなくなって海外に出て行ってしまう。結果、原発の立地地域だけではなくて日本中の雇用が失われていくことにもなりかねませんよね。[お父様も市長なんですね。今も?]―いえ、今はもう。去年93歳で6月1日に…。[93歳!すごい長生きの家系なんですね]―家系って、一人だけ見てわかるもんじゃ…。私を見てからおっしゃって下さいよ(笑)。[今の話ですと、ずっと原発とともに生きてきた]―そうですね。敦賀1号が初めて送電したのは、1970年3月14日なんです。1970年と言えば、大阪万博。それが始まったのが3月14日なんですが、その万博に原子の電気を送った。だから、3月14日が敦賀1号の運転開始日なんです。万博のテーマは、「人類の進歩と調和」。その頃日本は、高度経済成長でどんどん進歩したんです。だけど、どこかが、何かが違う、と。それは環境だったり公害だったり。それを忘れていた。だから、人類の進歩と調和をテーマにした大阪万博の象徴として、敦賀の発電所から送電をしたんです。[夢と希望に満ち溢れた敦賀1号だった]―そうですね、その後2号ができて、大飯、美浜ができて。先程の話ですが、要するに電力供給基地として日本の経済を支えてきた、という自負心がある。ただ、安全じゃなければだめ。それが前提です。[敦賀1号ができて、町が潤ってきたのを見てきた?]―だからといって潤ってきた、という感じではない。例えばどこにでもある地方の都市が工場誘致をする、そのうちのひとつ、と考えていただければ。最低限仕事が確保できて生活ができる。たまたまその工場が発電所だったということです。[結局、福島でも選ばれた議員はほとんど自民党だった]―民主党政権では、原子力をゼロにしていこうと打ち出して、わが党はそんなに性急にやっちゃいかん、と。いつになったら代替エネルギーでやれるのか、民主党さんはそれがなくていきなり2030年代ゼロ、と言ったわけでしょ?今度の選挙の結果というのは、安全を確保して、しばらくはやはり原発も必要なんだ、という事を国民は選択したんじゃないのかな、と僕は思っているんですが。

●今だから言えるあの日のあの出来事

小泉純一郎総理の時に、まだ新人…2期目かな、自民党の遊説局長をやりまして。今の遊説局長はあまり総理について歩くことはないんですが。参議院の選挙とか補欠選挙は全国遊説するわけです、飛行機をチャーターして。遊説局長はどういう仕事かというと、演説の前座、前ふりをするんです。演説会場に総理と一緒に着くと、地元の県会議員さん達が喋っているんですが、自らの立場を忘れてしまって長喋りをするんですよ、ついつい。おまけに総理が来たものだから余計に張り切って…。[「オレの喋りを見てくれ」と(笑)]―そうそう(笑)。だから一番大事な仕事は、そこに先に上がって、誰が喋っていようとマイクを取ることです。総理はそこに15分しか居られないわけですから。あの時の小泉旋風ですからね、どこでやったって何千人、何万人ですよ。皆さん、小泉さんを見に来ているんだから、喋っている人からマイクを取って、「お待たせしました!小泉総理、ただ今到着しました!」と。そんな仕事をしていたんですが、地元の福井県で参議院の選挙をやっていても、僕帰れないでしょ?そうすると地元の人に、「参議院の選挙なのに高木は何をやっているんだ」と言われるわけです。そうなると困るので、テレビに映らなきゃいけない。小泉さん優しくて、「肩から向こうはだめだ、(画面が)切られるから。ここ(肩の上)に顔を出せ」って言うんです。[なるほど、(小泉さんの)後ろやや右ですね]―そう仰ってくれたんです、有難いことに。ところが、ここからが「今だから言える」ですよ。私、背が184㎝でしょ?[小泉さんは174㎝くらい?]―かな?ですからちゃんと立つと、顎から下しか映ってない、ということに(笑)。[誤算でしたね]―まずいでしょ?それでどうしたかというと、立ちながら股をじりじりと開くんです、ちょうどいい所まで。それで自分の背を低くして映っていた。だけどマスコミの方は、「高木先生、すみません、(画面から)出て下さい」って言うんですよ。[小泉さん、ピンでいきたいから]―そうそう(笑)。だからマスコミの方に「今回頼む、映してくれ。次は出るから」と言ったり。あとは色々役割がありまして…。あの時イラクの自衛隊派遣がテーマだったんですよ。10分~13分小泉さんが喋るんですけど、どれだけ待っても出ない、イラクの話が。仕方ないから横で私が、「イラク…イラク…」って囁く。で、「イラクは!」と出るわけです。[やっぱり似てますね、ずっと一緒だったから(笑)]―いやいや(笑)。それから、帰りに空港でVIPルームに入れて頂けるんですが、そこに知事とか市長がいっぱい来るわけですよ、ここぞとばかりに小泉さんに陳情しようと思って。秘書の方が、「総理、どうしますか?」と聞くと、「入れていい」と言う。知事さんが入ってきて、本人はどうするかというとトイレに入っちゃうんです。で、何をしているかと思えば、あのヘアーを整えてる。わずか10分ほどしかないのにずっとやってて、それで結局は会わずに、「じゃ、皆さん」と手を挙げて出ていく。知事さんはポカーンとして。遊説の時についている政治家が私一人で、あとは事務方ばかりなので、そんな時は私が一生懸命知事さんのお相手をするんです。私みたいな1年生の議員に陳情しても仕方ないのに、知事さんもどうしようもなくて私に(笑)。総理になる前にちょくちょく飲んだことがあるんですが、すごいですよ、飲んでる席から突然いなくなる。で、帰ってこないから様子を見に行くと、「帰られましたよ」って。まあ、色々楽しい方でした。

●質問コーナー

Q: 今の活断層の調査について。調査ばかりに時間をかけても仕方がないし、どこかで早く決断をする必要があると思うのですが。

A: もちろん福島にとっては重いことです。だからといって、例えば福井県の辺りには大きな地震が来たことも津波がきたこともないんです。ただ、活断層が真下にある、13万年前に動いたから可能性がある、と。いくら安全を突き詰めても、車を運転すると事故を起こす可能性がある、飛行機に乗れば落ちる可能性もある。でも必要なものは必要じゃないですか。私は、もちろん安全はしっかり考えなければいけませんが、あまりにちょっと…という気はします。福島があったから、「やめる。動かさない」というところからスタートしたんですね、民主党政権は。だから、なかなか呪縛から抜けきれないのでは。[日本は、自民党以外はなかなかいい政治家が育たないから大変]―いや、そんなことはありませんよ。その手にはのりませんよ(笑)。

●今後の政治に対する意気込み

いよいよ通常国会が始まりました。「決められない政治」と言われてきたわけですが、与党の国会を切り回しする議運筆頭理事として、しっかりと議論を深める国会、そして「決められる」国会を作っていく、というのがひとつ。それから、地元の大きな課題である原子力問題。地元の方がしっかりと生活ができる、そして日本の経済を考えた原子力行政をやっていくことがひとつ。あとはもちろん、国会議員としての様々なこともしっかりやらなければいかん、と思っていますが、今、そういう思いで頑張りたいと思っています。[ご地元の方も、5期以上の国会議員がいるといいかもしれません]―その代わり、どんどん期待が大きくなって、どんどん責任が重くなって…つぶされないように。「つぶされないように」というのも、ひとつの意気込みかもしれませんね、色々背負っていますから(笑)。